俳句の世界制作法 ノート(5)

namdoog2008-05-22

 〈写生〉が作者の感情または「感動」を表現する技法にはなり得ない、という見解は、たとえば次のような発言に明らかである。
「なんらかの情感の起伏が俳句という文学形式の中に、言語の媒体によって伝えられる。俳句の中にそれが再生産され、読者は作者の感動、情感の波長をさながらに追体験することができる。」*1
 これは自由律の「俳句」を主張する論者の見解だが、これとは別の立場――定型を基本としつつ季語にはこだわらないという立場から俳句制作にたずさわっている作家も異口同音にこう述べている。「詩は叙情を基本とし、定型詩の韻律はとくに叙情できまる。その叙情の質を「感の昂揚」が決めるのだ。」*2
 近代主義の哲学が後生大事にしていた〈主観〉がやがて哲学思想のるつぼで溶解してしまったいきさつに20世紀の現代俳句の作家たちが無頓着なのには驚かざるを得ない。
 他方、子規が生涯(1867年―1902年)を過ごしたのは、日本社会が近代化の緒についた時代であり、近代的自我が殊更に強調されたことは想像にかたくない。知識人たちは不器用に〈自我〉を生きようと懸命につとめたのである。二三の人物の生涯と事績をふりかえればこれはおのずと明らかである。
 例えば高山樗牛はほとんど子規と生きた時代が重なっておりやはり若くして結核に斃れた(1871年―1902年)。彼はニーチェの紹介者であると同時に国粋主義を唱えまた日蓮の信奉者でもあった。もう一人同時代人をあげるなら、北村透谷(1868年―1894年)がいる(写真を参照)。自由民権運動に参加した後、運動に絶望してキリスト教に入信し恋愛至上主義を唱えたが、やがて精神を病み自裁している。
 ところで〈主観〉とは何かしら実体的で超越論的あり方をした存在者である。これが文学の文脈では上で述べた〈自我〉なり〈個我〉つまり一人称代名詞「私」で表意されるものに転換されることになる。
 もちろん哲学においては超越論的主観性と経験的主観性とは別物である。だが俳句を制作する作家たちにはこうした区別に対する感受性もまるでない。彼らは手放しで〈主観〉なるものに信憑を寄せているのである。(同じ文藝にたずさわる詩人や小説家との著しい違いのひとつが、ここにもあるのかもしれない。彼らはたとえ〈自我〉を称揚するとしても、同時にそれについて懐疑や懊悩をいだいていた。)
 こうして〈写生〉は主観なる存在者と外界つまり〈客観〉と能動的にかかわることであるとされるのである。しかもこの事態において〈客観〉はあらかじめ与えられた実在として思いなされている。このかぎりで、現代俳句の作家たちはカント以前の素朴実在論者であるらしい。
 〈感情〉と〈知性〉とを対立する心の働きと捉えるのは間違っている。いや、もっと正確に言おう。なるほどこれら二者を心の働きの別個のカテゴリーとして弁別する手続きは、心理学的に見て間違えではない。例えば胸につきあげる恐怖の感情は、二桁の二つの数を足す操作(暗算)とは心的経験の質においてまったく別物である。だからといって、感情と知性が「無関係」であるとか、さらに歩を進めて「対立的」だと言うことには根拠がない。あるいは、神経中枢において感情と知性がそれぞれ大脳辺縁系と新皮質の営みであるという知見から、二つの心的状態の存在構造とそれぞれの生成を切断することも許されない。
 感情は感情のままでいつでもすでに知的に機能する。反対に、知性は知性のままでいつでもすでに感情の彩りをもつ。知性と感情のこの対抗的相補性は日常経験の断片を少し丁寧に点検すればおのずと明らであろう。
 例えば、街灯もまばらな夜道を歩いていて突然黒い影が目の前をよぎったら、私は立ち竦んで恐怖の念に襲われるだろう。しかしもし私が重度のアルツハイマー病患者であるなら、恐怖の念など覚えないはずだ。というのも、私が帰属する記号環境を認知することが私にはできなくなってしまったからだ。こうして、感情はいつでもすでに知的機能と結合している。
 知性と感情の対抗的相補性を知性のサイドから確認することもできる。難解な方程式を計算するとき、私は戸惑いをおぼえ焦燥するかもしれないし、逆に問題の難しさに心が弾み勇躍する感情をおぼえるかもしれない。
 だがこの事例に対しては、計算そのものとその過程に付帯する単なる感情を区別できるはずだしそうすべきだ、という異論がでるだろう。
