世界制作論の現在

namdoog2011-06-24

 昨年、あいついで注目すべき論集が刊行された。まず書名その他をご紹介したあとで、なぜこれらが(少なくも)筆者の関心を惹きつけたか、少しばかり理由を述べよう。一冊目は、Cultural Ways of Worldmaking: Media and Narratives (Vera Nünning, Ansgar Nunning, and Birgit Neumann ed., De Gruyter, 2010) である(以下でCWWと略す)。ネット上の情報から、やはりAnsgar Nünning と Birgit Neumannの二人が編纂した、The Aesthetics and Politics of Cultural Worldmaking という本 (APCW) がWissenschaftlicher Verlag Trie から 2011年に出版されている。
 (ついでながら、前者はアマゾン日本の洋書のカテゴリーで検索するとヒットするが、後者は出てこない。amazon.com あるいはamazon.uk などのサイトでもヒットしない。これはおそらく後者の出版社が大手ではないせいだろう。)
 これらの論集が注目に値するのは、グッドマンが――晩年にはエルギンと連携して――構想した「世界制作論」(theory of worldmaking)が、これらの論集によって真に新たな展開を遂げたようにおもえるからである。もしこれが事実なら、これらの著作の出現以降に試みられる世界制作論(原理論および事例研究)については、グッドマン/エルギンの理論を「古典的世界制作論」とみなし、それらの試みとは区別する必要があるだろう(もちろん、ここで言うのは単に時期の問題ではない)。
 二冊の論集の目次を以下に掲げておこう。


CWW:
I. THEORETICAL APPROACHES TO WAYS OF WORLDMAKING
SEVENCONNOR: 'I Believe That the World'
HERBERT GRABES: Three Theories of Literary Worldmaking; Phenonenological (Roman Ingarden), Constructivist (Nelson Goodman), Cognitive Psychologist (Schank and Abelson)
BEN DAWSON: Worldmaking as Fate
FREDERIK TYGSTRUP: The Politics of Symbolic Forms
II. MEDIA AS WAYS OF WORDMAKING
BIRGTT NEUMANN and MARTIN ZIEROLD: Media as Ways of Worldmaking: Media-specific Structures and Intermedial Dynamics
KNUT OVE ELIASSEN: Remarks on the Historicity of the Media Concept
STEPHEN SALE: Do Media Determine Our Situation? Friedrich Kitter's Application of Information Theory to the Humanities
ULRIK EKMAN: Irreducible Vagueness: Augmented Woridmaking I Diller & Scofidio’s Blur Building
MATTHEW TAUNTON: World’s Made of Concrete and Celluloid: The London Council Estate in Nil By Mouth and Wonderland
III. NARRATIVES AS WAYS OF WORLDMAKING
ANSGAR NÜNNING: Making Events―Making Stories―Making Worlds: Ways of Worldmaking from a Narratological Point of View
VERA NÜNNING: The Making of Fictional Worlds: Processes, Features, and Functions
INGER ØSTENSTAD: Literary Worldmaking
CAROLINE LUSIN: Writing Lives and ‘World’: English Fictional Biography at the Turn of the 21st Century
HANNA BINGEL: Fictional Narratives and Their Ways of Spiritual Worldmaking: (De-) Constructing the Realm of Transcendence in City of God by Way of Metafiction and Multiperspectivity
ELISABETH WAGHÄLL, NIVRE and MAREN ECKART: Narrating Life: Early Modern Accounts of the Life of Queen Christina of Sweden (1626-1689)
RENÉ DIETRICH: Seeing a World Unmade, and Making a World (Out) of Remains: The Post-Apocalyptic Re-Visions of W.S. Merwin and Carolyn Forché


APCW:
I. THE POLITICS OF WORLDMAKING
FRANCESCO PITASSIO : Making the Nation Come Real
Neorealism / Nation: A Suitable Case for Treatment
ERIK GRANLY JENSEN :“Communist Signals”: Broadcasting and Sci-Fi Worlds in Walter Benjamin
ANETTE STORLI ANDERSEN : Theatrical Worldmaking: How the Norwegian Constitution was Prepared within the Theatre
ENRICO LODI : A World of Violence: Representations of the Spanish Civil War
II. WORLDMAKING IN LITERATURE
HEIDE REINHACKEL: Weaving the Infinite Tissue: Poetics of Textuality in W. G. Sebald’s The Emigrants and The Rings of Saturn
IRINA BAUDER : “Your Writers have instituted a World of their own”: Possible Worlds in Eighteenth-Century Romance and Charlotte Lennox’s The Female Quixote (1752)
STEFANIE SCHAEFER : Birth by Narrative: Narrative Self-Making in Autobiographical Fiction
ALEXANDER BAREIS : Science Fiction vs. Fiction Science: On the ‘Principle of Genre Convention’ as an Exploration Rule for Fictional Worlds
MIKKEL ASTRUP: Literary Desires of Samuel Beckett’s Worldmaking
III. WORLDMAKING IN OTHER MEDIA: MUSIC COMPUTER GAMES, AND INSTITUTIONS
MARTIN LUTHE : “If I Could Build My Whole World Around You”: How Motown ‘Made’ the Sixties
RUDOLPH GLITZ : Making Worlds Historical: The Political Aesthetics of Sid Meier’s Civilization Series
ANNA SEIDERER : The Postcolonial Museum as a Way of Worldmaking


