2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

俳句の世界制作法 ノート(9)

第一は、現代俳句とそれ以前の俳句とを比較してどういうことがわかるか、という論点である。問題はかなり複雑でありいま十分に議論を展開する余裕がないので、一点をあげるにとどめる。〈現代俳句〉における〈写生〉は、二つのものの「対立や衝突ないし相克」…

俳句の世界制作法 ノート(8)

映像を制作する技法としてのモンタージュはふたつの力能をそなえている。ひとつは、人が慣れ親しんだ日常的な――ある意味で凡庸な――映像に含まれた可能的連想を断ち切る〈否定の力〉である。第二には、この貧しくされた素材としての映像をあらたなイメージの…

俳句の世界制作法 ノート(7)

の記号学的機能と構造を解明することによって、従来、問われずに放置され、匿されてきたいくつかの論点に、真の問いの資格がもたらされるだろう。同時に、〈現代俳句〉はもとより前近代における〈俳諧〉の文化に対して、文化史の上の位置づけが与えられこと…

俳句の世界制作法 ノート(6)

〈写生〉という技法ははじめから――その提唱者によってさえも――あらゆるエセ哲学的な誤解にまみれていた。〈写生〉を墨守する作家たちとそれに叛旗をひるがえした作家たちの争いは、客観を重視するかまたは主観を重視するか、などという愚にもつかない選択肢…

俳句の世界制作法 ノート(5)

〈写生〉が作者の感情または「感動」を表現する技法にはなり得ない、という見解は、たとえば次のような発言に明らかである。 「なんらかの情感の起伏が俳句という文学形式の中に、言語の媒体によって伝えられる。俳句の中にそれが再生産され、読者は作者の感…

俳句の世界制作法 ノート(4)

総じて言って、『俳諧大要』だけではなく、子規が執筆した俳句論はみな過渡期の産物にすぎない。それらは、当時行われていた怪しげな哲学的概念(文学理論、藝術学など)のごった煮のなかにすぐれた洞察がいくつか混じっているという風の、シェフが試作中の料…

俳句の世界制作法 ノート(3)

高濱虚子によると、子規は「不折という男は面白い男だ」と口癖のようによく言っていた。明治20年代末の頃である。「お前も逢つて御覧、画の話を聞くと有益な事が多い、俳句に就いての我等の意見とよく似て居る。」*1 文学史家によれば、現代日本語における俳…

俳句の世界制作法 ノート(2)

表現としての俳句の記号学的構造と機能を考察することを通じて、日本語の哲学のありように多少ともさぐりを入れてみる――これがこのノートの課題にほかならない。 これに着手するにはどんな方法をとるべきだろうか。なるほど、俳句なる文藝の成立とその展開の…

俳句の世界制作法 ノート(1)

古くから日本語の話者たちは――彼らをここでは「日本語人」と呼ぶことにしたい――5音と7音とを組み合わせて韻律を生成しこれを基礎とする詩形をたえず作ってきた。この詩形は記紀の時代に出現したが、以来今日にいたるまで、その制作は千年以上におよぶ歴史を…