画像の存在論のために ――リードを参照する

namdoog2009-11-16

 グッドマンとギブソンの断片を二つ掲げたが、きわめて短い文章(しかもジャンルとしては「書簡」であって「論文」ではない)であるため分かりにくい点が多々見受けられる。ところで解釈の上で大きな間違いを避けるための格好の参考書がある。哲学専攻からギブソニアンとして心理学の著述もなしたリード(右に写真を掲げた、ⓒWilliam Mace)による「ギブソンの伝記」にほかならない(『伝記ジェームズ・ギブソン――知覚理論の革命』(佐々木正人監訳)、勁草書房、2006)。この第13章を摘要して問題へのある種の俯瞰図を描いてみよう。[ ]は筆者の即興的なメモである。

 リードのギブソン評価にしたがえば、「ギブソンは、網膜像仮説、つまり視覚は眼の中にある像を解釈することだとする理論を捨て、今までにない視覚の情報理論を展開させることで、心理学者や芸術家などを苦しめてきた多くの難問を解いた。」(同書、p.320.)
 デカルトは絵画が1)射影に基づくか、2)象徴に基づくかという論争に火をつけた。[邦訳で「象徴」と訳されたsymbolを筆者なら「記号」と訳すだろう。]
初めの見地、つまり、遠近法は射影幾何学の法則に基づいており、実在性をもつ表象全ての基礎に遠近法が必ずあるという理論をギブソンは退けた。さらに2)も彼は否定した。遠近法は象徴化の一形態であり、人は中世の聖像[イコンのこと]やカンディンスキー抽象絵画]を読むように遠近画像を「読む」のだとする見方である
 ギブソンは、射影と象徴の区別に拠らずに絵画を分析した。では具体的にそれはどのように成し遂げられたのか。(p.322.)

 ところでギブソンの画像知覚の理論は、デカルトの投影主義を変更した視覚理論(混合的デカルト主義=修正デカルト主義)から、生態光学による画像知覚理論へと前進した。

 ギブソンは「絵画は『縮小した実在』を仕立てるひとつの仕方をアフォードする」と書いた(1974年)。視覚の心理学に関するかぎりは、景色を描く絵画がその景色の機能を代用していると述べたかったのだ。だが絵画と景色には違いがある。[なによりも、現象学的な射影の無限性を指摘しなくてはならない。]

 投影モデルによれば、遠近画(つまり線遠近法によって描かれた絵画)が景色の適切な表象として機能するには、見る人がその画を静止点、つまり画家の視覚を模擬した位置から眺める場合に限られる。遠近法による作図が他の作図よりいっそう実在的な技術ということはないと主張する人(例えばグッドマン)が重く見るのは、遠近画を見る際のこうした制約のせいである。(p.323.)

 さらに投射モデルからひきだされるもう一つの論点は、絵画の知覚に奥行きが欠けていることである。両眼輻輳両眼視差のどちらか、あるいは両方が空間を見る基礎だとすると、本質的に単眼の網膜像である遠近画は、本当の奥行きを与えない。

 これら二つの仮定はギブソンが実験的に誤りであることを証明した。絵画は、それに対する観る者の距離や位置をいろいろ変えても適切な情報を与えてくれる。遠近画は射影幾何学的理論に基づいて描かれるが、事実は理論とその限界を越えている。

 するとグッドマンの批判は、遠近法に伴う不十分な理論に向けられたものに過ぎないことになる。[しかしグッドマンはまさに遠近法の理論が妥当ではないことを指摘したのではなかったか。]リードは続けてこう言う――グッドマンが批判した受動的な静止点に基づく理論は、遠近法の働きを解明する試みの中で遠近法の実践に押し付けられたのだ、と。[なるほどグッドマンは「遠近の知覚に含まれた生きられた遠近法」を解明してはいない。その仕事は心理学に属するからである。だからといって、グッドマンが間違ったことを主張しているとは思えない。グッドマンはあらゆる意味で「遠近法」を放棄したのだろうか。](p.324.)

 さてギブソンは、静的な観察者の理論としての遠近法を、動く観察者を用いた視覚研究で実験的に反証したが、次に積極的に遠近画がそれを観る者に空間意識を与える理由を見つける仕事に取り掛かった。

 彼は問題の中心を視覚の「迫真性」あるいは「実在との一致」と捉えていたが、あくまでもそれは機能的な「迫真性」であった。しかしギブソンはやがて「迫真性」という観念そのものを疑うことになった。後期の絵画知覚の説明では、迫真性の議論は削除され、絵画は、能動的な観察者が情報を利用する表面である、という定義がとられている。[ここでギブソンの探究は初めの位置にブーメランのように立ち戻ってしまったのではないだろうか。二次元の絵画が「能動的な観察者が情報を利用する表面」であるという定義に誰も異存はないだろう。](p.326.)

 修正デカルト主義的視覚理論において、ギブソンは、「真に迫る絵画は、ある点に光線の束を反射する(あるいは伝達する)ように加工された、境界のある物理的表面である。光線の束は、描かれたオリジナルな物からある点までの光線の束と同じである」(1954年)と述べている。(つづく)