言葉はどのように生成したか ――シノプシス

namdoog2006-06-02

 母親の胸にだかれたゆうちゃん(生後9ヵ月)があぁと感嘆の声をあげながら指さしをした(やまだようこ『ことばの前のことば』新曜社)。文字通り初発のこの<指さし>の記号機能はどのような構造をそなえているのか、そしてこの機能は――身体性の変容として――どのように創発されたのか。記号学の基礎部門に属するこうした問題について、すでに筆者は見解を明らかにしている(「「指さしの記号機能はどのように発生するか――あるいは、<ゆうちゃんの神話>」『現代思想』、2004年7月号)。当然ながら、これを書いたときに筆者は続編の必要性を痛感していた。本来的な意味での<言語>がどのように生成するかを記述しなくてはならない。幼児の指さしと発話が開始される時期がおおむね重なり合うという事実も問題の解明を促しているように思える。
 この問題の究明のために目下K君と準備を重ねつつある。今日のセッションで問題への見通しがよほど明確になってきた。二人の議論の成果はいずれ論文にまとめる予定でいるが、いずれにしてもその内容は、以下に列挙する事項を下敷きにしたものになるだろう。
 1)哲学的議論というものはえてして抽象的な言葉の乱舞になりがちだが、具体性に足をふまえた議論を展開する必要がある。そのために事例をつねに念頭におくべきだ。我々が用意した事例はこうである:公園でよちよち歩きをする幼児がいっせいに舞い降りたハトに手を差し伸べ/ポッポ/に近い発語をやってみせる。(これは初発の発語であることが想定されている。)
 2)この言葉は記号機能としては<例示>にほかならない。(ただし字義的にではない。比喩的例示である。とすると、<表出>(expressin)の見込みが高い。この点をさらに考察する必要がある。)
 3)<例示>として、この言葉は一方でハトの属性を共有している。すなわちこの言葉はいわゆるオノマトペにほかならない。ハトの属性(その啼き声)を身体運動としての発話が所有していることは明らかだ(運動の所産としての音声も運動の要素である点に注意)。しかし他方で、ハトがまさに<ハト>というタイプ(普遍者)としてカテゴリー化されたのだ。以上をまとめると、この発話の場に我々が認めるのは、(身体記号機能の発現=身体運動=)記号系と(生きもの=知覚物=)記号系との自己関係にほかならない。(グッドマンの用語では、前者は「ラベル」)
 4)対象とラベルとはどちらも記号系なのだが、属性を共有するかぎりにおいて<類似>の関係にある。すなわち、初発の言語は身体性の能力である<模倣>に基づくのだ。この論点はモデル論への展開を予想させる。(このモメントは、指さしの場合には、<対象を掴んで示す行動>にほぼ対応する。)
 5)タイプの成立は数学的構造の生成を条件とする。なぜなら、幼児はこのとき初めて目前の生きものが<ハト>(=タイプ)であることを認知したのであるが、それが可能であるのは、このタイプが他のタイプとは異なることを幼児が掴んだからだ。<差異>の認知は<一なるもの>(unity;unit;one)の把握なしにはありえない。
 6) <一なるもの>の<反復>によって<多なるもの>(plurality;many)が成立する。しかしそれはどのようにしてなのか。身体運動はこの事態にどのようにかかわるのか。
 7)<一なるもの>と<多なるもの>との問題は、じつは二重にハトのカテゴリー把握にかかわる。なぜなら幼児が知覚するのは、<個別者としてのかぎりでのハト>だからである。だとすると、個別者の知覚が先なのか、それともタイプの把握が先なのか、それとも…という問題がある。〔(5)〜(7)はどちらかというとK君の守備範囲である。〕
 8)例示と外延指示(denotation)との関連は?われわれは<例示>が記号機能の原型だとみなすのであるから、では外延指示はどうなるのかという疑問が生じる。つまり構想の中に外延指示を位置づけることが求められている。これについて今日の議論で一応の決着をつけることができた。すなわち、<外延指示>には記号機能としてのリアリティはない。
 9)とはいえ、<外延指示>の観念はある程度の有効性をもっている。この事実を説明しなくてはならない。この問題に関しては、こう言える――外延指示のいわば心理学的理由はいろいろあるに違いないが(世界の内部的存在者であることから虚構として解放されたい、等)存在論的には、例示の<物象化>の所産として外延指示が構成されると見なしたい。この見地から、ソシュール的記号概念と(例えば)ロック的なそれとの違いと関係が同時に説明できるだろう。
 以上の事項を記号主義(グッドマンとパース)および数学生成論(カヴァイエス)を援用しつつ、我々独自な見解を掘り下げることによって、肉付けすることが求められている。
 (補遺:以上のプログラムが、アイコニックな言語記号=アイコン(パース)に対して妥当であるのは確かだ。しかし言語記号はすべてがアイコンなのかといえば、そうとは思えない。パースの記号分類学では、ほかにインデックスとシンボルが残っている。問うべきは、我々の問題へのパースの記号分類学の有効性そのものを問いながら、<類似>が直接に構成原理にならない言語記号をどのように扱うかを掘り下げることである。6月8日)