 さて、第一の論集(CWW)については匿名の著者によるかなり詳しい内容紹介が若干のコメントをつけてネット上に資料としてあがっている(http://www.wordtrade.com/philosophy/)。この資料を素材に、ここでは、CWWの内容紹介ならびに筆者の視点からする多少の感想を記しておきたい。
 CWWの目的は、グッドマン世界制作論の文化理論としての有益さを掘り下げ、現在行われている多くの文学・文化研究によってその欠けた部分を補いつつ、新たな展開を図ることである。全体として本書は、三つのキーコンセプトないし論点に焦点を絞っている。すなわち、1)世界制作の方法への理論的アプローチ、2)世界制作の方法に関するメディアが果たす役割、3)同様にナラティブが果たす役割、である。これら概念の解明をつうじて、古典的世界制作論では主題化されることがなかった文化的価値 (cultural values) や権力関係 (power relations) をこの理論枠組みのなかで取り扱うことが可能になる。
 古典的世界制作論においては、たがいに拮抗する世界ないし世界ヴァージョンとして、具体的にはおおよそ科学、日常生活、藝術の三者がつねに論及されていた。これらのヴァージョンの関係は必ずしも単純なものではない。かつて天動説は日常生活(日常的言説)とつながったひとつの科学的言説であった。その上、それにはある種の美学的感覚もともなっていた。しかし、グッドマンは世界=ヴァージョンをこれらの三者あるいはそれらの組み合わせだけに限ったわけではない。彼がこれら三つに特別な関心を寄せた動機は、哲学研究の状況に由来する。
 同時代の哲学者セラーズ(Wilfred Sellars)が打ち出した論点もグッドマンと同様の背景をともなっていた。セラーズは科学的知識に全幅の信頼をこめて「科学は万物の尺度である、存在するものについては、それが存在することの、存在しないものについては、それが存在しないことの」と明言した。しかし〈この世界に帰属する人間〉(man-in-the-world)を理解するために科学が万能ではないこと――この点をセラーズは否定しない。こうした状況に身を置く哲学者の役割は何だろうか。彼によれば、〈この世界に帰属する人間〉の完璧な記述を達成するために、二つの知的探究が競合しているのがわかる。
 セラーズは二種類の理論構築のおのおのを「自明な世界像」そして「科学的世界像」と呼ぶ。重要なのは、単に前者が後者へと直線を描いておもむくわけではないということだ。むしろ両者は――複眼視のように――いつでも協働しあっている(菅野盾樹編『現代哲学の基礎概念』、大阪大学出版会、2008年、「自明な世界像と科学的世界像」の項目を参照)。このように、グッドマンもセラーズも、科学的認識の絶対的優位性を相対化するという哲学思想を展開したことでは共通している。――セラーズのほうが、科学的認識にずっと大きな比重をかけていたのだが。
 『世界制作の方法』(菅野盾樹訳、ちくま学芸文庫、2008年)が考察を集中したのは、事実上、科学・日常生活・藝術という三種の記号学的実践の領域だったが、しかしグッドマンは世界=ヴァージョンのタイプが三つのタイプに尽きると主張しているわけではない。本書の冒頭で彼は自問してこう記している。「(……)多くの世界があるというのは、正確にはどういう意味でなのか。本物の世界をいつわりの世界から区別するものは何なのか。世界は何から作られているのか。その制作にさいして記号はどのような役割を果たしているのか(……)」(同書、18頁)。
 もちろん本書でグッドマンはこれらの設問に部分的に答えを与えている。しかしながら、その後エルギンと二人で出した本『記号主義』(菅野盾樹訳、みすず書房、2001年)をひもとけば明らかなように、これらの問いはそこでも再び取り上げられその解明に著者たちは懸命に取り組んでいる。要するに〈世界制作の問い〉はいつでも開かれた問いであり続けている。そして、同じこの問いを継承することによって、今回新たに二冊の論集が編まれることになった。
  CWWは〈世界制作の問い〉に純粋な哲学(そんなものがあるとして)の見地から挑んだわけではないし、グッドマンの記号論の解釈をやってみせたものでもない。さらに言って、この論集は、グッドマンの業績がどのように受容されたかについて歴史的概括を与えたものでもない。繰り返すことになるが、本書の目的は、世界制作論の有益さと射程を測り、それを補完する多くのアプローチ・問い・視点などを提供することにある。
 グッドマン/エルギンがそう明言するにもかかわらず、世界制作論はまだ global project (包括的事業)の域に達してはいない。換言すれば、明らかに、記号系の〈比較研究〉のはばが限定されているのである。古典的世界制作論が手をつけていない「制作の方法」が残されている。これに加えて、グッドマンが彼の体系から除外したいくつかの基礎的主題(価値、歴史、政治など)も見逃せない。
 CWWは、こうして、古典的世界制作論を拡張し補完し強化する試みだと言えるだろう。古典的世界制作論は記号学的実践の「同時的(synchronic)かつ体系的な地図」を描こうと企てた。結果として得られたのは、普遍的学問としての世界制作論であったといって大過ないだろう。これに対して、CWWの各章は、個別的な文化や文学、あるいは歴史的文脈において世界制作の方法がどのように働くかを考察し論究している。
 世界制作の方法は既存の個別文化と互いに影響を及ぼしあう。グッドマンが言うように「世界制作は(……)つねに手持ちの世界から出発する。制作とは作り直しだ」(the making is a remaking)からである(前掲書、26頁)。この再帰的な制作過程のただなかに、著者たちは〈メディア〉と〈ナラティブ〉の働きを再発見する。
 なぜこの二つなのだろうか。ほかに世界制作の方法が装備するツールはないのだろうか。この二つのタイプの記号学的実践を抜き出した理由は、おそらく、社会学的ないし歴史的観察に由来する。いずれにしても、これら実践のタイプを主題化したことで、CWWは古典的世界制作論の枠組みを拡張し(少なくとも拡張しようと試み)、新たな理論的段階に前進したのである。(つづく)