詩は認識を遂行する記号システムである

namdoog2011-05-23

 『知覚の哲学』(ちくま学芸文庫、7月10日刊行)でメルロ=ポンティマラルメに論及しながら、〈詩的認識〉について述べているところがある。該当する箇所を引用しよう。


言葉は自然の事物を表意するためにつくられたものです。すでにかなり以前に、マラルメは言語の詩的用法を日常談話から区別しました。おしゃべりな人が事物の名を口にするのは、ただ「何が話柄であるか」を言うために、手短に事物を指すためでしかありません。これとは反対に、詩人は――マラルメによれば――事物のふつうの名称を別の名称と取り換えます。ふつうの名称は事物を「周知のもの」として指示しますが、詩人はこの種の名称を、事物の本質的構造を記述し、私たちをこの構造にはいり込ませるような名称で代替するのです。世界について詩的に語るということは(……)、ほとんど発言せず、黙っていることです。実際、マラルメが沢山の詩篇を書かなかったのはよく知られています。しかし、彼が遺した数少ない詩篇には、ただ言語のみに支えられた詩、という、この上なく明瞭な自覚があります。詩は、マラルメにとって〔既成の〕世界自体に直接関与せず、散文的真理や理性にも関与しない発話、したがって、〔既得の〕観念に完全には翻訳できない発話の創造でした。

 メルロはいったい何が言いたかったのか。フランス象徴派の詩人マラルメ(Stéphane Mallarmé、1842年〜1898年)は――大方の批評家によれば――このうえなく難解な詩をつくったが、しかし、それらは古今における詩の最高峰であるとされている。彼の詩作が「詩とはなにか」という問に身をもって応えようとしたのは事実であろう。メルロがここに記しているように、マラルメは言語の詩的使用と日常的使用を峻別したのだった。
 だが、この考え方がなにか格別なことを主張しているとは到底思えない。東西を問わず、古くは詩とは必ず韻文であった。韻文と散文が相違するのは自明である。ちなみに、「散文詩」のジャンルが試みられたのは十九世紀後半に至ってからであり(たとえば、ボードレール(Charles Pierre Baudelaire、1821年〜1867年)フランスの詩人)、しかも「散文詩」とは何かという問に明解な説はないようである。それではマラルメの真意はどこにあったのか。私たちはまず、この問が、文学史における「純粋詩」(poésie pure)という想念にかかわっていることを確認しておこう。
 マラルメは詩の表意機能一般を否定したのではない。いやしくも詩は言語表現であり、言語の正常な表意機能を欠いた「詩」が表現として成り立つはずはない。その種の「詩」が表現としてナンセンスに化してしまうのは必定である。
 実際に、言語の異例な使用によって「ナンセンス詩」をつくる試みがなされてきた。たとえば、エドワード・リア(Edward Lear、1812年1888年、英国の画家)の作品はよく知られている。この種の作品が本当に「詩」の資格に値するかどうかを判定する考察は詩論家にゆだねたい。私たちとしては、「ナンセンス詩」のほとんどの作例が間違えなく〈言語遊戯〉であること、そして〈言葉で遊ぶこと〉は、言語の正常な表意機能を前提することを指摘したい。
 メルロがマラルメの創作活動をどのようなものとして解釈したか考察するうえで参考になるのは、彼のセザンヌ論である。本書の第三章「知覚的世界の探索:感知される事物」において、メルロは、セザンヌの絵画の意義を存在論的視点から的確に説明している。彼の議論に立ち入るかわりに、ここでは、メルロの論点を簡潔に述べるだけにしておこう。すなわち、セザンヌは遠近法の放棄をつうじて世界内部に立ち入り、知覚物がまなざしのもとで誕生する光景を目撃しようとした、というのである。
 セザンヌが表現の古典的技法に背いたように、マラルメもしばしば、文法を逸脱した表現をおこない、意味論的に両立しがたい語彙を選択するなど、〈言語的慣習〉の背馳者であった。なぜマラルメはあえて慣習を遵守しなかったのか。それは、まさに言語表現が新規な表意機能を始める瞬間に立ち会うためだった。彼の詩に表意機能がないと誤解する読者は既成の言語的慣習を墨守した見地に立っているにすぎない。いったいに、詩のことばが意味する観念は、どんなに捉え難いとはいえ、無ではありえない。マラルメの詩が知的観念よりことばの響きやリズムを重視している、とする指摘は正確である。というのも、詩的言語――いや言語一般――が、後述のように、身体性に働きの基礎をもつからである。
