レトリックとは何か

namdoog2007-01-17

 ユクスキュルの環世界論についての考察が途中であるが、ここでレトリックに関する筆者の総合的な考えを披露しておこう。この文章はいずれある事典の項目として刊行される予定になっている。そのままだと著作権上まずいかなと考え、多少違えてある。ただし、この文章には筆者の過去の論文などが利用されている点をお断りしたい。同じ主題についてふたたび書く以上、内容の重複は免れないが、しかし新たな論点も多少盛り込んだ。
 なお環世界論の考察は、この後で再会する予定。
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【レトリックの起源と変遷】
 従来、rhetoricに対してはおおむね二様の訳語が使用されてきた。「弁論術」と「修辞学」とである。おのおのの訳語にはそれなりの根拠がある。しかし、本来一語である言葉を二通りに訳し分けることの欠点は、原語のもつ語義の統一を断片化してしまい、この語が担ってきた歴史性を誤認させる惧れがあるという点だろう。ここでは、rhetoricをカタカナで表すことにした。
 本来レトリックについては、1)歴史的概念としてのレトリック、つまりヨーロッパ出自でその後歴史的に変遷した特定の言語的教科と、2)この歴史的対象のさまざまな変異の底流にあり、人間がホモ・ロクエンス(言葉を話す人)である限りで人間性(human nature)の一部をなす、<レトリカル性>とを区別する必要がある。後者は非ヨーロッパ世界にも当然その発現を辿りうるものである。1)が2)なしにはないのと対称的に、2)を明らかにするには、1)の歴史的考察が不可欠である。本項ではレトリック論の研究状況をふまえ、1)に密着するかたちでレトリックを考察しよう。
 レトリックは、そもそも古代地中海世界において、<弁論>と<説得>の技術として始まったとされる。通説では、それは紀元前5世紀頃のシチリア島シラクサにおいてであったという。シラクサの僭主を民衆が打倒した折に、所有権をめぐるおびただしい訴訟が起こり、いきおい人々は、裁判や集会の場で相手を論破し説得する必要に迫られることになった。こうしてレートリケー(rhētorikē < rhetor(雄弁家) +tekhnē(技術))つまり「雄弁の技術」が生み出されたのである。従来「弁論術」と訳されてきたのは、この種のレトリックに他ならない。
 当初は個人的に教授されていたこの技術は、すぐさま教育制度に組み込まれることになった。「雄弁家」を自称したゴルギアス(Gorgias)の弟子である、アテネのイソクラテス(Isokratēs)が徳育と政治家の養成のために修辞法を正規の学習に取り入れたのである。こうしてレトリックは単なる実用的な技術である以上に、教養の真の手段となった。この伝統は脆弱になったとはいえ、現代にまで及んでいる。例えば、20世紀初めまでフランスではリセ(国立高等中学校)にレトリックのクラスが設置されていたし、現在でも欧米の大学には「レトリック学部」が存在している。
 伝統的レトリックがそのまま教科として教えられることは稀になったが、レトリックそのものが滅びたわけではない。その教育は、「文章作法」、「ディベイド」、「クリティカルシンキング」、「アカデミックライティング」、「メディアリテラシー」、「プレゼンテーション」、「論証法」、「コミュニケーションデザイン」などのさまざまな名と装いのもとで――レトリックの伝統が尊重されているとは必ずしも言い得ないが――むしろ現在盛んになりつつある。(これらの教科や技法がそのままレトリックに重なると言っているのではない。)さしあたり、これらの科目が形式的な<論理学>教育と一線を劃している点に留意しなくてはならない。
 レトリックの理論として後代に大きな影響を与えたのは、アリストテレス(Aristotelēs)の著作『弁論術』であった。彼はレトリックを「あらