いつ贋作か――贋作の記号学メモ 10

namdoog2009-03-21

変幻するスタイル

 
 ピカソの画集に解説を寄せたH.L.C.ヤッフェ(ドイツ出身の美術史家、1915-1984)は、ピカソの画業について誰しもが抱くにちがいない想念を次のように代弁している。(ヤッフェ『ピカソ』(高見堅志郎訳)、美術出版社、1965.)

 「(…ピカソの)絵の愛好者でも面喰うことがある。(…)忠実に写した、非常に自然主義的な肖像画があるかと思えば、一方では空想をほしいままにした怪物の絵があるという具合で作品と作品との間には関連もなければ緊密な結びつきもない。このようなことから、未来の歴史家は、手掛かりとなる資料を欠いたピカソの作品を前にすれば、それがみな一人の手によって制作されたものだとはとても信じられないだろうという声さえきかれる」(同書、41頁)、と。

 ヤッフェの設けた仮定はわれわれの議論のポイントをついている。

 ピカソが描いた個々の作品のスタイルはたがいにあまりにも大きな違いをはらんでいる。もしそれらの作品がピカソのものである事実を知らない鑑定家がいたとしよう。そのうえ彼には、問題の作品を同一指定するための「歴史的基準」が何もないとする。(厳密にいうなら、たとえ歴史的基準に適合する手掛かりを彼がもっていても同定は決して完結しない点はすでに述べた。ただし、逆に基準に反する手掛かりが一つでもあればその作品を「贋作」と見なしうる。)彼が頼りにできるのはただ作品そのもののスタイルつまり様式だけにすぎない。

 しかしながら、ピカソの絵のスタイルくらい変幻自在なものはない。時期によって彼は自分の様式を変えてきた。なるほどどんな画家でも多少とも様式の変遷を経験するかもしれない。ただピカソの場合は異常である。彼の場合、その前後の様式に共通な要素がないといえるほど様式の変貌ははなはだしいものだった。しかも同じ時期に創作態度によって彼は異なる様式を遣いわけることさえしている。

                    

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 ここはピカソについて論じる場所ではないので、彼における様式の変遷について詳しく述べるつもりはない。だがヤッフェの問題提起をよりよく理解するために、簡単ながら具体的に整理をしておきたい。

 ピカソ(Pablo Piccaso, 1881-1973)は早熟の天才画家として少年期に頭角をあらわしたが、1901年の終わりまでは、バロセロナの若き藝術家サークルに共有された諸傾向をあわせもつアーテイストの一人にすぎなかった。だがこの年に突如画面を重苦しい暗い青色が覆うようになる。モチーフも乞食や盲人など人生の影に生きる人間像にとられることになった。これが〈青の時代〉の始まりである。

 われわれにとって関心を惹かれざるを得ないのは、ピカソは以前には父称のルイスを自身の名に入れ「パブロ・ルイス・ピカソ」と名乗っていたが、この時期から母マリア・ピカソ・ロペスに由来する姓「ピカソ」を署名として使用するようになったという点である(ヤッフェによる)。文字通りピカソピカソになった。これは彼自身が自らのスタイルを自覚したことの証左でもある。

 1904年末に彼はパリに住むことになる。ドガロートレックあるいは印象派の「影響」のもとにピカソの様式は一変する。(この〈影響〉なるキーコンセプトについては別の機会に言及しなくてはならない。)レッド・オーカーや桃色や褐色が画布を覆い尽くしサーカス藝人や喜劇役者が描かれることになる。重苦しい憂愁の情感が親密で清純なフィーリングにとって代わった。〈桃色の時代〉の到来である。(「赤の時代」と呼ぶ史家もいる。)〈青の時代〉の作品《生活》(1904)とこの時代の《ラパン・アジールにて》(1905)を比較してみよう。共通点(形而上学の用語でいえば同一の属性)は何もない。二つの絵画を前に鑑賞者は「二つの」様式を数えざるを得ない。

 1905年〜1906年初めに制作された素描や水彩画には古典彫刻の影響が認められ、この表現要素はその後長年にわたり作品を支配するスタイルとなった。これが〈古典的スタイル〉である。その特徴は、主観的感情の排除と客観性への密着、フォルムと量感の強調にある。作例として《自画像》(1907)をあげておこう。

 1907年、ピカソにとってだけではなくヨーロッパ絵画史の大転回をもたらす様式上の変化が生じた。この様式の生成ならびに創発にはドラン、ブラックらの野獣派やセザンヌ、アフリカの彫刻などが種々の効果を及ぼしていた。この転回を成し遂げたのは、あまりにも名高い《アヴィニオンの娘たち》(1907)である。この作品は主として〈立体派〉のスタイルの確立につながってゆく。だがそこに〈表現派〉の要素あるいは別のスタイルにつながる萌芽を見ることも不可能ではない。

