俳句の世界制作法 ノート(6)

namdoog2008-05-23

 〈写生〉という技法ははじめから――その提唱者によってさえも――あらゆるエセ哲学的な誤解にまみれていた。〈写生〉を墨守する作家たちとそれに叛旗をひるがえした作家たちの争いは、客観を重視するかまたは主観を重視するか、などという愚にもつかない選択肢をめぐって繰り広げられてきた。
 高浜虚子が「写生」の理念がなしくずしになる危惧をいだき、ご丁寧にも「客観写生」という造語までして、俳句を詠むに際してまぎれこみがちな〈主観的なもの〉の滅却を強調したこと、これは現代俳句の歴史においてよく知られた事実だろう。こうした正統派の見地に反発をおぼえる作家は少なくなかった。
 紙面の余裕がないので、ここにはただ一例をあげるにとどめたい。水原秋櫻子は句集『葛飾』の序において、次のように述べる。「我等の信ずる写生俳句の窮極は一にして二はない。然しながらその窮極に達せんとして作者等がとるべき態度は大別して二つあると言ふことが出来ると思ふ。その一は自己の心を無にして自然に忠実ならんとする態度、その二は自然を尊びつつも尚ほ自己の心に愛着をもつ態度である(…)私は第二の態度をとる。」*1
 秋櫻子の言いたい要点は、自然描写だけでは俳句という作品が成立しがたいこと、その描写の上に主観の「感情を移す」ことが必要だということである。俳句を構成するこの要素を彼は「調べ」と呼ぶ。
 秋櫻子の作品が俳句の表現世界に新たな境地を拓いたことは高い評価の的になっている。すなわち、わび・さび的な世界につよい類縁をたもっていた『ホトトギス』の正統的な表現世界にいわば華麗な近代絵画風の要素を秋櫻子は付け加えることに成功した、と。*2
 この批評に筆者は、喩えて言うなら単に50パーセントしか賛成できない。重要だと思えるのは、批評家が、〈写生〉の技法をここでも画家のスキルとのアナロジーで概念化しているという点である。すなわち秋櫻子は俳句を外光派(pleinairisme)*3が絵筆で描いたところを言葉で描いた、というわけである。
 しかし、秋櫻子が『ホトトギス』の客観重視のルールを打破して「新しい抒情性の回復を求めた」*4という積極的評価を字義どおりに受け取ることはできない。その理由についてはすでに述べた。客観と主観、叙景と抒情などという対比は、理論的語彙の資格をもたない、その場しのぎの言い回しに過ぎないからである。
 正統派の俳論が絶えず異端的見解を呼び起こし続けたいきさつを顧慮してのことであろうか、後年になって、虚子の「客観写生」がじつは「主観」や「調べ」をはじめから包含する技法であったと論じる者も出るようになった。また実際に、虚子自身がそうした主旨の発言を残してもいる。たとえば「客観写生で表現されたものが、おのずと作者の主観を表したものになる」のであり、抒情性や調べなどは、「客観写生に徹した中から、作者の個性によって、おのずとみじみ出てくる」というわけである。*5
 百歩いや千歩を譲ってあえて言えば、このような言い様は分からないでもない。だが理論的言説としては、この種の発言は、明らかに救いようのないほど非論理的であり、論点をうやむやにする蒙昧主義(obscurantism)だと言わざるを得ない。〈客観 / 主観〉の鋭い対立から話を始めて前者を原理としたはずなのに、それが実は後者でもあった、というのだから。(それはいつ、いかなる仕方でそうなるのか、そうなったら、そもそも最初の対比は無意味にならないか。)
                            *
 そこで〈写生〉である。元来それは画家のスケッチのことだった。美術の授業時間に先生が児童たちに「さあ、写生しなさい」とパフォーマティブ型の発言をしたとしよう。クラス一同はこれを聞いてなす術もなく途方に暮れるだろう。それというのも、何を写生するにしても、〈写生〉は反射運動の類でないのはもとより、歩くことや樹に登るといった身体技法、この種のなかば自発的な身体運動でもないからである。身体技法による身体運動は生体と環境との交渉であるかぎりですでに〈認識〉を包含しているが、〈写生〉ともなれば、プラクティカルな文脈から遊離しかかった、本来的な〈認識〉の所作にほかならない。
 目の前の花を写生することを考えよう。まなざしを花に向けて〈花とはいかなるものであるか〉と対象に〈認識の問い〉を投げかけなくてはならない。ふつうの言葉でいえば、花を写生するためには、対象を観察することが必要である。
 何のためだろうか。それは(花の〈形姿〉という原義のまま理解された)花のイデアないし形相を対象から摑みだすためである。*6
 子規が絵画における写生のアナロジーを俳論に持ち込んだことには二つの大きな意義がある。第一は、俳句の技法としての〈写生〉が認識の営み――水に影が映ずるという風の受動的な現象ではなく、自発的力の発現だということを、子規が明確に見通していたことである。
 自発的力の発現とは、認識主体が恣意的に力を揮うことではない。なるほど、花を別のものに見立てるとき、この比喩的認識はある意味で「恣意的」である。しかしこうした様式の知覚を〈写生〉とは言い得ないだろう。しかも、この種の比喩的認識には固有の制約と方向性が課せられている。そのかぎりで、形相を発見し制作する知覚に字義的な恣意性は許されていない。知覚することがすでに映像を描くことである。しかも同時に画家は――われわれの議論の世界では、俳句作家は――自らが視たものしか描くことをしないのである。*7
 第二に、<写生>を世界の制作法として確立したことが、他人の眼で見て美しいとされたもの、つまり「名所旧跡」の世界と俳句の世界とを切断したことの意義を評価すべきだろう。*8しかしこの言い方には注意がいる。この場合の〈切断〉の切れ味はどこかなまくらである。とはいえ、俳句制作の現場から伝承された美をいったん切り離す程度には、〈写生〉というナイフの切れ味は鋭いとしなくてはならない。この微妙なしかし重大な論点にはすぐ後でもう一度言及する。
 伝承の美との切断という機能を〈写生〉がもつことは、子規が「月並み」を否定したことにつながる〈写生〉の効果であり意義である。彼は『俳諧大要』の冒頭で高らかにこう宣言している。「俳句は文學の一部なり」と。*9 
 子規が現代俳句の確立に大いなる寄与を果たしたことは認めなくてはならない。しかし後述のように、大半の現代俳句は〈文学〉などという大げさなものではない。(俳句を貶めるつもりが筆者にないことを誤解のないよう明言しておきたい。)子規の本意はあくまでも、画家が新鮮な眼でものを見るように、あるいは、幼児が無垢の眼でものを見るように、現代俳句の作家は「自分の眼」でものの形相を摑みださなくてはならない、という点にあった。   (つづく)

