いつ贋作か――贋作の記号学メモ 14

namdoog2009-05-15

〈大羲之問題〉とはなにか

−「原作」(オリジナル)のないスタイルという逆説


 作品の真贋とそのスタイルとが概念として結合する様態を考察してきたが、その途中でまた新たな問題を提起する事例にであうことになった。
 書に興味のある人は「書聖」大羲之(おうぎし)の名を耳にしたことがあるかもしれない。大羲之は4世紀シナの六朝時代、東晋の王族の一員であった。貴族であり政治家であった彼はむしろ卓越した書家として知られている。
 ところが研究家の鑑定によれば、現在世界のどこにも「大羲之の真筆はただのひとつもない」という。後世に大羲之の書の真作が伝えられなかった背景には次のような事情があった。
 後の唐王朝の太宗(李世民、598−649)はこよなく大羲之の書を愛し、権力にものをいわせて作品の網羅的なコレクションをなしとげた。しかし《蘭亭序》だけは入手できなかったので、一計を案じ大羲之の子孫にあたる僧が有していたその書を僧の弟子に盗み取らせたという。しかしこの作品を含むすべてのコレクションは太宗が崩じたとき彼の遺言により副葬される運命をたどった。このような事情で世の中に大羲之の真蹟はありえないと考えられている。
 しかし喪失の運命をまぬかれた例外はないのだろうか。古くからこの例外として《快雪時晴帖》(台北故宮博物館蔵)が真筆として伝承されてきた。だが鑑定の結果、それが複製であることが明らかになっている。
 ちなみに、複製にはいくつの作り方がある。1)真作のうえに薄紙を敷き、細筆で文字の輪郭を描きその内側を墨で埋める方法(双鉤填墨)、2)一般的なのは「臨書」である。つまり作品を横に置いて模写するやり方である、3)真作を木や金属に刻んだ碑文から逆に真作を再現するやり方、などだ。ただ碑文が真作に対応しているかどうかがすでに問題になるだろう。


 大羲之伝説に接したわれわれとして、提起せざるを得ない問題がある。1)真作がひとつもない状況において、多種多様に存在する複製のどれがいっそう真作に近いかをどのようにして判定できるのか。あるいは、2)真作が現存しないのに、そもそも真作のスタイルを規定できるのか、できるとすればどのようにしてか。
 この二つの問いは実は内的につながっている。ある複製のいわば本物らしさの程度を測定するには、あらかじめ本物のスタイルが知られていなくてはならないと思われるからだ。そこで以下では主として2)の問いに焦点を絞りたい。

 考察を前に進める前に、念のため確認しておきたい一点がある。〈書〉は作品として絵画と同じように(伝統的形而上学の用語でいえば)個体的実体(individual substance)だということである。もしくは、グッドマンのいう〈自書体のみの〉(autographic)記号系だといってもいい。オリジナルな記号系とその模作あるいは贋作の区別が妥当する点がこの種の記号系の特徴だからである。
 他の例で考えてみよう。同じギターをもつ女性を分析的立体派風スタイルで描いたピカソの作品とブラックのそれとは、描かれたモデルが同一であっても それぞれが唯一で独自な作品である――ちょうどわたしとあなたが同じ日本人でもそれぞれがかけがえのない個人(=個体)であるように。これと同様に、同じ漢詩を書いた二つの〈書〉はそれぞれが唯一で独自な作品であって、その意味で自書体のみの記号系なのである。