 《カーンワイラーの肖像》(1910)は〈分析的立体派〉のスタイルを具現する作品である。ピカソの友人であり画商であるこの人物の姿が多面体の結晶性のフォルムに分解されて描かれている。画家はモデルにまるで感情移入をしてない。このスタイルはモデルをどこまでもリアルに描くという目的が要求したもののようにおもえる。

 その後ピカソは〈綜合的立体派〉のスタイルを創出した。ある時期には同時に複数のスタイルで作品を描いた。超現実主義や抽象派のスタイルをピカソの作品に見出すことも不可能ではない。…以上の記述だけでも、ピカソが絶えず自らのスタイルを乗り越えようと営々と画業を推し進めていたのがわかるだろう。ここにピカソ自身の言葉がある。「これまで絵画は一歩一歩完全な形に近づいた。日々になにか新しいものがつけ加えられた。(…)しかし私にとっては、絵は破壊から生まれる。まずはじめ絵をつくり、つぎに私はそれをこわしてしまうが、結局失ったものはなにもないのだ。」

        


 さて、あらためてヤッフェの問題提起にもどろう。

 ピカソについて〈スタイルが同一性の顕現である〉という命題は無力ではないのか。その真意は何なのか。

 具体的な問題に置き換えよう。鑑定家はピカソにかんして作品の真贋をどのように判定できるというのだろう。〈真贋の鑑定〉は当然ながら〈作品の同定〉を論理的に含んでいる。以上の仮定から導かれるのは、ヤッフェのいうように「手掛かりとなる資料を欠いたピカソの作品を前にすれば、それがみな一人の手によって制作されたものとはとても信じられない」という帰結である。換言すれば、ピカソについて真贋の鑑定は事実上不可能なのである。

 誤解のないよう注意を喚起しておきたい。以上の仮想にもかかわらず、現にピカソについて作品の鑑定はたびたびなされている。なぜかといえば、ピカソの藝術家としての営みはすでに完了したからであり、彼の様式の(ある意味で異例な)変遷にかんして十分な認識が共有されているからである。だが、もし彼がいまなお存命で創作に従っていたなら、ヤッフェの仮定は真実味を持つことになるだろう。

 ヤフェエはピカソの画業にみられる「一見して混乱した創造」をむしろ絵画や広く藝術全般にとって大きな意義をもつものとして称賛する。ピカソは「絵画の極致というような完成は認めない。多様性、生の弾力性の方にずっと大きな価値を認めた」彼はあえて一貫した「様式」を否定したのだという(同書、41頁)。

 ヤッフェの論点はもちろん了解できる。「売るための絵」を量産する「画家」は問題外だが、どれほど多くの志ある画家たちが干乾びたマンネリズムの陥穽にはまってしまうことか。ピカソでさえそうした絵を一枚も描かなかったかといえば、そうとは言えない節がある。

 しかし「一貫した様式を否定する」という言い方を字義どおりに解するなら、これは背理以外の何ものでもない。なぜなら様式ないしスタイルとは同一性の顕現にほかならないからである。〈様式の否定〉とはある作品が誰か特定の画家のものでないことを否定するばかりか、およそ表現のジャンルとしての〈絵画〉に包括される個体でなないこと、つまりは何ものでもないことを言うにひとしいからだ。もちろん個体(an individual)でないものは一般者(universal)でありうるが、一般者でありかつ特定の絵画作品であるもの(entity)の具体的イメージはえがきがたい。少なくともそうしたものは〈藝術〉の論議域(universe of discourse)を逸脱してしまうだろう。

 ヤッフェの論点が示唆する真の問題は、筆者の解するかぎり、〈同一性の顕現としてのスタイル〉という観念のあいまいさであり、ひいてはその脱構築である。


 藝術作品が具現する同一性を原理に遡って整理しておこう。まず作品の存在論的身分が〈個体〉(individual)である点に疑義はないといっていい。横文字 (in- (否定)+dividu (分割できる)+al (〜という性質=分割できない)をみればわかるように、ざっと考えて、個体とは〈分割できない統一性をたもつもの〉であり、そうしたものとして〈他の個体から区別されてあるもの〉=〈他のものと代替できない唯一のもの〉をいう。

 例えば《アヴィニオンの娘たち》という作品をとってみよう。もしこの絵をいくつかの断片に裂いてしまったら、もはや「ひとつの」作品は消滅する。この絵は全体として統一性を保持しているからだ。もちろんこの絵はこの世にただこの一枚しかない。(ちなみにグッドマンは、この種の記号系を「自書体のみのもの」(autographic)なるカテゴリーに含めている。)この絵を模写したよく似た絵があったとしても、それと代替できるわけでもない。…以上のどの点からしても、この作品は<個体>なのである。

 それならば、藝術作品が個体であるかぎりで、その〈同一性〉とは何のことだろうか。
                                (つづく)