演劇論ノート  ――After Fukuda Tsuneari 5 

namdoog2009-09-12

 

藝術における演劇の位置

 ここでひとまず演劇論への密着をやめ、福田の演劇論の理論的構成を彼の藝術論全体の中で整理してみたい。言い換えれば、いっそう広い視野の中で演劇を見直す作業をしようというのである。もちろん部分的にはこの種の作業を実施してきた。だが今度はしばらくこれに主題的にかかわるつもりである。

 まず演劇は近代においてはまぎれもなく〈藝術〉のカテゴリーに含まれる。福田もまたこの「常識」を踏まえる。

 若干コメントを加えておきたい。第一に、この時代的限定はクリアカットなものではない。古代ギリシア悲劇であれ我が国の能楽であれ、それらが〈藝術〉(もっと適切な用語があるだろうか)の事例として享受されていたのは事実だろう。

 ここは能の歴史について語る場所ではないが、多少は触れざるを得ない。能の成立についてふつう言われているのは、それが、古代に大陸から渡来した猿楽(散楽)や農民の藝能としての田楽が影響しあい室町時代初期に成立した藝能、いわば音楽劇(俳優の舞と謡に囃子方の伴奏がともなう)だという点である。

 人々は舞いや謡を楽しんだのであり、そのかぎりで〈エンターテイメント〉――楽しみ、気晴らし――という要因が〈藝術〉なるカテゴリーにとっては中心的なものになる。

 ところが、ギリシア悲劇でも能でも、他の側面においては〈宗教〉との濃厚なかかわりをもっている。

 例えば我が国の能であるが、当初、能が演じられる〈場所〉は神社であった。境内に能舞台が設けられ、舞台の屋根は青天井に晒されていた。そのため、照明は太陽光(木々を漏れてくる光や地面からの反射光など)によっていた。(能を上演する目的で「能楽堂」を恒久的建物として建造することは明治以降のことに属する。)

 能はかつて豊穣を予祝する農耕儀礼として祭事(宗教行為)の一環をなしていた。一般に、藝術のなりたちはたぶんに宗教的なものである。

 この点に関して福田の評論「藝術とはなにか」(福田恆存評論集、第2巻、麗澤大学出版会、2001、所収)から示唆的な言葉を引用する。「今日の学者たちは古代の呪術に、宗教と科学との萌芽を見ておりますが、その程度に――いや、それ以上に――藝術発生の契機がみとめられるということを、ぼくは強調したいのであります」(同書、259頁)。

 この評論において、福田はいわば藝術の呪術性を強調しているが、藝術と呪術の関連についてはすでに多くのことが語られてきた。だが「呪術」の捉え方が福田においては独特であり、その点で他に類例の少ない藝術論のように思える。多少この点を詳しく見ておきたい。

 かつてフレイザーによって、人間知性が呪術→宗教→科学、というリニアな進化を遂げるという説が提唱されたのはよく知られている。しかしながら、現在ではこの理論はほぼ捨てられてしまったといって過言ではないだろう。(なかでもレヴィ=ストロースの「野生の思考」論は、呪術的思考と科学的思考のある種の同型性を指摘した点でフレイザー説の土台を掘り崩した。)

 福田がここで「呪術」に言及するとき、主要な理論家としてフレイザーを念頭にしていたことは文脈からほぼ明らかである。しかし先に引用した彼の言葉をどのように解すべきだろうか。少なくとも明らかなのは、福田のいう「呪術」がフレイザーの同じ用語と概念内容を異にするということである。

 フレイザーの見解が、あからさまな進化論的進歩主義(=知性はリニアに進歩するという)、あるいは科学主義(=科学は知のパラダイムである)に依拠しているとすれば、福田はこのどちらからも逸脱した見解を披露している。彼は人間知性が「進歩する」などという夜郎自大な知識論を唱えたことは一度もないし、科学の理想は理想として、人間知としての限界や欠点をわきまえていた。〈呪術〉のカテゴリーをどのように規定するかという問題に関して、二人が同じ方針で対処するとは想像がつかない。

 福田は自らの藝術論を、人間のプラクティスとしての呪術を機軸に構想している。しかし注意すべきは、彼の〈呪術〉の捉え方である。すでに見たように、それはフレイザー流の呪術という観念とは異なっている。

