いつ贋作か――贋作の記号学メモ 4

namdoog2009-01-25

                      

修復と「贋作」(1)

 上述のように、画家(ないし絵画の制作者)-鑑定(アートの専門家ないし画商)-顧客、という三つの要因がそろわないと、一般に近代社会における<贋作>は成立しない。

 しかしこの種の贋作とは別の意味における「贋作」が成り立つ余地はある。これが意味するのは、<贋作>なる概念の歴史性にほかならない。社会の歴史的あり方によって「贋作」の構成要因が異なるのだ。(だが少なくも、社会あるいは共同体が存立しなければ、いかなる意味でも「贋作」が成り立ち得ないのは確かである。)

 こうした言い方は歴史相対主義の主張のように聞こえるかもしれない。近代社会における贋作とたとえば古代におけるそれとは、哲学者のいう「共軛可能性」(commensurablity)がないことになろう。二つの<贋作>概念は比較を絶しており、例えていえば、両者は呼び名は同じでも、親子や兄弟ではなく赤の他人同士だということになる。

 ここには認識論的-存在論的な大きな問題が横たわっている。私見によれば、<贋作>が時代や社会ごとに在り方(存在構造)を異にする事態は、歴史相対主義を指さすわけではない。われわれはむしろ、<贋作>に関するこの観察から歴史相対主義そのものをいわば脱構築すべきなのだ。

 問題の詳論は別の機会におこなうとして、ポイントだけを披瀝しておきたい。すなわち、<贋作>なるカテゴリーは<自然なカテゴリー>(ロッシェ)の一種である。それゆえ、古典的カテゴリーのように、必要かつ十分な基準を枚挙することでそれを規定するのは不可能なのだ。二つの<贋作>カテゴリーは類似性によって内容的に多少とも重なり合うにすぎない。

 ところで、贋作に関する著述でつねにといっていいほど頻繁に言及されるミケランジェロの逸話がある。ミケランジェロが贋作に手を染めたという話である。彼は自作の古代彫刻風のクピド像をローマの丘に密かに埋め、その後わざわざこの像を発掘して当代の有力者ロレンツォ・デ・メディチの手を通じてラファエル・サンソニー=リアーリオ枢機卿に贈らせたという。

 ミケランジェロはなぜこんな手の込んだ詐術を行ったのか。それはひとえに自分が古代ギリシアの彫刻家に負けない技量をもつことを誇示したいためだった。枢機卿がその像を真正の古代彫刻だと思い込んだとき、ミケランジェロは真実を暴露して人々の鼻をあかしたというわけだ。

 この「古代クピド像」はミケランジェロによる「贋作」であるに違いない。しかしこの種の「贋作」が市場とは無関係に成立している点に注意しよう。彫刻の贋造、それの埋蔵また発掘――これらはすべてミケランジェロ一人の仕業である。加えてこの時代には、<鑑定>の要因を担う特定の人物(画商、鑑定家、美術史家など)もまだ登場してはいない。

 ミケランジェロの16世紀から現代に眼を転じよう。美術品が市場に流通する現代社会においても、やはり市場とは無関係に「贋作」が成立する事例がある。これはミケランジェロの事例とはまた別のタイプの<贋作>である。それはどのような<贋作>なのだろうか。

 じつはこのタイプの<贋作>は古画などの<修復>と事実上密接に結びついている。そればかりか、筆者の観察では論理的-存在論的にも両者は結合していると言わなくてはならない。

 時代を経るとともに名画(別に名画に限らないが)は次第にその本来の姿が損なわれてゆく。というのは――言うまでもないことだが――絵画作品は物質的素材(画布、絵具、溶剤など)を使用しているからである。

 もちろん文学や歴史の分野においても<贋作>がはびこる場合がある。しかしそれらには本来的な意味では<素材>ないし<質料>が伴っていない。この点を例に即して確認しておく。

 日本で偽書として名高い例は、聖徳太子が著したとされる『未来記』である。楠木正成が味方の士気を鼓舞するためにこれを用いたと伝える。近年歴史関係者を騒がせたものに竹内巨麿が広めた「竹内文書」があり、『古事記』以前の歴史書というふれ込みだったが、「まぎれもない贋作」である。

 これらは<文書>であるかぎりで表記法(notation)による表現(記号系)すぎない。言い換えるなら、文書の形式性がそれを特定の文書として同定する十分な基準であって、そのメディア(媒体)は同一性に関しては二次的意義しかもたない。

 例えば『古事記』を例にとろう。『古事記』はその序によって和銅5年(712年)に成立したことが知られるが、編者である太安万侶が書き記した原典が残されているわけではない。後世には単に原典の<写本>が伝わったにすぎない。(最古の写本も南北朝時代のものにすぎず、贋作の疑念さえ一部の研究者にはいだかれている。)

 付言しておくなら、『新約聖書』が現在に受け継がれてきたのもまったく同じ事情による。周知のように『新約聖書』なるオリジナルな本はない。著述は存在しない。それゆえ<原典の正しさ>をめぐり今でも絶えず研究が行われている。ここに、<聖書学>なる学問の成立根拠が横たわるのだ。Bible(聖書)はbiblia=books に由来する呼び名だが、ミスリーディングな名詞だと言わなくてはならない。)

 ところで<写本>という記号的実践が可能になるのは、そもそも文書が表記法という形式性をそなえているからだ。書き写すためにどのような紙を用いるか、紙の大きさはどうするかなどの「質料的要因」は一義的には写本に関与しない。(しかしこの言い方はじつは誇張であり不正確なのだが、問題が微妙なのでいまは立ち入らない。「一義的」という限定を加えたゆえんである。)

 絵画の修復の問題に帰ろう。絵画は時間の経過とともに表面に罅がはいり色褪せてゆく。かつて筆者が観たレオナルドの「最後の晩餐」(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院)はすっかり画面が煤けてしまっていたが、大掛かりな修復作業の結果、いまはあざやかにオリジナルな画面が蘇ったといわれる。

 古画の修復は、自然に生じる経年変化が絵画にもたらす損傷のために必要になるだけではない。「原作(オリジナル)の尊重」という考えが確立していない時代においては、原作が描かれた時代以降の画工達が勝手に筆を加えてしまうこともしばしばだった。他人の改作のためにも修復は必要になる。

 修復家とは、このような病んだ絵画を治療し<原作>を回復する医師に喩えられるかもしれない。ところが、第二次大戦中から戦後にかけてのドイツにおいて、政府から顕彰された修復事業が、一転して出鱈目きわまる贋作事件であることが顕れたという、名高いスキャンダルがある。その張本人はロータール・マルスカートなる修復助手であった。
 
 事件の経緯を簡単に述べながら、もうひとつの<贋作>の様態について観察を試みよう。(この事件について詳しいのは、種村季弘『贋作者列伝』青土社、「ブロマイドのマリア」の章であろう。以下の記述も事実関係についてはほぼこれに拠っている。)
(つづく)