ユクスキュル・ルネッサンス (6)

namdoog2007-02-10

<環世界論>における<内部存在論
 ユクスキュルはときに誤解されている。確かに生物学に<主体>の概念を導入したことは彼の功績のひとつである。従前の生物学が<機械論>という枠組みを採用していた点は、生物個体を全体として機械仕掛けとして説明するのが生物学の標準であったことが雄弁に物語っている。
 例えば、単一の反射弓ですべての振る舞いを説明できるような仮想的動物を想像してみよう。(ユクスキュルは『生物から見た世界』岩波文庫、において、ゾウリムシをたった一つの機能環で生きている生物と見なしている。ゾウリムシは、障害物を回避し、食物=腐敗菌に接近するという、プラスとマイナスとを一対とする振る舞いしか示さないからである。ここでの仮想的動物をゾウリムシのたぐいに比定してよい。)外部からこの動物の受容器に刺激がもたらされ、それが電気的パルスに変換され神経核を通過し、実行器に至ってそれを機能させる――ここに認められるのは単なる機械(メカニズム)であり、どこにもこれを操縦し運転する<主体>はいない。
 彼が誤解されているというのは、<主体>の導入が却って生物個体の身体性を空虚にしたという批判をちらほら耳にするからだ。だが、<機械とその運転技師>とは一つの比喩に過ぎない。生物に内在する<運転技師>が暗示するものは、生物が客体的・外部的なメカニズムではありえないこと、むしろ生物個体が、主体-客体という旧弊な二項対立を離れた独自な(sui generis)存在のあり方をしている、ということでなくてはならない。
 とはいえ、この生命的主体の独自性に関して、ユクスキュル自身がテクストで行き届いた記述を行なっているわけではない。(彼の主体概念が、ホムンクルス論につながるかもしれない懸念についてはすでに述べた。)だからといって、彼による主体概念の導入を冷ややかな批判で葬り去るべきではないだろう。
 生物には外部的で客体的なアプローチが不可能である。換言すれば、①まず最初に、生きて働くもの(生活体)をそれが住み込んでいる環境(環世界)から切断してしまい、②次いで、生活体を環境の外部に広がる領域に<対象>として設定するという操作を施し、③この対象について、外部の任意の場所から(nowhere)から調べることは、原理的に不可能である。
 この道理を可視的にしてくれるのが、モデルとしての<機能環>と<反射弓>との比較である。上の挿絵は<脊髄反射>の一例である。皮膚(受容器)がピンで刺されたその刺激が脊髄を迂回して筋肉(実行器)を収縮させる仕組みを<反射弓>のモデルで示したものだ。注意すべきは、受容器から実行器へと至る反射弓の全体が外部世界(自然界)の一部あるいは要素として、いわばその外部から眺められているという点である。
 これに対して、<機能環>という概念は、生活体のまったく同じ振る舞いをまったく別の用語法で記述する。生起している事態がそのものとしては(in re)同じであることに注意しなくてはならない。生活体の両端をなす受容器と実行器はあたかもピンセットのようにして対象を挟み込んでいる。この「対象」という用語は実質的な何かを意味するものではない。それはあたかも方程式の未知数のようなものである。生活体とこの対象との相互作用裡に対象へと一定の<知覚標識>と<作用標識>が投射される。その結果として、対象は初めて実質的な内容を付与されることになる。例に即していうと、①まず、何かが皮膚を刺すもの=危険なものという性状をおびる。②すると、この知覚標識が生活体内部に記号機能を発動する。③それを回避すべきものという作用標識が対象へ投射される結果、筋肉は収縮する。
 読者は、この記述が生活体の視点からなされているかのような印象を覚えないだろうか。生活体が主体であるとは、生活体が反射弓としてモデル化される機構をそなえたまま、同時に<自己性>の視点から振舞うことができることを意味する。反射弓のモデルは外部世界(自然界)の断片に過ぎないが、機能環のモデルはすべてを生命活動の内部に包含している。この違いは決定的である。
 反射弓の働きを説明しているのは、生理学者であって、この反射弓を具現する身体をもつ生物ではない(当然のことである!)。だが機能環の場合には様相が一変している。その働きを説明しているのは、もちろん生物学者であるが、彼の視点は研究対象の生活体の視点にダブっているのだ。 両者で何が違うのだろうか。前者では、解釈する主体(生理学者)が、対象の外部に特権的位置を占めている。だが後者の場合、解釈する主体そのものが解釈される生活体の内部にいわば融合しているのである。
 機能環は記号系の働きをモデル化したものである。この点を勘案して記号学の用語法を導入することにしたい。前者の反射弓のモデルはそれ自体は記号系ではない。したがって、その働きを解釈するものは、反射弓の外部にしかありえない。これに反して、機能環はそれ自体が記号系であり記号過程の担い手であるから、その内部に記号の必然的構成要素としての<解釈項>(interpretant)――周知のように、これはパースの用語である――が内含されているのだ。
 環世界論にこのような記述を可能にした形而上学的見地を<内部存在論>(endo-ontology)と呼ぶことにしたい。この用語は直接にはメルロ=ポンティの遺稿である『見えるものと見えないもの』(みすず書房、1989;テクストは、Le visible et l'invisible, suivi de Notes de travail par Maurice Merleau-Ponty et Claude Lefort , 1979) に由来している。関連箇所を引用してみたい。引用の素材は1960年1月20日の研究ノートである。(みすず書房版とは、筆者の判断で訳を改めた箇所がある。)

