いつ贋作か――贋作の記号学メモ 1

namdoog2008-12-19

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 2001年秋、東京大学本郷キャンパス内にある総合研究博物館で《真贋のはざま》と銘打った展覧会がひらかれた。これは元来、平成12年度から平成13年度にかけてなされた博物館工学ゼミの研究成果を一般に公開するという目的で実施された展覧会である。

 これにあわせて、研究成果が著作として公刊されたが、この本は、展覧会に足をはこべなかった読者が展示の雰囲気を想像する手掛かりになるのはもちろん、多くの研究者による実に多様な視点からの問題へのアプローチを提供していて、<贋作問題>に関心を持つ者には貴重な資料である(西野嘉章編、『真贋のはざま―デュシャンから遺伝子まで』、東京大学出版会、2001年11月)。[追記:この文献がネット上で閲読できることを後日知った。次にアクセスしていただきたい。「真贋のはざま」http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/index.html]

 展覧会には多くの人がつめかけ大盛況だったという。「…年配の男性がゴーギャンの作品の前に立って、おばさんたちに大声で『ホラホラ、これも偽物ですよ…』などと話しているのが耳に入る。おじさんが解説しているのは、ブリジストン美術館が所蔵しているゴーギャンの贋作「若い女の顔」である。…」[上のその画像を掲げた](大宮知信『お騒がせ贋作事件簿』、草思社、2002年12月)

 古来、美術品に贋作はつきものである。もちろん文学その他の藝術の分野でも贋作はある。例えば英文学史シェイクスピア作とされる贋作は有名である。さらに藝術以外の制作物(artifact)についても「贋作」なるものが成立する。例えば偽作された歴史文書などである。だがここでは「贋作」の原型として美術品という制作物に話をかぎりたい。

 ところで、<贋作>とは何をいうのか、いわば<贋作>の本質は何だろうか。

 贋作をめぐる考察は哲学ないし美学の専売ではない。美術品にとって流通マーケットが成立するのは近代のことだが、贋作からある個別社会のあり方を観察できることから、社会学や経済学の観点から贋作を論じた著述もある。

 だがそれ以上に、<贋作>については、一般向けの読み物の格好のテーマとして多数の著述がものされている。贋作は人を欺きあくどい金儲けをする詐欺のたぐいであり事件である。贋作の物語に一般読者が多大の興味をおぼえるのは不思議ではない。この種の物語は、贋作がその正体を暴露される一件を解き明かすミステリー、またそれを真作と鑑定したその道の権威者が失脚するドラマとして読まれている。

 それはいいのだが、筆者の見落としでなければ、学術書と一般書とを問わず、前記の<贋作とは何か>の問い――贋作の概念的定義の問題――にはいまだに明確な答えが与えられていないままのようにおもえる。

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 この問題へは、実際に起こった贋作事件を考察することによって帰納的に迫るほかはない。ただここでは参照した事件の詳細を述べるいとまがないので、具体例に関しては必要に応じて最小限度の言及にとどめざるをえない点をお断りする。

 美術作品(絵画、デッサン、彫刻など)にはそれを制作した個人がいる。ここでいう<個人>が直ちに名のある巨匠である必要はない。例えば、古美術の場合、作者不詳であるほうがふつうである。「贋作の歴史は人間のそれとおなじくらい古い」(トマス・ホーヴィング)。一例をあげよう。ローマ郊外にある初期ローマ帝国パレストリーナ遺跡で、19世紀に地中から優美なテラコッタの鉢が発掘された。考古学的に言ってこれは古代エジプトの工藝品に間違えないはずだった。しかし実際はこの鉢はフェニキア人の手による贋作だったのだ。

 いま直面している問題は、一般化するなら、作品を制作する<主体>としての<作者>という存在者を世界のメンバーに数えてもいいのか、もし可能ならそれにはどんな制約が課せられるのか、という問題である。

 この困難な問いに対してこの場で安直な解を与えることはもちろん不可能だ。ただ一言付言しておくなら、<作者>が<個我>ないし<自我>の社会的様態である限りで、歴史上、個我が個体の他の様態にまさって際立つ(salient)時代においては、これに呼応して<作者>も際立つことになる。ロマン主義の<藝術家>の理念はその極端な姿である*1

