心の習慣が世界に安定性(stability)をもたらす

namdoog2006-04-07

 グッドマンの世界制作論をパースの記号主義にかたく結びつけることによってその理解を深めることができる。アブダクション帰納―この二つはある意味で対称的な推論方式としてワンセットで捉えられる―がアルゴリズムによらぬ特異な「算法」である点をグッドマンはよく知っていた。実際、帰納に関しては名高い「グッドマンのパラドックス」がある。
 すなわち彼は、「グルー」(grue)という異常な述語が「グリーン」(green)や「ブルー」(blue)などのまっとうな述語とロジカルな資格においてまったく遜色がないことを疑問の余地なく論証した。(彼のあらさがしに熱中する研究者がいまだにいる。どういうつもりか筆者には真意がわからない。)にもかかわらず我々が、「グルー」を語彙のうちに採用せず「グリーン」や「ブルー」を用いて世界制作にあたっているのは偶然ではない。
 ここに<習慣>の問題が浮上してくる。エメラルドがグリーンであってグルーではないのは、この宝石への色彩=属性帰属が、グリーン的習慣となっているからだ。換言すれば、エメラルドの色を述べる(=属性帰属を遂行する言語行為)やり方が(グルー的特徴ではなく)グリーン的特徴を呈しているからである。
 譬えをひこう。野球のピッチャーの投球フォームは概して<オーバースロー>である。ところがWBCアメリカのチームと戦った<アンダースロー>の日本人投手は大いに打者を苦しめた。アンダースロー的習慣=行動パターンの違いが効果の面で如実な差を生み出すのは当然のことだろう。
 パースはいわゆる英国経験主義の新しい読みを通じて独特な習慣論を展開する。(「独特」のなかみを正確に翻訳すれば「記号論的」という修飾句になるはずだ。)経験主義者たちの議論を批判的に吟味するなら、<観念連合>には二種類のものがあるのがわかる。第一には、生来の性向(ないし素因disposition)であり、彼らはこれを<類似による連合>(association by resemblance)と名づけるが、パースによればこの名称は不適切なものである。なぜなら類似が連合を惹起するのではなく連合が類似を構成するからだ。
 類似に関するパースの指摘はまさに記号論形而上学の一つの核心を物語っている。<類似>なる関係について多少とも実在論的な見解をなしたとしても、それらはすべて論理的分析のフィルターで除去されてしまうに違いない。(この点については、菅野盾樹『我、ものに遭う』新曜社、弟6章を参照していただきたい。グッドマンの<類似論>としてはProblems and Projects, ch.IX: Likeness が集中的に論じているが、多くの著作にも散見する。なおソシュールの<恣意性の原理>がなにほどか信憑性を寄せられるのは、逆説的ながら、<類似>に関するリアリズムのせいに過ぎない。)
 第二の連合のタイプはいわゆる<近接による連合>であるが、実はこれは第一の連合によって得られた観念の合成にほかならない。
 いずれにしても、<習慣>とは観念連合が立ち上がる<心>を舞台とするものである。したがって、習慣とは基本的に<心の習慣>なのである。―さてここで、パースの習慣論を筆者の見地にひきつけて言い直してみよう。すなわち、パースのいう<習慣>とは知覚=運動系としての人間のふるまい方にそなわる傾向性のことである、と。