(1) 内部存在論(endo-ontologie)を実行することは、惰性的な物質にあらゆるものを還元する<即自>の存在論を乗り越えることである。この乗り越えを物質の用語で表現するのが<尺度>である。一定の物質的なものが物理的平面に転写され、何かある大きさの関係に従って出現することになる。こうして得られるのは、尺度を有する投影的概念である。(……)

(2) 因果的思考を廃止しなくてはならない。この種の思考は、いつでも、世界を外側から見ること、あるいは<世界観察者>の視点で見ること――この見る働きには、アンチテーゼとして、この働きと拮抗しかつ不可分である、反省による取り戻しの運動がつきまとう――にほかならない。私は自分を、前に投げられた=客観的な(ob-jective)空間性という意味での世界のなかにあるものと考えてはならない。(……)因果的思考にとって代わるのは、超越という観念、すなわち実際に〔私が〕この世界へ内属しているおかげで可視的である世界という観念、内側の存在論(Intra ontologie)という観念、含みつつ含められた<存在>、垂直的かつ次元としての<存在>、次元性としての<存在>という観念である。――そして、因果的思考と拮抗しかつ連帯的である反省の運動(「観念論者」がいう内在immanence)にとって代わるのは、原理的に外部を有する<存在>の襞またはくぼみ、さまざまな布置からなる構造システムなのである。

 (1) の指摘には、生活体への生理学的アプローチを重ね合わせて理解してもいいだろう。具体的にいうと、<反射弓>という観念は<即自>の存在論のたまものであり――メルロのテクストに解釈上のあいまいさが残るが――無規定的な(単に<ある>として言い得ない)物質を<尺度>の概念の仲立ちによってかろうじて<何々である>とか<これこれである>と表現することで成立した観念だと言えるだろう。サルトルの<即自存在>は古くパルメニデスの存在概念に遡ることができる。「存在については、それはある、としかいえない」、「存在はある、無はない」、「存在とはあるところのものである」などというフレイズを『存在と無』のなかに読者は見出すだろう。
 (2) の箇所には、凝縮された言い方で、<内部存在論>の考え方が暗示されている。筆者が補足説明する余地はあまりないようにおもえる。ここに出現する用語についていうと、フッサール現象学のそれを肯定的に採用し、前半で批判的に言及されているのは、周知のようにサルトル存在論の用語にほかならない。
 この引用でとりわけ注目される表現を二つ数えることができる。第一に<外部>というカテゴリーへの明らかな言及である、第二に、<存在の襞>ないし<存在のくぼみ>である。この<外部>を単純に内部世界に対立するものと捉えてはならない。そんなやり方をすれば、内部存在論の核心は失われてしまうだろう。この種の解釈は、<外部>と<内部>を空間的カテゴリーと誤認することに起因する。内部存在論の<内部性>は<現実性>とほぼ同義であって、そこに空間的な意味合いは無い。世界の成立を<外部から内部への世界の裂開>と捉えることが必要である。<外部>とは世界への潜在性にほかならない。
 <存在の襞(ひだ)>ないし<くぼみ>という措辞は、サルトル存在論へのアンチテーゼとして意識的に選ばれている。サルトルは主著『存在と無』で、存在と無について「存在とはあるところのものであり、無とはあらぬところのものである」という定式を掲げる。存在と無とは二律背反の関係にある。サルトルの場合、何かについては、それが存在するか存在しないか(無であるか)、いずれでしかない。ところがメルロの内部存在論では、この種の二律背反を超えることが目されている。それゆえメルロは、端的で純粋な無の代わりに、<存在の襞>や<くぼみ>に言及せざるを得ないのである。例えば、衣服の襞は衣服の実質をなさないが、しかし衣服の無でもない。それは衣服につけられた折り目として、衣服に付帯するある種の形式性なのである。<くぼみ>についても同様に考えることができる。存在のくぼみは、その周囲に存在の広がりがあるからこそ、そこがくぼんでいるのだ。つまり存在とその否定とが連続性におかれている。(サルトルは時に、<無>を<存在の穴>と称している。確かに穴もその周囲に存在の広がりがある。しかし穴と存在を分離する輪郭はクリアカットである点が、<存在のくぼみ>とは大違いだ。)
 内部存在論という用語についていうと、この箇所以外にこの用語が『見えるものと見えないもの』において頻出している事実はない。その意味では、メルロ=ポンティがいわば大きな声で唱えた概念ではないという印象を読者に与えがちだろう。しかしこれは誤解である。
 じつは、ユクスキュルの思想に潜んだ<内部存在論>はただちにハイデガー哲学によって異なるスタイルで表現を持つことになった(ここでは必ずしも、事実上の影響関係をいっているわけではない)。言うまでもなく、内部存在論への志向は同時代のフッサールにもあった。こうして、二人のHの頭文字を持つ先生の歴然とした影響が、メルロ=ポンティの研究ノートに見出されることになる。ただし、同じ<内部存在論>とはいえ、メルロによるその哲学的表現はやはり彼のオリジナルなものだと言わざるをえない。存在の<内部>という論点に関して、メルロの場合、とりわけ身体性や言語あるいは一般に表現との関連が前面に出ているからである。しかしいまはこの指摘だけにとどめ、メルロ=ポンティの議論に立ち入ることは控えざるを得ない。  (つづく)