 ここでいう<個人>は単に生物学的な意味での個体を意味するにすぎない。しかもこの日本語は集合名詞として使用されている。つまりこの名詞は単数/複数の両方の文法的指標をそなえたものとして解されるべきなのである。(英語なら明示的に、individual, individualsと単数/複数を書き分けることができる。)

 ルネサンスの巨匠たちが工房で弟子たちと集団で作品制作にあたったことはよく知られている。たとえ「ラファエロ」の署名が記された絵画であっても弟子たちの筆が加わっていないとは断言できない。しかも、後世に第三者の補修の筆が加えられている場合もある。もし一人の弟子が制作にかかわり、一人の補修者がこの絵に手を加えたとするなら、このラファエロの「真作」絵画には三人の個体がかわったことになる。

 もちろん、作品の制作と補修は別のプロセスであるから、この真作の<制作>には二人の個体がたずさわったというべきである。だが修復作業はややもすると贋作を生みやすいこともまた事実だ。「修復から贋作まではほんの一歩にすぎない」(アウグスト・ヤンドロ)。(ゼップ・シェラー『フェイクビジネス』(関楠生訳)、小学館、1998、253頁以降に具体的事例が示されている。)補修と贋作の問題には後で立ち帰ろう。

 ある工房で弟子が師匠(ラファエロだとする)のスタイルそのままに一枚の絵を描いた。それを見た師匠はあまりに出来栄えがいいので、自ら署名したというのだ。これは贋作だろうか。結論をいえば、決してそうではない。(文献によれば、こうしたことは稀なことではなかったらしい。)なぜなら、ラファエロのスタイルがその絵に具わっているなら、この絵がラファエロの真作だというのは、ある意味で同義反復(トートロジー)だからである。だが、と読者は言うだろう、だが実際にその絵を描いたのは、ラファエロという画家ではなく、その弟子にすぎない以上、それは贋作だと。

 しかしこの論法は単に<個我としての作者>という存在者を信じるものにしか妥当性を持たない。<藝術>よりむしろ<工藝>の制作品をとればわかりやすいだろう。洋の東西を問わず、前近代における工藝作家たちの個人名は伝えられていない。ある見事な藍九谷の皿を作った者のことを誰も気にとめない。にもかかわらずその皿の美的価値が卓越している事実に何の支障もないのだ。すなわち、工藝作家たちの存在様態は、近代の藝術家とは異なり<個我としての作者>ではない、と言うべきだろう。(この論点を宗教的次元にまで展開して論じたのは柳宗悦であった。)

 またこんな話もある。ある画商が署名はないがどう見てもシャガールが描いたしか思えないスタイルの絵を御当人のもとに持ち込んだ。この絵を一目見るや、シャガールはそれに署名を記すことを躊躇しなかった、と。(しかしこの話の別のヴァージョンだと、この絵を一目見たシャガールはこれをすぐに引き破ったことになっている。)これもまた、あるスタイルを持つ作品はいつでもすでにそれが真作であることの証明になる、ということを物語っている。

 ここで<スタイル>という概念について確実な理解を得ておかなくてはならない。(つづく)

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(お断り)前回まで掲載してきた「記号主義の生成」はまだ完結していません。続きをまた書きます。従って贋作あるいはその他の主題があいだにはさまることになります。今後は一つのテーマについて一応書き終えてから次のテーマに移るという原則には必ずしも従いません。
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*1: 種村季弘は次のように述べている。「…近代的自我の観念が発生してはじめて、一回限りの個人の署名のある近代芸術が生まれたということである。…」『贋作者列伝』青土社、1992月5月、274頁。この指摘は間違ってはいない。だが近代芸術の成立が近代的自我の観念を要請する、という論旨はほとんどトートロジーではなかろうか。<自我>の経験的具象化は近代に限られた現象ではない。例えばソクラテスの<魂>は近代の<自己意識>に酷似している。つまるところ、<個我>ないし<自我>が縦断的な可能的普遍性をもつと見なすほうが歴史の事実に即している。