記号系としての絵画の生成 (6)

namdoog2008-02-17

『眼と精神』の存在論――伝統との連続/非連続 
 私たちの見るところ、ヴァイツゼッカーの生命論が含意する形而上学ないし存在論はヨーロッパの正統的な思想に属している。それはけっして思想史の傍系をなすのでもないし、まして異端でもない。こうした存在論こそが思想史の本流をなすのである。もちろん伝統を形作る思想が、だからといってそのまま正しいわけではない。(伝統はときとして覆される。)<伝統>の要素であることは、正しいことの一つの徴候にすぎない。とはいえ、それは<正しさ>の重大かつ最大の徴候である。そうでなければ、帰納(induction)という推論が成り立たないからだ。(習慣が認識の受容可能性に寄与するという思想については、パースならびにグッドマンに詳しい。)
 しかしもし人がそれにある種のなじみ難さや違和感をおぼえるとするなら、その理由は人びとがそれと知らずにプレモダンからモダンを一貫する思考様式にからめとられているからである。この盲点の剔出した一例をハイデガーが構想した「存在論的差異」(ontologishe Differenz)という考え方に見ることができる。これはどのような考え方だろうか。
 日常的態度を生きる人びとは、個々の存在者にだけかかわり、それら存在者を存在者として在らしめる<存在>そのものを忘れている。そればかりか、存在そのものの思惟を課題として担うはずの形而上学者も、古来、存在者の特性から存在を規定するやり方に終始してきた。このかぎりで、市井の人も形而上学者も、存在を忘却したニヒリズムに陥っていると言わざるをえない。このニヒリズムに対抗するために、ハイデガーは、<存在>(Sein)と<存在者>(Seiendes)との峻別を存在論の不可避の制約としてひきうけるべきことを強調する。そのうえで、ハイデガーは、<存在>を思惟する道を彼独自の存在論として開陳するのである(この問題に関して、前期と後期とで彼の考え方が「転回」を遂げたことはハイデガー研究の常識となっているが、いまは立ち入らない)。
 一見して晦渋なこの「存在論的差異」の概念は私たちの生の感覚の深みに根ざしている。筆者はこれをいま「概念」と呼んだ。しかしながら、周知のようにハイデガー存在論(「存在」の思惟)が十全な概念的明晰さをもつことを、ハイデガーその人がポジティブな意味合いを込めて否定している。
 じつは「存在」概念は言語哲学者の格好のターゲットとして種々の分析が試みられてきた(一例として、M. K. Munitz, Existence and logic, New York: New York University Press, 1974を挙げておこう)。それでは分析哲学は、どこまでハイデガーの「存在論的差異」の要請に応えることができたのだろうか。
 なるほど、彼らはbe動詞の用法を観察して興味深い知見をもたらしてはいる。しかし彼らの業績を「存在の思惟」に匹敵すると見なすのは滑稽ですらあるだろう。結局、「存在の思惟」は<分節化する思考>(discursive thinking)では十分に表現しえないようにおもえるのだ。換言すれば、<存在>は言語によって解明できない。ひるがえって言えば、この点は当初から自明だったとも言えるだろう。なぜなら、「存在とは〜である」と口にした途端、この「定義」は循環という無意味に落ち込んでしまうからである。
 <存在>のこの言語化の不可能性(曰く言いがたしという性状)は、スコラの形而上学者が「超越概念」(transcendens)と称したもの――つまりあらゆる限定詞を「超えたもの」――の特色であった。すでにアリストテレスは、<存在>や<一>を実質的に超越概念と見なしている。その他、<真>、<善>、<美>、<無限>、<完全性>などもやはり超越概念に数えられてきたという歴史がある。スコラ学者は何のために超越概念を探究したのだろうか。言うまでもない。神学的言説という脈絡のなかで<神>について明らかに語るためである。
 哲学思想史上のこうした重要なエピソードは、<神>という信仰にかかわる観念を形而上学の用語として洗練した所産が<存在>にほかならないことを強く暗示している。もっとも、中世の神秘思想家エックハルト(肖像を参照)は「神は存在であると言うならば――それは真ではない。神はむしろ一つの超存在的存在であり超存在的無である」(上田閑照エックハルト講談社学術文庫)とした。神は<存在>といわんよりむしろ<無>の深淵なのである。
 しかしこれは神という観念が<超越概念>である点を強調したレトリックにほかならない。「無とは〜である」というのは明らかに矛盾している。無は何ものでもない以上、端的に<ない>からだ。換言すれば、無について言表することは不可能である。したがって、ある意味で、<無=存在>とさえ言いうるだろう。
 神の歴史的形象としてユダヤ=キリスト教の神を取り上げてみよう。イスラエル人の「神」に与えられてきたさまざまな性格(神の嫉妬深いという性格はよく知られている)のうち、いま、神が<隠れている>という了解に着目しよう。かつてモーゼを始めとする預言者の目の前に降臨した神はそれ以降というもの姿を掻き消してしまった。神が不可視であることはパラドックス以外のものではない。なぜなら神の重要な性格として、神学者たちはその<偏在>(ubiquitas)つまり神がいたるところにいますこと、つまりどこにでも姿をあらわすことを強調してきたからである。
 人格神としての神概念を存在論に移し変えたとき、「存在」なる概念が成立する。神が隠れているという言明は、神が<存在者>ではないことを意味するとしか解しようがないだろう。世界には物質的なものにせよ、概念的なものにせよ、ありとあらゆるモノが存在している。あるいはさまざまな出来事が生じている。これらのモノとコトとをひっくるめて「存在者」と呼ぶとすれば、神は創造主なのであるから、「存在者」を在らしめる「存在」に比定されるほかはない。
 論証の不備は承知したうえで(その欠はいずれ補いたい)、これまでの考察をまとめると次のようになる。すなわち、メルロの<垂直的存在>とはもろもろの存在者を在らしめる超越としての<存在>である。これをヴァイツゼッカーの生命論に即して、個々の生命体を生かしている<生命z>と見なすことが可能であり、またこの大いなる生命あるいは<生成の根源>を伝統的な<神>になぞらえてもあながち見当違いではないのだ。
 私たちの強調したかったのは、メルロの『眼と精神』で展開された絵画のオントロジーが、まことに正統的な形而上学の継承にほかならないという点である。だがメルロのこのテキストの魅力は、伝統的存在論に依拠しながら<絵画の生成>の現場を記述してみようと構えた点に発している。これが、抽象的なスコラ学の議論や小難しい形而上学の言説とメルロのテキストが断然異なるゆえんなのである。 
 これまでの『眼と精神』の読み方は、おおよそ、二つのやり方があったようにおもえる。一つは美術批評家の読み方である。彼らの文章には、この小編を絵画論の圏域に閉じ込めた上で、テキストの修辞のうわずみを掬い取り自らの考察に流用したものが多かった。もう一つは哲学者のメルロ=ポンティ研究におけるこのテキストの読み方である。後期のメルロの形而上学ハイデガーのそれの影響が甚大であることをこのテキストにおいて確認するのが、彼らの常套のやり方になってきた。いずれにしても、従来のテキストの読みは抽象的な水準での考察に終始していたといわざるをえない。批評家も哲学者も――いわば「真面目に」――<絵画の生成>の問題に議論を及ぼそうとはしなかったのではないか。
 ふたたび主題である<絵画の生成>に考察の焦点を絞ることにしよう。    (つづく)