いつ贋作か――贋作の記号学メモ 7

namdoog2009-02-11

「歴史的基準」の不完備性

 
 メーヘレンは「歴史的基準」をすり抜けるために数々の手管を弄した。彼の奸智のほどは以上の解説ですでに明らかかもしれない。

 だが彼がいかに悪知恵の持ち主だったかを知るには、やはり残りの3つの事項について説明をすませる必要がある。同時に彼の奸智がつまりは浅知恵に過ぎなかったことも明言しておかなくてはならない。

まだ説明していなかった事項は次のとおりである。

・アルコールテストに耐えるよう、絵の具層を硬化させること
・古画の徴候である絵の具層の亀裂を再現すること
X線で何も見えなくなるくらい、素材の17世紀絵画をすっかりそぎ落とすこと

 本物の古画の場合、キャンバスに塗られた絵の具が時間経過とともに硬化する。だが古画を摸した絵画は、時間を因子とするこの物質的プロセスないし化学反応までは模倣できない。(神も砂糖の溶けるのを待たなくてならない、と言ったのはベルクソンだった。)キャンバスの端をアルコール液を含ませた筆で少しなぞって一晩放置すると、なぞられた部分の絵の具が溶け出すのがわかる。真物の古画ならこんなことはない。これが「アルコールテスト」である。

 メーヘレンは顔料に用いる媒材について「実験」を重ねた。アルコールテストに耐えうる絵の具を作るためである。そしてついに当時新素材として普及し始めたベークライト(フェノール樹脂)を媒材にすれば、目的を達することを見出したのだ。ベークライトは日常用品に使われた最初のプラスティック素材だといってよい。

 時間の経過とともに絵の具が硬化し同時に油膜の表面に亀裂が生じる。アルコールテストをクリアしても、硬化した表面にこの亀裂が認められないということは、この絵画が17世紀に制作されたという歴史的基準に合致していないことを意味する。

 またもやメーヘレンは昼夜の別なく「実験」に没頭することになる。彼が発見した技法――それは「亀裂画法」という名にふさわしいものだ――とは、絵の具を注意深く薄く塗って描き、その都度窯で熱する、そしてまだ熱いうちにニスを施すのだ。するとニスが乾くと見事に亀裂が生じる。こうしてメーヘレンは絵画に「時間の擬態」を演じさせることにも首尾をおさめた。

 いよいよ最後の事項である。メーヘレンはどうして贋作の材料に使った古い絵画の表面を完璧に除去しなくてはならなかったか。X線透視によってキャンバスの基礎面に「フェルメール」の絵画の内容と撞着する画像が発見されたらどうだろう。これは問題の絵画がフェルメールのものではないことの「証拠」にほかならない。こうした事態をブロックするために、キャンバスがあと少しで裂けてしまうギリギリのところまで元の絵を除こうとしたのだ。

 メーヘレンが、古画の製作者が使用したのと同じ顔料で絵の具を自作した点にはすでにふれた。問題は白の絵の具である。現代絵画ではジンク・ホワイトが一般的だが、17世紀では鉛白が使用されていた。(余談だが、かつて鉛白が「鉛粉」の名でおしろいとして使われていたため、女性や歌舞伎役者が鉛中毒に苦しんだことはよく知られている。)メーヘレンが使ったのはオーストラリアやアメリカから19世紀半ばから輸入された鉛白だった。

 周到なこの手立てが逆に「エマオの食事」と他の何点かの作品が紛れもない「贋作」である「科学的証明」を導くことになった。1967年のことである。検証にあたったのは、ピッツバーグにあるカーネギー・メロン大学の画材研究所であった。(フランク・ウイン『私はフェルメール』、302〜303頁を参照)

 鉛白(酸化鉄)はいくらか不純物を含んでいる。問題は不安定な物質(鉛210やラジウム226)である。鉛210は素早く崩壊し、ポロニウム210に変化する。半減期は22年である。すなわち、22年間で鉛210の初期量のうちの半分がポロニウム210に変わってしまう。他方、ラジウム226はゆっくりと崩壊し、鉛210に変化する。半減期はなんと1600年。

