俳句の世界制作法 ノート(4)

namdoog2008-05-16

 総じて言って、『俳諧大要』だけではなく、子規が執筆した俳句論はみな過渡期の産物にすぎない。それらは、当時行われていた怪しげな哲学的概念(文学理論、藝術学など)のごった煮のなかにすぐれた洞察がいくつか混じっているという風の、シェフが試作中の料理の品々だといってよい。
 すでに引用した(1)において、子規は〈作者の理想〉と〈事物のありの儘〉を対比的概念として打ち出している。この対比には、〈主観 / 客観〉、〈空想 / 写実〉*1、あるいは〈叙情 / 叙景〉*2、〈主観句 / 客観句〉 *3――つまり「作者の考え(知識にても感情にても)を述べたる句」と「見たまま聞いたまゝをいへる句」の対比――などがあわさって系列をなしている。
 ふつうの会話に例えば「主観」という用語を遣うのは今でこそめずらしくもないが、これはもと哲学の専門用語であったし、子規はこれを理論的文脈で使用している。
 現代日本語の話者が俳句をものするとき、口をついてでる言葉は話者が生み出したものではない*4。むしろ話者がすでに人々が言葉を話している共同体にあとから生まれてきたのだ。すなわち、現代日本語は「客観的現実」の一部をなす。ところが、言葉を話すのは不可視の共同体などではなく、肉体をそなえたこの「主観」あるいは「主体」である。これがパラドックスでなくて何だろうか。
 ここに認められるのは、俳句の制作を理論として語りだすとき〈主観 / 客観〉などという対比概念を無批判に遣ってはならない、というシグナルである。
 子規は個々の俳句の属性を数値化できるような言い方さえする。果たして子規はある俳句がどれだけの主観性をもつかを計量するための計算式を知っていたのだろうか。(子規は大まじめである。)
 葱買ふて枯木の中を戻りけり  蕪村
 この句について子規の曰く――この句が蕪村その人の行動を詠ったものなら主観的と言えるが、そう断定するほど主観が多くはない。葱も枯木も客観であることに加えて、「買う」と「戻る」が現在の行為をいうかぎりで主観と客観があいなかばしている。つまり子規は、現在形で叙述された行動はタイプとしての行動であるから、純粋に個別的主観の行為とはいえない、と言いたいらしい。
 結論として子規はこう言う。「俳句に純客観という句も余り多からざれど、それよりも主観句(すなわち主観の部分多き句)というべき句は猶稀なり。俳句の多くは客観八九分に主観一二分を交えたる者なるべし。」つまり彼の「計算」では、俳句の含む要素はたいてい主観的なものが80〜90%、客観的なものが10〜20%だという。*5子規はどんな計算式でこの答を割り出したのだろうか。彼は式を隠しているのか。いや、そんな式はないというのが真実だろう。
 〈主観 / 客観〉と類縁をなす対比のなかで、〈写生〉にとってとりわけ問題性をかもすそれは〈感情 / 知性〉の対比である。〈叙情句〉と〈叙事句〉というカテゴリー区分がこの対比を基礎とするからである。子規の俳句論以降、俳句を論じる際にはこの区分やこれに密に結びつく対比がつねに蒸し返されてきた。子規の〈写生〉から虚子の〈客観写生〉へと継承されたこの技法(ひいてはこの技法が含意する俳句の本質論)が「俳壇」の正統派を形成することになる。*6
  きわめて大雑把にいうと、異端派は、正統派の技法が主観性、想像力、物語、抒情性、感情などを俳句表現に盛りこめないとして、その限界を超えるべく新たな技法を懸命にさぐったのである。彼らのじつに多彩な表現の試みは〈写生〉を否定しあるいは〈写生〉の誤解を糺すことをめぐって展開された。
 正統派からは異端視され「前衛」を自認した彼らの試みはついには俳句の条件とされた定型と季語の存廃にまでおよんだが、ここでは考察を〈感情 / 知性〉の対比に絞りこみたい。 (つづく)

*1:いずれも『俳諧大要』にある。前掲書参照。

*2:『随問随答』、前掲書、p.447.

*3:同書、p.450.

*4:新造語という稀な事例は当面の問題に関係しない。

*5:『随問随答』、前掲書、p.451.

*6:現代俳句が発祥した段階(明治30年代)にいちはやく異端派のうごきがあったことは注目に値する。子規に師事し現代俳句の創生に役割を演じた河東碧梧桐(画像を参照)は、子規の没後「新傾向俳句」を提唱し自由律の句の制作におもむいた。作品の一つをあげる。「ミモーザを活けて一日留守にしたベッドの白く」 こうした事態を説明するものは、〈写生〉観念の曖昧さであろう。