2006-01-01から1年間の記事一覧
ジョンソンは、イメージ図式の標準的な記述の方式には「不利な点」(down side)があるという。これまでジョンソンは、イメージ図式を、生活体(有機体)と環境とがやりとりをするその只中から出現する反復的な やと規定してきた。ところが、彼によれば、身…
身体化された意味(embodied meaning)へのイメージ図式論からのアプローチ:数学における例証 イメージ図式の理論的意義は、それが抽象的な概念領域へ適用される固有の論理をそなえている点にある。イメージ図式論理(image-schematic logic)は、抽象的な…
ジョンソンは、イメージ図式に関してその3つの重要な意義を強調している。 第一に、イメージ図式は、われわれの身体経験が意味をもつことを可能とする重要な要因である。身体経験の意味とは、われわれの感覚-運動経験の反復する構造とパターンの意味である。…
イメージ図式が由来するその源泉はなにか あらゆる経験の構造に想像力が浸透していることを見抜いた点にカントの見解の正しさがある。しかしカントは純粋で自律的な――つまり経験の地平を離陸した――理性があると信じていたので、思考における想像力の決定的役…
比喩の認知言語学が我が国に紹介されたのは、レイコフ(George Lakoff)とジョンソンの共著『生は比喩で営まれている』(Metaphors We Live By, 1980 )の翻訳によってであった(邦訳『レトリックと人生』(渡部昇一ほか訳)、大修館書店、1986)。著者の一…
結論 以上の議論を通じて、トマセロはこう結論する、「認知にはさまざまな領域があるが、言語はそのうちで、生得的モジュール(本能)の資格を称することが非常に困難な認知領域である」と。基本的に言語は文化による制作物(artifact)であって、言語共同体…
これからは、人間における言語の発生について、トマセロが考える学説を見ることにしよう。あらかじめ見通しを言えば、彼の考え方は、認知言語学ならびに機能言語学の見地をトマセロ自身の観察からおおはばに肯定したものとなっている。基本の問題は、言語の…
引きつづき、ピンカーの生得説に対するトマセロの異議申し立てを見ることにしたい。 ピジンとクレオール 今回問題とされるのは、第一に、ピジンのクレオール化という現象である。 言語を学習するために著しく貧弱な環境に身をおく子供たちは、それではどのよ…
大脳への局在 言語的サヴァンの能力や言語的障害者の無能力が大脳のどの部分に起因しているかについて多くのことは分かっていない。もっとも、さまざまなタイプの失語症の研究、さらに大脳の働きを画像解析するあらたな技術が進んだおかげで、大脳と言語との…
ここからトマセロは、ピンカーが展開する言語の「モジュール性」(modularity)の議論に目を転じてゆく。ピンカーのいう言語のモジュール性には四つの側面があるとされる。すなわち、①言語は認知の他の領域とは別の様態で構造化されていること、②言語能力の特…
ピンカーの指摘をまつまでもなく、どんな人間の文化にも言語がある反面、人間以外の動物の集団には、(人間言語に匹敵するような)言語が見当たらない。ただしこの普遍的な観察から、言語の基礎的構造が人間にとって生得的だという結論を導くのは――トマセロ…
トマセロは次のように問いを立てる――厳密に言って、生成文法における生得的なものとは何なのか、と。ピンカーの考えでは、生得的なもののリストには4種類のものが含まれる。(もちろん、これらの特徴はあらゆる言語にそなわっており、生得的言語モジュールを…
生得的なものとは何か 人間が言語を獲得するためには、誰が考えても、人間が言語を使用するにふさわしい生物学的基礎が生物としての人間にそなわっていたはずである。トマセロは、こうした基礎として、1)言語を可能にする認知およびコミュニケーション能力…
前回に続いて、ふたたび生成文法をめぐるトマセロ(M. Tomasello)の言説を見ることにしよう。 ピンカー (Steven Pinker) のThe Language Instinct: How the Mind Creates Language (1994) は、ふつうならそう多くの部数を重ねることがない言語理論の本とし…
トマセロ(Michael Tomasello)が、「どんな証拠ならUG仮設を論駁できるのだろう」(What kind of evidence could refute the UG hypotesis?)という短い論文を書いている。これはStudies in Language 28 (2004)に掲載されたもので、本来、同誌に寄せられたヴ…
