フーコー・ブッダ・グッドマン (1)

namdoog2009-12-27

 ドキュメント「性の王権に抗して」は、ミシェル・フーコー (Michel Fouchault) が1976年12月に刊行した『性の歴史』第1巻『知への意志』をめぐり、著者が、B.H.レヴィとかわした対話の記録である(「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、第644号、1977年3月、pp.92-130.; 邦訳『フーコー・コレクション5』、ちくま学芸文庫、所収)。この対話を通じて重要なさまざまな論点が率直かつ端的に語られているように思える。筆者の見地から多少の考察を施してみたい。
 ある個所でレヴィはこう問いをなげかける。
 ――すでに何度もあなたは、ご自分を歴史家として定義なされました。このことは何を意味しているのでしょうか。何故、哲学者ではなく歴史家なのですか。
 この問いに対する、フーコーのこのうえなく明晰な答え――そこには微塵のゆらぎもない――が読者を感動させる。彼はこう明言する。
 ――(……)哲学の問いは長いあいだ、次のようなものであったと言えます。すなわち、「すべてが滅びるこの世界において、移りゆくことのないものとは何であろうか。この移りゆくことのないものに対して、死すべきわれわれとは、いったい何であろうか。」これに対し、十九世紀以来、哲学は、次第に次のような問いに接近しているように思われます。「現在何が起こっているのか。そして、おそらく現在起こっていることがら以外の何ものでもなく、それ以上の何ものでもない、そうしたものとしてのわれわれは、いったい何であろうか。」哲学の問い、それは、われわれ自身がそうであるところの、この現在についての問いであり、したがって、今日において哲学の全体は、政治にかかわり、歴史にかかわります。哲学とは、歴史に内在する政治学であり、政治に不可欠な歴史学なのです。(ゴシックによる強調は引用者)
 この問答をめぐる筆者の解釈(それが改釈に及ぶことはやむをえないだろう)を少しばかり書きつけておこう。
 古代から近代までに至る哲学のターゲットはいわば客観的な真実在に絞られていた。人間的自然ないし人間性が問われるのは、この実在とかかわる限りにおいてだった。いやむしろ、そのようなものとして〈哲学〉という特殊西洋的な知的営みが編成された、というのが事実に即している。
 しかし〈現在〉という時間性を生きるほかないわれわれにとって、こうしたかたちの知は錯誤であるほかはない。この点については、いちはやく、東アジア、いっそう限定していうならインドないしネパールの地において透徹した反省が生まれた。筆者の言うのは、ブッダの教えにほかならない。
 フーコーによれば、〈現在〉とは〈現在起こっていることがら以外の何ものでもないところのもの〉である。フーコーでなくとも、人は問わざるを得ないだろう。何故かくのごとき現在をわたしは生きることになったのか、なぜ現在であって、非現在ではないのか、と。
 〈現在〉は必然性として人間にみまわれる。それは誰もどうすることもできない制約である。例えば、この世に生を享けたのは、わたしが選んだ事態ではない。好まなくとも、病は向こうから我が身にやってくる。また老いや死を免れる者は一人もいない。(哲学の伝統で、フーコーが指摘するように、「死すべきわれわれとは、いったい何なのか」というニセモノの問いが力をふるうことになるゆえんだ。)
 ブッダの教え(仏説)に従えば、現在は「因縁」によりもたらされたものであり「縁起」の果実なのである。ところで菩提樹のもとでブッダは悟りをひらいたという。その細部については、仏教学者が果てしない議論を続けている。だが悟りの中核に〈縁起〉という思念を認める点でおおかたの見解は一致している。
 「縁起」の説は、苦(生の必然的な制約)という用語で表現される人間の〈現在〉がいかにして成立し、またどのようにこれを克服できるかを教える。フーコーの知的営為のかまえがブッダのものにきわめて類似する事実を見落としてはならないだろう。(仏説とフーコーの思想が理論内容において類似すると言いたいのではない。そうではなく、思想のスタイルあるいは典型的な発想の根源において、両者は基本的に同型だと言いたいのである。)
 『知の考古学』(1969)はフーコーの思想のかまえをかなりな程度よく示している。この本は探究の方法論に関する叙述であると同時に、プラクティス(生の営み)のための準則を示唆している。〈現在〉をあるがままに見ることが〈現在〉を止滅することにそのまま重なるという逆説。しかしこの逆説を了解するためには、「知の考古学」の狙いをさらに明確にする必要があるだろう。
 フーコーは旧来の哲学を「形而上学」と呼び、いまこの種の知の可能性は尽きたという評価を下している。そうではなく、「哲学」は、歴史に内在する政治学あるいは政治に不可欠な歴史学になるべきだという。この言葉の真意を摑むには、フーコーの方法論にすこしばかり立ち入らなくてはならない。
