ポンペイの輝き――歴史記号学の構想

namdoog2006-06-04

 西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の爆発は、南イタリア・カンパニア地方の諸都市を――生きた人々の生活と文物とをもろともに――灰の底に沈めた。2000年の眠りから呼び覚まされたこの悲劇の古代ローマ遺跡が、いまBunkamuraザ・ミュージアムに戻ってきている。彫刻、生活用品、宝飾品、壁画、貨幣、犠牲者の型取り(cast)など365点もの展示の数々は観る者を圧倒してやまない。
 人々がこの展示からどのような想念を引き出そうともそれはかまわない。惨劇に斃れた人々の運命に想いを馳せることもあるだろう。金銀の細工の妙に感嘆のおもいを抱くこともあるだろう。そこで、観客の一人として、筆者はこんなことを考えた…
 展示品の存在者としての性格をいうなら、それらはすべて記号であり、記号のタイプに関して言えば二種類に大別される。一つは具象的あるいは図像的なもの、他方は文字。いずれにしても視覚的記号である。悲しいかな、筆者はこれらの記号を解読することがまるでできない。
 もちろん記号を読み解くための歴史学、考古学、火山学、人類学等々の学問が存在し、今回の展示にはこれらの学問の成果が十分に取り入れられている(会場のパネル解説や図録の解説)。ところが、これらの諸学問を有機的に組み合わせるための<方法>と<単純かつ澄明な視点>が欠けているような気がする。これらの品々からどんな情報を汲み出しても構わないが、<情報>は目的にはならないだろう。
 我々が感得したいのは人間の生の営みそのものの<意味>なのだ。そのためには諸学を統合して生の地肌に触れることを許す<意味の学問>が要請されるのではなかろうか。それが<記号学>以外のものであるだろうか。(ただし、<意味の学問>とは意味の静態学ではない。換言すれば、意味の連関を共時態として(与えられたものとして)記述する学知ではない。そうではなくて、意味の発生(ないし滅失)のダイナミズムを切迫した予感として与えてくれる理解の学なのである。いわゆる構造主義が批判されなくてはならないのは、この点においてである。)
 我々の求めるものは<歴史記号学>以外ではないだろう。とはいえこうした学問がポジティブに一つの学問領域として存在するとは想像もできない。いやそれは積極的に存在しはする。だがそれはどこまでも未完であり不可視の学問であるほかはないだろう。
 このような感想を抱くについて、じつは歴史記号学の一つのモデルとしての石田英一郎の業績が念頭にあった。その仕事は、歴史学民族学民俗学、考古学、文学、宗教学などを生の深みへと絞り込んだもののように思えるが、ここから、歴史記号学の構想へ示唆を汲み取ることが可能だと考えたのである。
 石田の著作はじつに豊富な資料をただ一人で渉猟したその成果であった。それを考えるにつけても、歴史記号学を推進するには、まずそれに必要な予備学(というのはいささか過小な表現だが)としての<記号表象のアーカイブ>を構築しなくてはならないだろう。この種のデータベースを制作することは、石田の現役時代にはじつに困難な仕事であった。だが今であれば、情報のデジタル化とパソコンの駆使によって<記号アーカイブ>の構築はかなり容易な作業となっている。しかもデジタル化は共同研究を可能とするだろう。そんな研究を実際に行なっている例はないものだろうか。
 かつてレヴィ=ストロースは、マルセル・モースの業績を解説する体裁をとりながら、来るべき科学としての<文化人類学>の理想を語ったことがある。(その発想が本質的に記号学的であることは明らかなことである。)その文章の末尾で、彼は、人間科学の「方法、手段、最終目的」についての最も適切な定式をモースの言葉のなかに発見している。ここにもそれを引用しておこう。
 「何よりまず、さまざまなカテゴリーのできるだけ大規模な目録を整えねばならない。人間が自分の用に供しているのが知られうるすべてのカテゴリーから出発しなければならない。そのとき、理性の大空に、依然として多くの死せる月、蒼ざめた月、あるいは曇った月の存在することがわかるだろう。」(「マルセル・モースの業績解題」、『マルセル・モースの世界』所収、みすず書房
 こうしてわれわれは、<ポンペイ>が、いまだに、なかば死せる月であることに気づかされるのである。