空間を記号系で表現する方式にはじつにさまざまな種類がある。言語による記述、地図による描写、座標、写真(インデックス)、フローチャートなどなど。 前回指摘したように、地図ひとつとりあげても、それに含まれる下位の記号系としての地図がまた多岐にわ…
に関するケネディの研究で最も注目に値する観察の一つは、盲人が(perspective)を――少なくともその基本構造について――晴眼者と同様に理解している、ということだろう。というのも、従来、遠近法はもっぱら視覚に固有な空間の構成法だと信じられてきたからで…
話を進める前に、前回の記事で取り上げた共感覚>について補足しておきたい。 視覚障害者の「絵画」という主題とのかかわりでなぜ共感覚>が問題化されるかといえば、絵画は視覚藝術であるという誤った認識を生むのが、だからである。つまり、この種の理論を克…
感覚のメレオロジー、あるいは換喩論理(metonymic logic) ケネディの論文「盲人はどのような絵を描くか」が立証したのは、直接には、視覚障害者(先天盲と早期失明者)も――この助詞には価値の含意はない――絵を描く能力をもつ、という事実である。これは多…
絵画とはなにを言うのだろう。この問いに応じるのはそれほど安易な仕事ではない。例えば、をこう定義してみる――空白の平面を図形や色彩でうめてゆくことで何かしらの視覚的イメージ表現する方法であると。だいたいはこれでいいのかもしれない。ただひっかか…
と題した本ブログ記事(http://d.hatena.ne.jp/namdoog/20060610)において、初発の言語音の生成を機能論的観点から分析する道筋をしめしたのだったが、その際、初めての言語音が一面ではアイコン(類像)他面ではインデックス(指標)として機能することを…
ドーキンス『利己的な遺伝子』(Richard Dawkins, The Selfish Gene, Oxford University Press, 1976)は、われわれが当面する問題に対していくつかの論点を明らかにしてくれる。この本は人間をと見なす暗澹とした(?)人間観のために、発刊と同時にセンセーシ…
記号にはどのような種類があるのだろうか。記号のタイプを分類する課題にパースが一途に取り組んだことはよく知られている。いく通りか案出された記号分類のうち最も人口に膾炙されたものは、アイコン(類像)・インデックス(指標)・シンボル(象徴)とい…
正統的言語学のパースペクティヴから望見すると、言語をめぐる探究として三つの言語学的部門――言語学、パラ言語学、運動学――が成立しているのがわかる。最後のとは、おおよそと呼ばれる分野に相当すると考えてもらえばよい。 従来これらの部門は別箇に研究さ…
前回の日記に再帰的動き>(recursive move)を話題にしたが、この場所で何度も記号系の再帰的動きに言及したものの、まとまった形で考えを披瀝したことはなかった。そこで今手もとにあるノートや素材からこの概念を扱っている文章を掲げることにしよう。筆者…
人間の記号機能が他の動物と著しく異なる点はそのおどろくべき「柔らかな」構造であろう。この言い方はもちろん喩えであるが、記号機能の優れた適応能力のことが言いたいのである。 例えば蜜蜂のダンスのことはよく知られている。野原のどこか遠くに蜜源を見…
にはさまざまな難点がある。そもそも個体名とは何であろうか。 言語表現のなかにその候補を探すなら、前述のように、固有名詞とある種の指示表現(確定記述)が浮かび上がってくる。ここから普通名詞はひとまず除外すれば、それで個体の名を限定できると考え…
これについては、言葉と絵とは本質的に違うのだ、という異論が当然もちあがるだろう。われわれが「その水禽は白い」という文を書くとき、文中の「水禽」の部分を白く塗らなくてはならないという文法規則が日本語にあるのだろうか、という異論である。明らか…
先に進む前に、主要な観念について若干の補足を施しておきたい。 第一は、という観念についてである。 われわれは、『論考』で遣われたの訳として、ではなくあえてを選んだ。その理由は、『論考』に展開された言語観の底流に、たとえ黙示的であるにせよ言語…
線型性 ここで、ソシュール記号学の第二原理すなわち言語の線型性が問題として再燃する。われわれの見るところ、ソシュールが講義で言及した二つの原理のなかで、実はこの「第二」原理こそが真の意味での(principe 構造主義をもたらした根拠もこの原理にあ…