*1:『水原秋櫻子集』、朝日文庫1984、本書に収められた、三橋敏雄「解説」(pp.353-368)に引用されている。

*2:例えば次のような俳句にこの点が見て取れるだろう。「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」、「べたべたに田も菜の花も照りみだる」(山本健吉「秋櫻子の句業」、『水原秋櫻子集』朝日文庫1984、pp.9-12.)

*3:19世紀後半のフランス絵画の一派。従来は野外でスケッチするにしても、画布を絵具で塗ることによって作品を制作するのはアトリエにおいてであった。これに反して、外光派は自然の空気や光を画布に写し取ろうとして、戸外で絵画を完成させたのである。

*4:三橋敏雄「解説」、同書、pp.353-368.

*5:大輪靖宏『俳句の基本とその応用』角川書店、2007、p.132,p.140f.

*6:子規の唱えた〈写生〉が画家の技法に触発されたことを述べて、大岡信はおおむね次のように言う、「〈写生〉は至難のわざである。何故ならその基本には形式があるからだ。形式を作りそれを身につけなくてはならない」と。(『正岡子規――五つの入口』岩波書店、1995、pp.38-39.)「形式」(form)は「形相」と異なるものではない。

*7:メルロ=ポンティ『眼と精神』

*8:坪内稔典(『俳句発見』富士見書房、2003、pp.100-101.)の指摘による。 しかしこの「切断」は以下で述べるように筆者の〈写生論〉において最大の論点をなすものであり、坪内の解釈とはほとんど関係がない。

*9:正岡子規集』現代日本文學全集、第十一編、改造社、1928、p.346.