 詩人とはことばで世界の誕生に立ち会おうと熱望する人種である。彼は平凡な単語のひとつひとつが見たことのない新鮮な意味で輝くように細工する。そのかぎりで詩人は世界制作者であるとさえ言えよう。poem (詩) の語がギリシャ語のpoieō = to make (制作する) に遡るという事実はおおいに示唆にとむ。
 しかしまだ問題は残っている。詩的言語が表意機能をもつなら、それがとりわけ詩的表意であるのはいかにして可能なのだろうか。そもそも詩とは何だろうか。――この問いに正面から向き合った詩人や批評家が打ち出したのが、上記の「純粋詩」という詩の理想であった
 いまでは「純粋詩」は詩論の用語として定着しており、専門の辞書によると、それは「物語、雄弁、思想など、詩以外のあらゆる要素から隔てられた詩」をいう。だがこの説明は、一見して無意味であろう。これを理解するためには〈詩〉なるものの明確な定義をすでにもっていなくてはならない。この失敗は、どうやら、〈詩〉を規定するために、表現領域全体のなかで詩の領分を区画するという方略に起因すると思える。詩とはいかなる意味でも地理的概念ではありえず、行動的概念ではないだろうか。
 言語が人間行動の有力な形態であることは20世紀の言語思想が教えている。〈詩〉については、〈詩がある〉というより〈詩をなす〉というのが正しいのではなかろうか――こうした問題意識に立つとき、マラルメヴァレリー(Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valéry、1871年〜1945年、フランスの作家、詩人、批評家)やブレモン(Henri Bremond, 1865年〜1933年、フランスの聖職者にして批評家)たちの言説が、よりよく理解できるように思える。
 文学史を参照すると、「純粋詩」の観念がエドガー・アランポー(Edgar Allan Poe、1809年〜1849年、米国の小説家、詩人)が『詩の原理』(The Poetic Principle, 1848) において教訓・真実などと関係しない美を追求する詩を提唱したことが魁(さきがけ)となり、彼の作品がボードレールマラルメに影響を与えることを通じて「純粋詩」の観念が醸成されたことが知られる。
 マラルメは、ある詩論において、伝達の手段としての言語とは異なる詩的言語の必要を主張し、語と語の結合が生みだす音楽的効果から、事物の純粋な観念が立ち上ってこなくてはならない、と説いた。さらにヴァレリーがリュシアン・ファーブル『女神を識る』(Lucien Fabre, Connaissance de la déesse,1924)に序文を寄せ、「純粋詩」(poésie pure)という用語を遣って類似の考えを述べている。ヴァレリー主知主義の見地にたち観念の表現としての詩を説いたのだが、これに対して、ブレモンは、1925年の講演「純粋詩」において、語の暗示性や音楽性を強調し、詩に対して知的内容を否定している。(以上の記述は、ほぼ『集英社 世界文学大事典5』、1997年、381頁〜382頁、による。)
 身近にある専門事典はいくつかの歴史的事項について教えてくれるだけで、肝心の「純粋詩」とは何かについて明確なことを教えてはくれない。私たちはあらためて、メルロが〈詩〉(la poésie)の行動としての本態をどのように把握していたか、それを考察してみたい。まず、詩が行動であるという言い方に補足説明がいるだろうか。
