記号論の再構築のために(3)

4 ソシュールの記号概念 彼による記号の分析は――この点はうっかりすると見過ごしがちだが――実に重大な含意を伴っている。 第一に、彼の記号概念とともに、記号への指示論的アプローチからカテゴリー論的アプローチヘの転換が決定的に成就されたのである。第…

記号論の再構築のために(2)

3 古典的記号論から現代的記号論への展開――ソシュール記号学の構想 20世紀から現時点までの記号思想の展開を通観するとき、この間になされた探究の跡を大きく整理して、これを「古典的記号論から現代的記号論への展開」と捉えることができる。いまでは常識と…

記号論の再構築のために (1)

記号論の再構築のために――問題と構図 記号論(semiotics)とは何だろうか。歴史的な事実として見れば、記号論は、20世紀の初めに期せずして(だが真実は思想史的必然性によって)記号についての学(sémiologieないしsemiotic)を異口同音に提唱した二人の人物…

〈遊び〉についての断章 (5) 

〈遊び〉を再考する――規則の梯子 3 方法としての遊び 俗なる現実とわたりあい、そこに遊びの時間と空間をしつらえるためには、素手ではどうすることもできない。この事態を私たちは、遊びには〈方法〉がいる、いや遊びとは方法そのものだという命題に要約し…

〈遊び〉についての断章 (4) 

〈遊び〉を再考する――規則の梯子 2 遊びの練習 遊びと快とのかかわりを考えるためには、両者を区別したうえで、快の〈質〉を考慮する必要があるだろう。たとえば、スポーツをたんなる楽しみでやっているのは、むしろ多数のスポーツを愛好する人びとである。…

〈遊び〉についての断章 (3)

〈遊び〉を再考する――規則の梯子 1 規則にしばられない遊び? いつぞや学生が遊びをテーマにまとめた卒業論文を読んだことがある。論文の結論あるいは主張には賛成できないものの、しかし重要な論点が提起されている文章なのは間違えないと思われた。 卒論執…

についての断章 (2)

は人間のプラクティス(実際活動)の主要なカテゴリーの一つである。この種の活動の著しい特徴の一つが自己目的性にあることを指摘した。今回は、この観察から導かれる一つの論点を明らかにしておきたい。シーシュポスの神話 ギリシア神話のシーシュポスの物…

〈遊び〉についての断章 (1)

虚でもなく、実でもなく ――遊びの倫理学のために 1 遊びについて論じたものとして、オランダの歴史家ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』ほど著名で、またじっさいこれほど出色の書物もない。 よく知られているように、彼はこの本の大半を費やして、法律、政治…

メルロ=ポンティ『知覚の哲学』、解説にかえて

今回、メルロ=ポンティ『知覚の哲学―ラジオ講演1948年』が筆者の翻訳と注解を一本として、ちくま学芸文庫から刊行された(7月10日)。これを機会に、本書について筆者の見地から解説を行いたい(なお本文は文庫版の文章と基本的にはほぼ同じであるが、省略な…

世界制作論の現在

昨年、あいついで注目すべき論集が刊行された。まず書名その他をご紹介したあとで、なぜこれらが(少なくも)筆者の関心を惹きつけたか、少しばかり理由を述べよう。一冊目は、Cultural Ways of Worldmaking: Media and Narratives (Vera Nünning, Ansgar Nu…

詩は認識を遂行する記号システムである

『知覚の哲学』(ちくま学芸文庫、7月10日刊行)でメルロ=ポンティがマラルメに論及しながら、〈詩的認識〉について述べているところがある。該当する箇所を引用しよう。 言葉は自然の事物を表意するためにつくられたものです。すでにかなり以前に、マラルメ…

〈オブジェ〉の存在論のために

オブジェ・トゥルヴェ(objets trouvés)は、日常語としては「落し物」、「拾得物」をいう。美術の用語としては、自然のものであれ人工物であれ、藝術家が意図して制作したものではないが、それに何らかの美的価値をみとめて「拾いあげたもの」を意味する。―…

言語の実像をつくり直す

――レトリック探究が哲学の現在の営みにとってどうして重要なのか―― 草稿『日本認知言語学会論文集』に掲載予定1 伝統的言語学はレトリックを扱えない ここで私たちがおこなう予定でいるのは、〈言語の意味〉の観点から、旧来の言語観を問い質すことをつうじ…

臨床的眼ざしの誕生――医療の記号論

〔本稿はかつての草稿に推敲を加えた改定版である。〕記号学/記号論の構想はをとりこめるか 医療という社会的実践そのものが、パースのいう意味での記号過程(semiosis)にほかならない。この認識を多くの人はまだ共有してはいないようにみえる。たとえば緩…

知覚における算術の誕生 (8)

こうして見てくると、音階が音楽のを決定する最大の要因であることが分かるだろう。あらためてスタイルとは何だろうか。 この概念は基本的に存在論的概念として理解されなくてはならない。styleはたいてい「様式」や「文体」などと訳されるが、語源をさかの…

知覚における算術の誕生 (7)

