2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

記号の二重性を脱構築する――ソシュールを遠く離れて

という存在構造を解明した点におそらくソシュール記号学の最大の功績を認めうるだろう。しかしながら、われわれはこの種の解明が―控えめに言って―画龍点睛を欠くというおもいを深くせざるを得ない。 問題はソシュール記号学が抱え込んだ根拠のないドグマとし…

複数主義と世界の表情性

われわれはヴァージョンを制作しながら、同時に世界を制作する――グッドマンによる記号主義ないし世界制作論(theory of worldmaking)の核心は、こうした命題に要約することができる。ちなみにとは、知覚・科学・藝術などの主要な記号システムの連携的働きに…

からへ

パースは、生涯を通じて、記号のタイプを体系的に分類しようと、たゆまず考察を重ねた。もちろん彼から学びうるものは、この上なく大きい。しかし結局は、分類学>という問題設定そのものが――純粋な記号の存在を前提しているかぎり――誤りだと言わなくてはなら…

ソシュール記号学の脱構築 プログラム

ソシュール記号学の脱構築のためのプログラムの前半部分を掲げよう。すでに発表ずみの、拙著『恣意性の神話』勁草書房、第一章が基礎になっている。(なお、後半部分において、の議論からへの展開を予定している。)1 「記号論的障害」としての ミニマム人間…

すべては、という欺瞞に始まった?

ソシュール記号学が二つの原理を掲げていることはよく知られている。第一原理とは言語記号の恣意性であり、第二原理とは、言語表現の線形性のことである。 それぞれについて簡単にまとめておこう。記号の存在構造を二重性として把握した点にソシュールの卓見…

からの出発  ――20PLを越えて

折にふれ言語音の論理的生成を追跡してきたが、いまや獲物はほぼわれわれの手の中に収められたと言っていいだろう。それとともに記号学>もまた再発見されたと言うべきである。(記号学>の構想はすでに、菅野盾樹『恣意性の神話』で概略を述べている。) 初め…

初発のアイコンはインデックスでもある

かつてハーヴァード大学で研修していたときのこと。地下鉄駅近くのカフェ―たしかイタリアンだった―で食事したのを想いだす。セットメニューを注文したところ、女性店員にある品物を手渡されこう言われた、「これを持っててね」と。それは、調理場にあった変哲…

の修辞学

1 の比喩を調べてみよう。とはいえ、ここでの観察は日本語に限られているし、その日本語も通時態の片端をカバーするものでしかない。観察のこの狭さを充分に拡張することが残された課題だろう。この点をあらかじめ明言しなければならない。 さて、われわれ…

言語音の誕生 ――共鳴する身体

はどのように生成したのだろうか。この問いは、心理学や言語学の分野でしばしば問われる「言語はどのように獲得されるのか」という経験的問いとは一線を画している。(とはいえ、無関係というわけではない。)むしろこの問いは、という存在者がどのような論理的…

ソシュール主義における形相主義 ――その克服へ

自らの記号思想を前進させようと試みる者にとって、ソシュールの記号思想が先導の役割を果たすことは確かである。しかしながら、ともに歩みを運びはじめるとすぐに私たちは隘路につきあたる。彼の記号観を規定する――必ずしもソシュール自身にとっても自覚さ…

ポンペイの輝き――歴史記号学の構想

西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の爆発は、南イタリア・カンパニア地方の諸都市を――生きた人々の生活と文物とをもろともに――灰の底に沈めた。2000年の眠りから呼び覚まされたこの悲劇の古代ローマ遺跡が、いまBunkamuraザ・ミュージアムに戻ってきている…

言葉はどのように生成したか ――シノプシス

母親の胸にだかれたゆうちゃん(生後9ヵ月)があぁと感嘆の声をあげながら指さしをした(やまだようこ『ことばの前のことば』新曜社)。文字通り初発のこのの記号機能はどのような構造をそなえているのか、そしてこの機能は――身体性の変容として――どのよう…

構造主義を超えて――跳躍台としてのイェルムスレフ

イェルムスレフ(L. Hjelmslev, 1889-1965)は言語学におけるコペンハーゲン学派>のリーダーとして知られる。コペンハーゲン、プラハそしてパリで言語学を修め、1931年ウルダール(Hans-Jørgen Uldall)とともに言語学研究サークルを組織し、新しい言語理論G…