人々が旅たつ春

namdoog2006-03-20

 本日は今月最後の全体会議だった。ということは、平成17年度最終の会議だということになる。そのためにリタイアする教職員やら転任する職員の「訣れのご挨拶」があった。ご時世なのだろうか。マイク片手にこもごもご披露されたスピーチの、ながたらしいこと!赴任した当時の思い出から始まって、これまでの仕事の内容、今後の予定などここを先途とばかりに話が続くのには、いささか食傷した。
 
 ご時世といったのは、最近の<退任セレモニー>の傾向がこの冗長なスピーチに作用しているのではないかと想像したからだ。ここ数年はかつてのような賑々しい「退官パーティ」は行われなくなった。(もちろん「退官」はいまは死語だ。)着飾った女学生が花束を贈呈するシーンが必ず目撃された「最終講義」もまれである。となると、会議での「ご挨拶」に当人としては目いっぱい力を入れざるを得ないのではないか。そこにリチュアルな意味合いが凝集することになるからだ。
 
 どうでもいいことばかりを聞かされたというのが偽らざる感想だが、ただひとつ「法人化以後の大学のありかた」についての所感には聞き耳をいやでもたてたという次第。法人化も来年度つまり平成18年度で3年目に突入する。4年以後にはかなり大きな変化も予感される。いったい、法人化は大学をよりよき高等教育機関へと改革することに成功したのだろうか。いや、まだ成否の判断には時期尚早だとしても、現時点で大学は研究教育という観点からいって、以前よりましな場所になったのだろうか。

 外から聞こえてくるのは、ネガティブな評価ばかりだ。なかでも、競争的資金の導入により研究費が逼迫することになったという不平不満が叫ばれている。雑用がふえたという嘆きもよく耳にする。もっと深刻だとおもえるのは、自由で闊達な研究ができなくなったという声である。いずれも多少とも真実を反映した批判の声ではあるだろう。

 自分が身を置く環境についていうと、確かに従来しなくてもいいような仕事がふえ、作らなくてもいい書類を書かされることは多くなった。ただし運営費の使い勝手は格段によくなった。ここしばらく外部から研究者を招いてちいさな研究会を続けているが、これも法人化以前にはまず不可能なことだった。さてこうした環境に自分のニッチを持てる時間もあとわずかになった。その後の巣穴をどこにどのようにうがつかにつき、いま腹案を構想中である。そのなかみについても追々書いてゆきたい。

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