前期のメルロ=ポンティの思想において、セザンヌの画業に示された真理とは、主体としての身体ならびに知覚の認識論的かつ存在論的優位ということだった。具体的にはセザンヌの色彩観にメルロは多大の影響を受けている。たしかに物象(もの)が見えるのは輪郭…

知覚における算術の誕生 (6)

科学的認識の知覚主義による基礎づけの問題を攻略するために彼が構えた戦略は、身体運動(表情ある身振り)から言語行動が開花するプロセスを跡づけ、これと並行して身体運動としてのアルゴリズム(数えること=算術)から数学への展開を記述することを基軸…

知覚における算術の誕生 (5)

背負った課題を解決しようとメルロが傾けた努力ははたして報われたのか、初期のメルロの構想が後期でほんとうに新たな展開をなしとげえたのか、それを訊ねなくてはならない。繰り返しになるが、彼の初期の「表現論」から引き出されるいくつかの論点が彼の戦…

知覚における算術の誕生 (4)

メルロ=ポンティには、当初から、知覚主義による科学的認識の基礎づけという哲学的モチーフがあった。(彼がこのモチーフを獲得し生涯にわたりこれを堅持したことについては――知覚に着眼したのは彼のオリジナルな洞察だが――フッサール現象学の大きな影響を見…

知覚における算術の誕生 (3)

一般相対性理論の確立には非ユークリッド幾何学が重要な役割を果たした。19世紀に非ユークリッド幾何学が構想されるまで、幾何学といえば、ユークリッド幾何学のことに決まっていた。ギリシャのユークリッド(前330年〜前275年頃)が著書『原論』として大成…

知覚における算術の誕生 (2)

メルロ=ポンティが、1948年に、7回連続のラジオ講演を行った記録がある(Maurice Merleau-Ponty, Causeries 1948, Seuil, 2002)。それ以前に、彼は博士論文を構成する二つの著作をすでに刊行していた。とくに主論文「知覚の現象学」が1945年に出版されるや…

知覚における算術の誕生 (1)

知覚はすでに表現――もちろん言語以前の――であり、それを「黙した言葉」と比喩できるかもしれない。言葉は様々な方向に伸長して文学、科学、その他、あらゆる言語表現の営みとして綺羅を競っている。だが人間が能くする表現は言語的な種類にはかぎられない。…

フーコー・ブッダ・グッドマン (11)

――自己の技法から自己が立ち現れる―― 1984年に亡くなったフーコーは、それに先立つ数年の間、精魂をかたむけてある研究テーマに挑んでいた。それが「自己の技法(テクノロジー)」の問題系だったことは、よく知られている。 この主題を筆者なりに整理し筆者…

ギブソン学派の直接経験論はどこまで妥当か

小論「フーコー・ブッダ・グッドマン」の続きは次の機会に書くとして、前から気になっていたギブソニアンたちの教条の一つである「直接経験」(実質的に「直接知覚」とほぼ同じである)についてわれわれなりの断案ざっと提示しておきたい。といっても文献の…

フーコー・ブッダ・グッドマン (10)

記号主義の哲学にとって最大の問題のひとつは、他者の存在論であろう。ところで、他者とは、(デカルトに言わせるなら)〈もう一人の自己〉(alter ego)であるから、その限り自己無くして他者は存在しない。自己の立ち姿が鮮明になればなるほど他者もまた鮮…

フーコー・ブッダ・グッドマン (9)

記号系の再帰的構成としての阿頼耶識 仏説のひとつの核心は唯識思想によって明らかにされ展開されたが、この唯識思想が、本質的にいって、記号主義の古代的表現だった点を疑うことはできない。記号主義とは、端的に言って、世界あるいは実在を記号系の再帰的…

フーコー・ブッダ・グッドマン (8)

阿頼耶識とは何だろうか 唯識の根本をなすのは、「現実に認められる外的現象と内的現象とはすべて、なにか或る根源的なものによって表わされたものにすぎない」という思想である(横山紘一『唯識思想入門』、レグルス文庫、p.93)。繰り返しになるが、これは…

フーコー・ブッダ・グッドマン (7)

仏説とりわけ唯識に「唯心論」のラベルを貼るのはどこまで許されるのか。西洋哲学史においてspiritualism(この語を日本人は「唯心論」と訳してきた)といえば、何よりもmaterialismつまり「唯物論」に対立する存在論的見地を意味した。唯物論とは、精神とか…

フーコー・ブッダ・グッドマン (6)

一般に仏説は〈自己〉という問題群をめぐる倫理学説(その基礎としての存在論を含んだかたちでの)の色彩に色濃く染められている。その証左の一端をあげよう。例えば、最古の経典のひとつである『法句経(ダンマパダ)』はブッダその人の教えを伝えていると…

フーコー・ブッダ・グッドマン (5)

超越論的記号理論としての世界制作論 グッドマンの世界制作論が駆動するための重要な理論的機関として、記号の「指示理論」(theory of reference)がある。これは他に類例のないグッドマン独自の業績であり、現代における認識論哲学にグッドマンが確乎たる…