 フーコーの構想する理論知あるいは学知(テオリア)は(主として『知の考古学』によれば)次のような特徴をそなえている。
 第一に、歴史を線形で一様な構造体と捉えない。(そうした歴史理解の典型として、キリスト教普遍史(Universal History)の思想をあげることできる。この歴史は神の天地創造に始まり、ノアの箱舟、4つの王国の時代を経て最後の審判で現世は終末を迎える、というものだ。複数の解釈者によれば、ヘーゲル主義はキリスト教歴史観を世俗化した体系だという。各種の進歩主義歴史観や西洋中心主義な歴史観(古代→中世→近世→現代、という時代区分にその特色が著しい)などはこれの変形である。)むしろ歴史を、切断、閾、非連続性をはらんだ多層的多元的な構造体として捉えるということ。(よく言われるように、ここには、エピステモロジスト(バシュラール、カンギレムなど)の影響が認められる。)
 この「非連続性の歴史」を掘り起こし記述する言説を、フーコーは、「アルケオロジー」(archéologie)と呼ぶ。ふつうこの語は「考古学」を意味する。それゆえ、彼の著作のタイトルを『知の考古学』と訳すのは間違えではない。歴史を構成する複数の層や系列を「掘り起こし、発見された遺物や資料によって過去を再構成する」機能をになうのがこの学問だからである。
 しかしまた、この語は「アルシーヴ」(archive)と深く結びついている。これは、古文書の集成あるいはそれら文書を収集し保存している施設(文書館、文書局など)のことである。フーコーはこの語も比喩的に使用する。すなわち、アルシーヴとは、ひとつの文化を構成する〈言われたこと・書かれたこと〉の集合つまり〈ディスクール〉(discours)のシステムを統御する制度的機構=機能のことである。
 それゆえ、「知の考古学」とはディスクールの集成としての「アルシーブ」を掘り起こしその解読に専心する知的探究だと解することもできるだろう。
 このように、フーコーの思想が、形而上学的観点からみて、記号主義(semioticisim)を基礎とすることは明白である。
 記号主義とは、存在するもの(存在者)の存在性を〈記号〉というカテゴリーから了解する見地である。古代において、存在者の存在性が形相ないしイデア(idea)に委ねられたのに対して、近代はこの形相を内在化して観念(idea)に変換し、ここに観念論(idealism)が成立することになった。
 ところが、ソシュールやパースに始まる記号学が明らかにしたように、記号主義はこのどちらの見地もしりぞける(両者の見地にかかわる微妙でしかも致命的な違いについて今はふれない)。彼らは存在者のエレメント(いわば実在の住処)を〈記号〉という名のもとに了解するのだ。言い換えれば、客観的な事物的存在者にせよ、主観的な心的存在者にせよ、存在者一般は記号的構成にほかならない。あるいは、世界とは記号系なのである。
 フーコーの記号主義をよく物語るのは、〈ディスクール〉という概念である。「言説」の訳が定着しているが、ふつうのフランス語としては、スピーチ、談話、演説、論証などを意味する。(デカルトLe Discours de la méthode は『方法叙説』と訳されているが、「方法についての話」くらいの意味にとっておけば足りる。)フーコーは〈書かれたもの・言われたもの〉の集合を指すためにこれを術語として用いている。換言すれば、〈言説〉とは言語行為の所産のセットを意味する。これに対して、言語によってなされた個別の〈発話〉や〈書記体〉(書かれたもの=エクリチュール)はまとめて〈エノンセ〉(énoncé)と術語化される。(「言表」という訳が一般的であるらしいが、筆者の好みでは、まあ〈エノンセ〉とそのままで使用するか、術語だと断って〈発話〉と訳すことでいいのではないか。)
 この用語法にはソシュールが影響していると思える。ソシュールは、〈ランガージュ/ラング/パロル〉という言語システムの階層的構造を発想した。すなわち、ランガージュとは人間が先天的に具える言語能力であり、それが一般的・相互主観的レベルにおいて実現した形態がラング、また前者を基礎として遂行される、個別的・主観的なその都度の発話行為をパロルとして捉えたのである。
 フーコーの用語法には、〈エノンセ/ディスクール/ディスクール編成〉という階層構造を示す語や、エノンセの保存や解釈を統御する制度的機構をいう〈アルシーヴ〉という語が含まれている。
 パースの記号主義の可能性を20世紀においてある方向にみごとに展開した哲学者としてネルソン・グッドマンを忘れることはできない。彼は記号の構成する力を直視しつつ、科学哲学や美学の領域で記号主義的考察を掘り下げた。しばらくフーコーの「知の考古学」とグッドマンの「世界制作の方法」とを比較してみたい。 (つづく)