 もちろん概念上で純粋な〈計算〉と単なる〈感情〉を区別することが可能である。しかしカントが「概念上の銀貨をいくら分析しても、事実上の銀貨は出てこない」と言ったように、概念として可能だからといって、それが当の概念で表意されたものの存在を保証するわけではない。「単なる感情」や「純粋な知性」は人間性の要素にはなりえない。現実的な感情と知性のあり方はいつも――そう言いたければ――不純でしかないのだ。
 だからと言って、知性と感情には類的な差がない、両者にあるのは単に程度の差だけだ、という主張はばかげている。ある感情を薄めてゆけばいつかそれが純粋な知性に転化することなど想像さえできない。両者には歴然としたカテゴリーとしての差異が認められる。にもかかわらず、感情と知性の両者にもはや失われた本源的な同一性の痕跡を認めるべきだろう。いま生きている人間が何かの代償として支払ってしまったこの本源的心性を仮定することなしに、知性と感情の対抗的相補性を説明することはできない。
 〈感情〉のカテゴリーが高度に知的な内容を含みうることを知らなくてはならない。この点を確認するには漢語より英語のfeeling(動詞だとfeel)をつねに念頭にするほうがいいかもしれない。このfeelは、be aware of through physical sensation を基本的意義としている。すなわち、feelとは、身体感覚(とくに触覚)を通じて知ることを言う。辞書によれば、この意義が拡張して「明確な理由なしにあることを思いなす」(have a belief without an identifiable reason)という意義をもつようになったのが分かる。
 翻って考えてみれば、われわれの「知識」のほとんどの内容はこの種の思いなし(belief)にほかならない。科学者ではあるまいし、水が水素原子と酸素原子の化合物だという知識は、この意味での「思いなし」ないし「信念」にすぎない。このささやかな解釈学的断片からわれわれが打ち出したい要点は、知識が身体性を生きる人間の知識であるかぎりそれにはどこか「感情」の面が具わるし、反対から言えば、どんな感情も身体がそれを生きる限り知の資格を立派に具えているということ、このことである。
 例えば〈崇高〉という観念を考えてみよう。漢字二文字で表意できるにもかかわらず、では〈崇高〉という観念のなかみについて、完璧にとは言わないまでもかなりな程度まで精確に言葉で敷衍することはたやすいことではない。場合によっては〈崇高〉を記述するために一冊の書物をものさなくてはならないだろう。*3しかし非言語的な記号系による表現(絵画や音楽)が直截に〈崇高〉を表意する可能性が残っている。それというのも、絵画や音楽は、言語的な指示機能(外延指示)(denotation)とは種類の異なる指示の様態すなわち〈表出〉(expression)を得意とする藝術の形式だからである。*4
 エクスプレッション(< ex+press)は文字通り「感情の外への現れ」であり「表情」にほかならない。つまり絵画や音楽の作品は(比喩的な意味で)感情をおびて鑑賞者の前に掲げられ展開されているのだ。鑑賞者のサイドから言うなら、作品の感情を認知し共感することがすなわち作品を鑑賞するということである。要するに、〈崇高〉という抽象的観念はある意味で〈感情〉(feeling)以外のものではないと言わざるを得ない。 
 たいていの抽象的観念についても、同じような観察を施すことができる。一般に、ふつう高度に知的な理解の対象と見なされている抽象的観念――〈正義〉、<中庸>、<卑賤>、<力動性>、<美徳>、<調和>など――の存在様態は<感情>ないし<感じ>なのである。言い換えるなら、そうした観念は身体性の機能としての感性が捕捉するものであるかぎりで、知性と感性の力動性の焦点をなしている。
 心の機能という議論領域に以上の論証を移して再考するとき、一つの明らかな帰結が得られるだろう。すなわち、知性と感情の二項対立という図式は誤りなのである。
(つづく)

*1:上田都史『自由律俳句とは何か』、講談社、1992、p.17.

*2:金子兜太『俳句専念』ちくま新書筑摩書房、1999、pp.30-31.

*3:〈崇高〉についてはすでに古代において伝ロンギノスの『崇高について』がある。この観念は絶えず文人や思想家のテーマになってきたが、とりわけ18世紀におけるエドマンド・バークの『崇高と美の観念の起源』(1756)、イマヌエル・カント『美と崇高の感情に関する観察』(1764)が名高い。

*4:グッドマン『世界制作の方法』(菅野盾樹訳)ちくま学芸文庫、2008、菅野盾樹『恣意性の神話』勁草書房、1999など参照。