 フレイザーが膨大な記述をあてて明らかにしたように、呪術にはいくつかの種類がある。福田もこの記述を手掛かりにして、ふつう「模倣的呪術」と呼ばれる種類を藝術成立の上で重要視している。トーテムなど直接呪力をそなえる対象による呪術とも、護符のような間接的に呪力を媒介する事物を用いるのでもなく、呪術者みずからが媒介者となって遂行する呪術のことである(同書、258頁)。

 呪術と宗教や科学とのかかわり、あるいはフレイザーの理論の是非などの話題については話をすべて端折ることにしよう。問題は、福田が、〈呪術〉をどのようなものとして了解しているか、〈呪術〉というカテゴリーの定義である。

 少し長くなるが本文から引用したい。

…呪術の本質は信憑性などということとは、まったくべつのところにある…宗教と科学とは、この点に関するかぎり、あくまでも同一の地盤のうえに立っており、けっして対立矛盾するものではありません。いずれも自然の理法を客観的に説明し、その障碍の克服、あるいはそれからの救いであります。…が、呪術は説明ではなく、また効果でもなく、純粋なる行為であります。ひとは信じなくても行為しえます。いや、たとえ信じなくても、行為なしではすまされません。信念や信仰が決断を生み、ひとを行動に駆りたてるということがよくいわれます。が、それよりも重要な反面の事実をわれわれは忘れている。ひとびとは、いかに多くのばあい、信念も信仰もなしに決断し行動していることか」(同書、266頁、下線は引用者)。


 「呪術は説明ではなく、また効果でもなく、純粋なる行為であります」、これが福田の呪術論の核心にほかならない。これはいままで提唱されたどんな呪術論にも似ていない。おまけに「純粋な行為」などというロマン主義的観念が突如として宣言されている。

 しかしながら、この命題を文字通りに解してはならない。なぜなら、ここには巧妙なレトリック――誇張(overexageratoin. underexaggeration)や黙示(reticence)――が仕掛けられているからである。

 第一に、(言語行為やその他の行為を含めた)行為のシステムとして呪術が遂行されたとき、明示的あるいは黙示的に、自然現象や人事に関する何らかの「説明」がそこに表示されるのは必定だと言わなくてはならない。福田もそれを認めないわけではない。だが彼によれば、古代人や未開人は――われわれも彼らとどこが違うというのか――呪術の説明が――正しいなら、めでたいことだが――たとえ眉唾でも、実際に間違えでも、そんなことは彼らにとりどうでもいいことなのだという。呪術における〈効果〉についても同様である。

 「純粋な行為」という一見ロマン主義的な想念は、呪術という、本質的に不徹底な(「人間的な、あまりにも人間的な」)プラクティス、あるいは本質的に曖昧な人間のプラクティスに結びつく点を忘れるべきではない。「呪術は自然を客観的に説明するためのものでもなく、また直接的に自然を支配するためのものでもありません。それは人間が自然と合一するための行為であり、より純粋に、そしてより強烈に、みずからが自然物であることを意識し、その自覚に酔うための行為であります」(同書、267頁)。

 純粋な行為は現実性がいつでもすでに現実性に充溢していないことの意識の動きだと言い換えてもいい。さきに福田が藝術とのかかわりで「模倣的呪術」に着目していることを思いだそう。マオリ族の戦士は自分の投げる槍が鋭く敵の胸に突き刺さることを念じて、槍につばを吐きかけると同時に、《飛びゆけ、わが槍よ、大空をよぎる流星のごとくに》という呪文をくりかえし唱える(同書、260頁)。

 この種の呪文は、それ自体、敵を槍で突き刺すという行為に接続する比喩的模倣なのである。実際に槍を敵に投げているわけではないかぎりにおいて、この模倣行為は虚構であるに過ぎない。(実効性がないのはもちろん、護符的効果も期待されてはいない。)ここに福田のいう「演戯」のプロトタイプ(この表現も誇張だが)がある。福田が「演技」とは書かないのは、世俗的な技術としての実効性がそれに伴わないという理由からである。  (つづく)