 メルロはこのくだりで、詩がある種の発話(パロール)だと明言している。この用語はソシュール言語学に由来するものである。それは、話す主体(話し手、sujet parlant)が遂行する個別的な言語行動、つまり発話(parole)のことをいう。ヴァレリーも詩を「精神の作品」と呼びそれが「実現作用においてしか存在しない」と述べている。紙の上に記された一篇の詩はただの物象である。それが詩として蘇生するには、音声の繋がりをつくりだし、時間のうちでそれを展開し、それに人の耳を傾けさせ、感情を呼び覚ます必要がある(『詩学序説』(河盛好蔵訳)、『世界の名著 66』、中央公論社、1980年、所収、480頁〜481頁)。(ちなみに、発話に対比されるのは、発話の可能性の一般的制約としての〈言語)(langue)つまり慣習ないし規則の体系として記述できる記号システムである。〉
 詩のことばが既成の観念を表意しない点を、メルロはマラルメとともに強調する。逆に言えば、日常談話におけることばは人々が共有する既得の観念を表わす。この種の表意機能は外延指示の働き(denotation)であって、これを基礎とする言語理論はソシュールが批判するところとなった(『一般言語学講義』(小林英夫訳)、岩波書店、1972年)。詩的言語の問題から言語一般の記号機能へ展望を拓くには、当面、ソシュール言語学における〈言語記号の二重構造〉という概念が重要である。縷説する暇がないので、この眼目について最小限の説明しよう。
 ソシュールによれば、言語記号は記号表現(signifiant)と記号内容(signifié)が表裏一帯をなすひとつの構造体である。具体的にいうなら、前者が聴取された限りでの言語音すなわち聴覚映像(image acousitique)であり、後者は記号が担う内容としての概念(concept)である。メルロの『知覚の現象学』における言語存在論ソシュールと独立に構想されたのは確かだろうが、それ以降にメルロは積極的にソシュール言語学の概念と彼自身の思索との摺りあわせを試みている。ここで強調したいのは、メルロの言語存在論が、言語記号の二重構造というソシュール的概念を要請する、という論点である。
 彼によれば、人間の認知に先立つ名状しえない混沌(カオス)にたいして、人間の言語(ラング)がこれを分節化することでようやく世界(コスモス)が成立する。話す主体は、既成の実在的世界をその外部から観察するのでも、外界に多くの対象を発見しそれぞれを命名するのでもない。話す主体は、初めから、世界の内部に住みつつ、生活の営みによって世界の分節化を次第に緻密にしてゆく。――こうした言語観は、明らかに、メルロが独立に打ち立てた言語存在論と相当部分重なり合う。
 他方、メルロの言語観を「言語とは表情ある身体のしぐさである」というテーゼに要約できるだろう。このテーゼから、ただちに「ことばが意味をもつ」という命題が引きだされる。表情の意味はこの表情のうちに読み取られるのであって、表情の背後やどこか理念的空間に表情の意味あるいは表情の指示項(referent)を捜すのは無駄なやり方であろう。言語要素の意味機能は基本的に表情性なのである。言語以前の水準で表情性として生成した〈意味〉は、身体性が言語の水準に転換されたときも、表情性の様相をおびている。認知は感情として始まりいつまでも感情価をおびつづける。感情的痕跡が微塵もない純粋な認知という観念は極限概念としてしか成り立たないだろう。(ただし数学や論理の形式的概念については別途あらたな考察が必要となる。)
 このようにして、メルロによれば、言語表現は、それ自体、知覚=行動系としての人間の行動である。何のための行動だろうか。つまるところ言語とは、世界に分節を与え事物を事物として生起せしむる認識の行動なのである。このかぎり、詩人の言葉だけが認識を営むわけではない。私たちの言葉は、その初発の状態で捉えるなら、詩人の言葉と同等の認識力をもつはずである。
 言語行動が慣習に転化することで、世界の結構はより堅固になり、獲得した分節化(=カテゴリー化)を脅かす異類の到来にも耐えうるようになる。しかし、この習慣の守り(entrenchment)が異類の侵略を跳ね除けることができない危機的瞬間がやってくることもある。そのような場合、新しい言葉を新しい組み合わせで使用し、分節化を遂行する文化英雄が出現する。詩人とはこの英雄の一人にほかならない。
 この危機の場面に、科学者が文化英雄として登場することもあるだろう。詩も科学も、記号系の構造としては異なるとはいえ、認識のための記号システムである点に変わりないのである。