いつ贋作か――贋作の記号学メモ 2

namdoog2008-12-24

(3) スタイルとは何か

<スタイル>についてはそれこそ星の数ほどの文献があるが、きわめてコンパクトながら、単純には捉えにくいこの概念の核心を言い当てた、N.グッドマンの論文「様式の地位」(『世界制作の方法』第三章、ちくま学芸文庫、2008年2月)にまさる論考を寡聞にして筆者は知らない。 
 この章で<スタイル>に<様式>の訳語があてられているのには理由がある。グッドマンは<スタイル>をここではもっぱら――絵画、音楽、文学などの――藝術作品の属性として考察しているからだ。 
 ところで、藝術作品は非藝術的な種々の存在者にならぶ特有の記号系にほかならない。したがって、藝術の領域の外部のさまざまな存在者も――それが記号系であるかぎりで――当然ながらスタイルを具えている。読者は<様式>がこのようにほんらい広大な範囲をおおう概念である点を忘れるべきではない。 
 スタイルの生成の問い――スタイルがどのような要素を巻き込みながら成立するかという問題――については上記の著書に立ち入った考察があるので、反復するには及ばないだろう。ここでは言及をただ<スタイル>ないし<様式>の形而上学的意義を指摘するだけにとどめよう。 
 スタイルとは種々のレベルにおける存在者の同一性の顕現(manifestation)である。 
 たとえば、存在者の最低階のレベルに個体を置こう。藝術的営為の主体として<作者>を自明なものとして想定するのが近代人の慣いである。
 たとえば20世紀ロシア(現ベラルーシ)のユダヤ人画家シャガール(1887-1985;後年フランス国籍を取得)の描く作品はまことにシャガールらしい、シャガール特有の様式を具えている。遠近法を無視した対象の配置、現実にはありえない姿勢で空中に浮遊する人物、青や赤の華麗な色遣い…。 
 「この絵はシャガール様式を具えている」と述べることは、「この絵はシャガールが描いた」と同義である。 
 だが実際にある一枚の絵がシャガールの真作の巧みな模写にすぎないことがあるかもしれない。しかし様式については、事実問題と権利問題をわけて考える必要がある。ある個別の画家の様式を事実上実現した別人の手になる作品がありうるのだ。換言すれば、ここに二枚のシャガール様式の絵があって両方ともシャガールの真作と言わざるを得ないのに、真相は一方だけが本物で他方は単なる模写である場合も起こりうる。(事実問題) 
 だがこれは様式の鑑定を間違えた事例にほかならない。画商や鑑定家はしばしばこの種の過ちを犯すが、いずれ彼らの無能力は第三者によって暴露されるだろう。(権利問題)
 ところで、<様式>は存在者の位階秩序の種々のレベルにおいて問題となる。ここで<様式の学>としてのstlystique; Stilistik (「スタイル学」と訳しておこう) について拙著の一節を引用することで説明に替えることにしたい。


 表現をもたらす生命記号機能を、そのアイデンティティつまり同一性にかかわるかぎりで考察する記号論の一部門。文体すなわち〈スタイル〉の語源はラテン語のstilusにある。これは、蝋をひいた板に文字を刻みつけるペンのことであったが、ひいては記された文書、さらにものを書く様式を意味する換喩ともなった。フランスの博物学者ビュフォン(Buffon, 1707-88)の言葉「スタイルは人間そのものです」には、スタイルを著作の客観的内容(概念や確証された事実)と対照させ、著者に固有な表現様式とする理解が示されている。
 この意味で初めは作家の文体を意味した〈スタイル〉は、やがて一方では、個人の行動様式や暮らし方を、他方では、あらゆる藝術へと適用される概念となっていった(たとえば、ある画家のスタイル、舞踊家のスタイルなど)。さらに、この概念は適用の領域を個人から集団および歴史的な意味での時代に拡げられることになる(たとえば「未来派のスタイル」、「バロック様式」など)。
 表現を生む主体が何であれ、その同一性の顕現が表現の〈スタイル〉であるかぎり、その知的探究(stylistique)を「文体論」と訳すのは必ずしも適切ではない(代案として「スタイル学」という訳語が考えられる)が、現代のスタイル研究が言語表現を中心に構想されたのは事実であった。スイスの言語学者バイイ(Charles Bally,1865〜1947)はソシュール言語学に言うラングの客観的・認知的内容に対比される、その主観的・情意的内容の分析をstylistiqueと呼んだ。 問題の多いこの対比を離れて、実際になされる言語表現(Rede)の個性を明らかにする表現美学としてStilistikを構想したのは、ドイツのロマン語学者フォスラーである。彼の「スタイル学」はまさしく「表現者の魂」を明らかにするものだった。(以下略)」(拙書『新修辞学』世織書房、2003年6月、341-342頁)
 (つづく)