2011-01-01から1年間の記事一覧

メルロ=ポンティ『知覚の哲学』、解説にかえて

今回、メルロ=ポンティ『知覚の哲学―ラジオ講演1948年』が筆者の翻訳と注解を一本として、ちくま学芸文庫から刊行された(7月10日)。これを機会に、本書について筆者の見地から解説を行いたい(なお本文は文庫版の文章と基本的にはほぼ同じであるが、省略な…

世界制作論の現在

昨年、あいついで注目すべき論集が刊行された。まず書名その他をご紹介したあとで、なぜこれらが(少なくも)筆者の関心を惹きつけたか、少しばかり理由を述べよう。一冊目は、Cultural Ways of Worldmaking: Media and Narratives (Vera Nünning, Ansgar Nu…

詩は認識を遂行する記号システムである

『知覚の哲学』(ちくま学芸文庫、7月10日刊行)でメルロ=ポンティがマラルメに論及しながら、〈詩的認識〉について述べているところがある。該当する箇所を引用しよう。 言葉は自然の事物を表意するためにつくられたものです。すでにかなり以前に、マラルメ…

〈オブジェ〉の存在論のために

オブジェ・トゥルヴェ(objets trouvés)は、日常語としては「落し物」、「拾得物」をいう。美術の用語としては、自然のものであれ人工物であれ、藝術家が意図して制作したものではないが、それに何らかの美的価値をみとめて「拾いあげたもの」を意味する。―…

言語の実像をつくり直す

――レトリック探究が哲学の現在の営みにとってどうして重要なのか―― 草稿『日本認知言語学会論文集』に掲載予定1 伝統的言語学はレトリックを扱えない ここで私たちがおこなう予定でいるのは、〈言語の意味〉の観点から、旧来の言語観を問い質すことをつうじ…

臨床的眼ざしの誕生――医療の記号論

〔本稿はかつての草稿に推敲を加えた改定版である。〕記号学/記号論の構想はをとりこめるか 医療という社会的実践そのものが、パースのいう意味での記号過程(semiosis)にほかならない。この認識を多くの人はまだ共有してはいないようにみえる。たとえば緩…