2010-01-01から1年間の記事一覧

知覚における算術の誕生 (8)

こうして見てくると、音階が音楽のを決定する最大の要因であることが分かるだろう。あらためてスタイルとは何だろうか。 この概念は基本的に存在論的概念として理解されなくてはならない。styleはたいてい「様式」や「文体」などと訳されるが、語源をさかの…

知覚における算術の誕生 (7)

前期のメルロ=ポンティの思想において、セザンヌの画業に示された真理とは、主体としての身体ならびに知覚の認識論的かつ存在論的優位ということだった。具体的にはセザンヌの色彩観にメルロは多大の影響を受けている。たしかに物象(もの)が見えるのは輪郭…

知覚における算術の誕生 (6)

科学的認識の知覚主義による基礎づけの問題を攻略するために彼が構えた戦略は、身体運動(表情ある身振り)から言語行動が開花するプロセスを跡づけ、これと並行して身体運動としてのアルゴリズム(数えること=算術)から数学への展開を記述することを基軸…

知覚における算術の誕生 (5)

背負った課題を解決しようとメルロが傾けた努力ははたして報われたのか、初期のメルロの構想が後期でほんとうに新たな展開をなしとげえたのか、それを訊ねなくてはならない。繰り返しになるが、彼の初期の「表現論」から引き出されるいくつかの論点が彼の戦…

知覚における算術の誕生 (4)

メルロ=ポンティには、当初から、知覚主義による科学的認識の基礎づけという哲学的モチーフがあった。(彼がこのモチーフを獲得し生涯にわたりこれを堅持したことについては――知覚に着眼したのは彼のオリジナルな洞察だが――フッサール現象学の大きな影響を見…

知覚における算術の誕生 (3)

一般相対性理論の確立には非ユークリッド幾何学が重要な役割を果たした。19世紀に非ユークリッド幾何学が構想されるまで、幾何学といえば、ユークリッド幾何学のことに決まっていた。ギリシャのユークリッド(前330年〜前275年頃)が著書『原論』として大成…

知覚における算術の誕生 (2)

メルロ=ポンティが、1948年に、7回連続のラジオ講演を行った記録がある(Maurice Merleau-Ponty, Causeries 1948, Seuil, 2002)。それ以前に、彼は博士論文を構成する二つの著作をすでに刊行していた。とくに主論文「知覚の現象学」が1945年に出版されるや…

知覚における算術の誕生 (1)

知覚はすでに表現――もちろん言語以前の――であり、それを「黙した言葉」と比喩できるかもしれない。言葉は様々な方向に伸長して文学、科学、その他、あらゆる言語表現の営みとして綺羅を競っている。だが人間が能くする表現は言語的な種類にはかぎられない。…

フーコー・ブッダ・グッドマン (11)

――自己の技法から自己が立ち現れる―― 1984年に亡くなったフーコーは、それに先立つ数年の間、精魂をかたむけてある研究テーマに挑んでいた。それが「自己の技法(テクノロジー)」の問題系だったことは、よく知られている。 この主題を筆者なりに整理し筆者…

ギブソン学派の直接経験論はどこまで妥当か

小論「フーコー・ブッダ・グッドマン」の続きは次の機会に書くとして、前から気になっていたギブソニアンたちの教条の一つである「直接経験」(実質的に「直接知覚」とほぼ同じである)についてわれわれなりの断案ざっと提示しておきたい。といっても文献の…

フーコー・ブッダ・グッドマン (10)

記号主義の哲学にとって最大の問題のひとつは、他者の存在論であろう。ところで、他者とは、(デカルトに言わせるなら)〈もう一人の自己〉(alter ego)であるから、その限り自己無くして他者は存在しない。自己の立ち姿が鮮明になればなるほど他者もまた鮮…

フーコー・ブッダ・グッドマン (9)

記号系の再帰的構成としての阿頼耶識 仏説のひとつの核心は唯識思想によって明らかにされ展開されたが、この唯識思想が、本質的にいって、記号主義の古代的表現だった点を疑うことはできない。記号主義とは、端的に言って、世界あるいは実在を記号系の再帰的…

フーコー・ブッダ・グッドマン (8)

阿頼耶識とは何だろうか 唯識の根本をなすのは、「現実に認められる外的現象と内的現象とはすべて、なにか或る根源的なものによって表わされたものにすぎない」という思想である(横山紘一『唯識思想入門』、レグルス文庫、p.93)。繰り返しになるが、これは…

フーコー・ブッダ・グッドマン (7)

仏説とりわけ唯識に「唯心論」のラベルを貼るのはどこまで許されるのか。西洋哲学史においてspiritualism(この語を日本人は「唯心論」と訳してきた)といえば、何よりもmaterialismつまり「唯物論」に対立する存在論的見地を意味した。唯物論とは、精神とか…

フーコー・ブッダ・グッドマン (6)

一般に仏説は〈自己〉という問題群をめぐる倫理学説(その基礎としての存在論を含んだかたちでの)の色彩に色濃く染められている。その証左の一端をあげよう。例えば、最古の経典のひとつである『法句経(ダンマパダ)』はブッダその人の教えを伝えていると…

フーコー・ブッダ・グッドマン (5)

超越論的記号理論としての世界制作論 グッドマンの世界制作論が駆動するための重要な理論的機関として、記号の「指示理論」(theory of reference)がある。これは他に類例のないグッドマン独自の業績であり、現代における認識論哲学にグッドマンが確乎たる…

フーコー・ブッダ・グッドマン (4)

グッドマンの「世界制作論」はヴァージョンの複数性を果敢に認めている。この意味で、彼の見地は、多元主義(複数主義)(pluralism)と呼ばれる。しかしながら、この複数主義(ただ一つのこの世界(the world)だけがあるのではなく、複数の、ことによると…

フーコー・ブッダ・グッドマン (3)

グッドマンの「世界制作論」はフーコーの哲学――一口で全体のイメージにそぐう名称を思いつかないが、ひとまず「知の考古学=系譜学」と呼ぶことにしよう――と多くの共通点をそなえている。 グッドマンによれば、ある主題は、存在論的かかわりにおいて異なる、…

フーコー・ブッダ・グッドマン (2)

グッドマンは、「世界制作論」という自らの哲学的構想が、近代哲学の主流をなすことを高らかに宣言しているが、同時にこの構想が〈記号主義〉を機軸として構築されたことも明確に謳っている。 ……私は本書〔『世界制作の方法』〕が近代哲学の主流に属すると考…