 さて本来の問題に帰ろう。

真作が現存しないのに、いったい真作のスタイルを規定できるのか、できるとすればどのようにしてか。

 ただちに判明するのは、この問いに対しては、蓋然性の見地から経験科学的アプローチが可能だということだ。現に従来の研究はそうした種類のものであった。
 例えば書の研究家であり書家でもある石川九楊は次のような趣旨のことを述べている。「大羲之が生まれた年も場所も不明だが…極端に言えば、大羲之という人物が存在しようがしまいが、どちらでもかまわない」、というのは「大羲之とはひとつの象徴であって、ある歴史的段階で書の表現のうえに起こったさまざまな事象が、大羲之の名前に仮託してかたられている」のだと(石川九楊『やさしく極める”書聖”大羲之』、新潮社、1999)。
 とするなら、大羲之の書は、いわば不在の虚焦点に過ぎない。実際に残されているのは、大羲之の書のスタイルを多少ともとどめていると評価された多種多様な模作あるいは贋作の集積である。これらすべての作品が放つ光はたがいに乱反射しながらもおのずとある焦点に収束してゆくだろう。
 このプロセスを〈推論〉と捉えたとき、この操作はある面では〈帰納〉でありある面では〈アブダクション〉の特徴を呈している。
 従ってこの推論は演繹のような必然性は持ち得ない。ふたたびこのプロセスを〈大羲之スタイル〉の同定つまり同一性の認知と捉え返すなら、真作が無い場合、真作のスタイルの規定がどこまでも蓋然的でしかないことが明らかになるだろう。
 事実、石川九楊は《蘭亭序》のいくつもの複製についてそれぞれ(「八柱第一本」、「同第二本」、「同第三本」など)を比較し結論として「八柱第一本」が最善の模写だとしている。言い換えるなら、「第一本」が最も真作のスタイルを具現しているという。このようにスタイルは「あれかこれか」の問題ではなく、比較級でしか規定しえないものになる(前掲書を参照)。
 この洞察は「真作のスタイル」の存在様態に関して大きな効果をもたらす。なぜなら、真作のスタイルの規定が蓋然性を決して越えられないなら、今後の研究や発見次第では一度確定された「真作のスタイル」の上に修正や変更――さらにドラステックな事例においては、まったく異なるスタイルとの代替が起こっても不思議は無いからだ。
 これまでも何度か指摘したように、帰納アブダクションは「発見の論理」というより「発明の論理」である。〈大羲之スタイル〉の同定は不定の場所に経験に先立って存立するエイドスの直観などではなく、むしろ〈大羲之スタイル〉を発明し創出することにほかならない。
 大羲之問題はこれ以上に重層的構成をそなえている。
 いまわれわれは、真贋の判定が基本的には「歴史的基準」に依拠しなくてはならないこと、しかしながら原理的に、この種の基準の適用はいつでも不完備なものにとどまること――この致命的な事態を想起すべきだろう。
 ところで歴史的基準の適用には前提がある。ここにフェルメールの筆になるとおぼしい絵画作品があるとする。確かにこの絵はフェルメールのスタイルを具えている。
 しかし他の事情(例えば、出所の不確かさ)のせいで、画商は果たしてこれは本物かどうかと疑念をもつ。画商はこの疑念を晴らすために科学的鑑定その他のあらゆる手段をこうじて「歴史的基準を充足するかどうかの可否」に明確な解を得ようとする。これが歴史的基準の適用であり、厳密な鑑定の作業である。
 ところが、この鑑定の作業の前提をなす「スタイル」の恒常性=普遍性=確定性が、大羲之の例に見るようにじつは成り立たないのだ。つまりそのような特徴づけをともなう「スタイル」など存在していない。(〈可能的なもの〉として存在するのではないか、という難詰は空疎だ。なぜなら論理的に矛盾しないという意味における可能性は存在様相としてあまりに貧弱だからである。)
 スタイルはいつでも仮初めの存在様態の域を越えることはない。とするなら、歴史的基準に拠る〈鑑定〉はいわば二重に不完備性に蝕まれていると言わざるをえない。
 最後に念のために付言しておきたい。大羲之の事例が稀であることは確かである。しかしそれは現実に起こってしまったのだ。
問題は単に書のジャンルにはかぎられない点に注意しよう。あらゆるファインアーツ(絵画、彫刻、建築など)は大羲之の書と存在論的に同じ状況に置かれている。
 例えば、ピカソの原画の一切が滅びた世界、ただピカソの模作だけが伝承されているに過ぎない世界は未来において十分に可能である。ピカソ藝術を藝術に対する退廃と信じる原理的反ピカソ主義者たちが、現存するあらゆるピカソの原作を破壊する挙にでるかもしれない。
 多作のピカソに関してこのことが考えにくいなら、もっと寡作でしかも「退廃的」な画家に登場してもらってもいい。実際、こうした「幻の画家」が過去において多数いただろうことは容易に想像がつく。「幻の画家」の発見はしばしばジャーナリズムをにぎわせ、また美術史家はたびたび夭折した寡作の天才画家について語る。


 ひとまずこれまでの考察の所見をまとめておこう。
 1)贋作は真作と一対になって初めて成立する作品の様態である。ところで、真作は基本的に歴史的基準との合致によって判定される。だがこの判定はいつでも裏をかかれるリスクを完全には払拭しえない。すなわち歴史的基準はつねに不完備なのである。
 2)真作を真作にするものは、1)の「鑑定」の手続きとは独立に、作品のスタイルである。あるいは、スタイルとは作品の同一性の顕現である。
 3)作品に同一性を授けるものは、普遍性=不変性を特徴とする形相やこれとは異なる〈このもの性〉ではない。むしろこの種の形而上学的伝統と同一性を切断し新たに生きた〈同一性〉を構想しなくてはならない。同一性は〈ある〉というより〈生成する〉。その意味で作品のオリジナリティを保証する「同一性」などは無い。
 4)「歴史的基準」を性急に〈個人〉としての美術家に結びつけるのは間違えである。作品の同一性を保証するのは個人としての美術家ではない。藝術における個人主義の破綻を直視しよう。(個人主義的藝術学を代替するものを深めなくてはならない。それは部分的には深層心理学的藝術学などで果たされてきたが、まだ緒についたばかりである。)
 5)以上の考察は、〈オリジナルのないスタイル〉を示唆しているが、大羲之問題はこれを例証する。この論点はまた〈スタイルの発明〉という観念を介して同一性の脱構築を推し進める。
 6)真作がある、のではないように、その影としての贋作も、あるのではない。〈真作〉や〈贋作〉は本質を開示する観念ではなくてむしろ機能的概念である。条件が醸成されたときにある作品が真作になる。同様にしてある作品は贋作になるのである。   (ひとまずこの項目おわり)