 もしその絵がフェルメールの真作なら、300年という期間は鉛210の半減期22年に対して相対的に長いので、それから出る放射能量は、ラジウム226から出る放射能量とほぼ等しくなる。ところがその絵が20世紀の贋作なら、鉛210から出る放射能量はラジウム226から出る放射能量よりはるかに多くなるはずである。

 カーネギー・メロン大学のスタッフは、「エマオの食事」ほかの作品が20世紀の鉛白で描かれたこと、それゆえ真作ではないという決定的結論を導いたのである。

 少しの間、メーヘレン事件を離れよう。一般的にいえば真贋の「科学鑑定法」にはこれまで取り上げたもの以外に、放射性炭素年代測定法、熱ルミネセンス年代測定法などがある。

 熱ルミネセンス法とは、鉱物をある温度以上に加熱するとそれまでにうけた天然の放射線量に比例する量の光をはなつ現象(熱ルミネセンス)を利用するやり方である。天然の放射線量がつねに一定であるとすると、石英などの鉱物の熱ルミネセンスを測定すれば、最後に加熱された時期をきめることができる。たとえば、土器の年代を熱ルミネセンス法で決定するということは、その土器が焼かれたとき以来ずっとうけてきた放射線のエネルギー量をはかるということになる。この方法は数十万年前までの年代決定にもちいられる。(この記述は、「エンカルタ百科事典ダイジェスト版」による。)

 美術品に限らず考古学資料などの年代測定によく用いられるのは、放射性炭素年代測定法だろう。これはかつて生きていた生命体がいつ頃まで生きていて、いつ頃死んだかを調べる方法である。したがって測定の資料が木や貝など生物の残骸であるときには、この方法によって制作年代を測定することができる。どのように測定するのか、その原理はどのようなものかなどの諸点については別の解説にゆずることにしたい(例えば、吉田邦夫ほか「真贋を科学する 年代物――ほんとうはいつ頃のもの?」、西野嘉章編『真贋のはざま』、東京大学出版会、2001)。

 メーヘレン事件から、「鑑定」という主題に関してわれわれはどのような教訓を学ぶべきだろうか。

 メーヘレンはフェルメールの真作ならクリアできる「歴史的基準」のすべてに対処する技法を開発した。確かに古画の「歴史的基準」の一つとしての鉛白を使ったことは、彼の犯した致命的失敗だった。しかしながら、彼が仕入れた鉛白が20世紀に生産されたという事実は本質的ではない。仮にメーヘレンに鉛白に関するいっそう精確な知識があり、17世紀の鉛白を入手できたとするなら、彼の「贋作」は科学鑑定によって正体を暴露されなかっただろう。

 ネルソン・グッドマンは「[ある作品が]本物かどうかを確かめる唯一の方法は、それが[真実の作者が描いた]真作であるという歴史的事実を立証することである」として、鑑定のための《歴史的基準》を提唱した。この考えはまったく正しい。しかし問題は、「歴史的基準」の適用がつねに有限個の手続きの形をとることにある。

 ある絵画が〈17世紀に描かれたということ〉を判定する「歴史的基準」が有限個しかないのは自明のことである。科学鑑定法がさらに精密化し多様な方法が開発されたとしてもこの事情は変わらない。とするなら、メーヘレン以上に科学的知識を有する贋作者が今後出現しないとはアプリオリに断言できない。なぜというと、有限個の基準をすり抜けることはつねに可能だからである。

 もちろん17世紀の通常の古画が木枠や布などの生物に由来する素材を使用するかぎり、放射性炭素年代測定法を誤魔化すことはできない。

 だが非生物的素材をもちいた彫刻作品ならどうだろう。古代の土器も粘土から作られているかぎり、放射性炭素年代測定法では測定できない。土器の年代測定は実際になされているが、これは土器自体ではなく、土器に含まれているゴミなどを測定しているに過ぎない。発掘の際にタバコの灰や手垢が付くだけで測定値がおおはばに変わってしまうのだ。(掲載の写真参照)

 こうして、歴史的基準の適用が実際には有限回の手続き処理を意味する限り、「歴史の擬態」がつねに可能なのである。

 ここでふたたび、贋作の鑑定に関して、〈スタイル〉ないし〈様式〉という概念の重要性が浮かび上がることになる。   (つづく)