2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

記号構造の二重性――ロックの場合

かつてシービオクが記号学におけるとの違いについて語ったことがある。西欧における学知の主要な源流がギリシアに遡れることは言うまでもないが、記号学>もまた医学の父ヒポクラテスのテクストのなかにその始まりの形跡をしるしている。(Σήμειωτική)の構想…

記号学と神秘主義

世界制作論に関連する話をしたあとで、F君が質問しにきた。先生、は世界制作論では扱えないのですか、と。この問いはある意味で出るべくして出たものだと言えるだろう。なぜなら、(ここで深入りはできないのだが)世界制作論は現代版・コスモロジーの趣をも…

はじまりの文字のために―文字の記号学

文字の記号学のために、かつて発表した文章の骨子を補いつつここに掲げておきたい。原文は、菅野盾樹『恣意性の神話』、勁草書房 に収められている。1 現代社会では多くの人々が少なくとも二つの言語の形態を用いている。自国語――例えば日本語――だけしか解さ…

理論をめぐる基礎的問題―記号主義から考える

に関する哲学的考察を"読み切り講義"(5月17日、中ノ島センター)において披瀝するが、そのアウトラインをここに掲げる。1 理論とは何だろうか 1-1 理論の特徴 ・不可解な出来事、あるいは当人には必ずしも不可解ではないが、他人からその出来事について説明を…

テレビ式世界制作(TV-way of worldmaking)という問い

日本記号学会大会の初日のプログラムが実施された。テーマは「としてのテレビ」。「テレビ記号論とは何か」と題されたオープニング討議は、フランス、韓国からゲストを招いて行なわれた。その後にとして「テレビ・コンテンツ研究の現在」についてメディア分…

記号の定義をやりなおす

の古典的定義を紹介しながら、記号の存在構造をどのように捉えたらいいのか、若干の観察を施したい。すなわち古典的定義によれば、記号とは(something which stands for something else)である。これにはしばしば実在論的な読みが施されてきた。モノとして…

知覚のインタフェースが引き渡すもの、記号

人間にとって知覚(perception)は実在への唯一無二の窓である。自然科学者にデータが届けられるのは、当然のことだが、このインターフェイスを通じてである。問題は自然科学だけではない。どんな知的探究でも、それに従事する者は必要なデータを自分の眼や…

記号主義とは何か

「記号主義」は、グッドマンの形而上学を特徴づけるために我々が翻訳のタイトルとして遣った用語である(グッドマン、エルギン『記号主義の哲学』みすず書房、を参照)。しかし用語そのものは我々の創案ではない。これは初めパース哲学の呼び名として遣われた…

理論制作・アブダクション・帰納

とはどのような記号系なのだろうか。 何か不可解な出来事を目前にしたとき、あるいは当人には必ずしも不可解ではないものの、他人からその出来事について説明を求められたとき、我々は理論的言説(theoretical discourse)を企てる。理論的言説とは、「なぜ…

世界制作・アブダクション・帰納

アブダクションあるいは仮設形成(abduction)と帰納(induction)という二つの推論形式は、じつは内的につながっている。この連携の仕組みを調べることによって、我々は世界制作のダイナミズムがいくらかでも明らかになることを期待できよう。 人間が世界を…