投射と習慣

namdoog2006-04-15

 グッドマンの世界制作論(the theory of worldmaking)とパースの習慣論(the theory of habit)とを比較すると、それぞれの言説のいわば形而上学的結構がきわめて類似していること、いやほとんど同一であることがわかるだろう。
 この比較はまた、世界制作論においてあからさまに語られてはいないものの、世界制作論が完備した言説であるために必須な論点を照らしだすことになる。まず両者における<習慣>概念の異同について考えてみよう。
 グッドマンにおいては、制作された(複数の)世界から「正しい」それが安定化をみるのは、その世界を生きる人々の<習慣>によってまさにその世界が守られるからだという。(「守る」とは、世界を攪乱し破壊する要因から世界を守る、という意味である。)これが彼のいう<習慣の守り>(entrenchment)という考え方である。このように、世界制作と習慣のかかわりがあたかも段階的に発動するような語り方がされている。換言すれば、彼の言い方は、あたかも<習慣>が<世界制作>のプロセス(この場合は、「工程」が適訳であろう)そのものの契機をなすのではないかのような印象を与えている。
 他方、パースにおいては、習慣の形成がすなわち世界制作の遂行にほかならない。なぜなら習慣とは、あらゆる存在者(entities)のネットワークにそなわる「論理性」の形成原理だからである。
 こうして見ると、グッドマンの世界制作論にまつわる先の印象が誤りであることがわかる。世界の制作→習慣形成によるその守り、という語り方がなされているのは事実であるが、それは単にfaçcon de parler(語り口)に過ぎない。事柄そのものとしては、世界制作論においても、<習慣>を形作ることがただちに世界制作の工程に匹敵するはずなのだ。
 例えば、実験科学者が何かある自然現象に法則性を見いだすのは、各々の実験データを座標平面に落とした場合、全体としてのデータの配置のなかに何らかの規則的で連続的なパターンを見いだすからである。グッドマンによれば、科学者が法則性を<発見>するのは、彼がいとなむ認識において<投射>(projection)の機序が作動したためである。いうまでもなく、<帰納>や<アブダクション>においてはこの<投射>が本質的な役割を演じている。(述語、理論、法則などのおのおののレベルでやはり投射が介在しているが、これについては別の機会にその詳細を見ることにしよう。)以上の事態をパース的語彙で捉えなおすなら、投射の機序が働くということはすなわち認知の<習慣>が形づくられたということである。
 整理しよう。グッドマンのいう<習慣>はさしあたり二義的である。従ってものごとを厳密に語りたいなら、習慣g1と習慣g2とを区別してかかる必要がある。<習慣g1>は大まかに言えば<投射の発動>をいう。<習慣g2>は投射によって形成された習慣性を確証する習慣のことであって、階型(type)が高次の習慣であるかぎりにおいて、これを<メタ習慣>と呼ぶことができるだろう。
 しかしながら、階型は相対的であることを忘れるべきではない。じつは<メタ習慣>にも投射の発動がある。それゆえ<メタ習慣>はある意味では単なる<習慣>なのである。結論として我々は次の命題を得るだろう。グッドマンにおいて一見すると<習慣>は二義的であるように見えるし、事実二義的であるのだが、基本的にその概念内容は一通りでしかない、と。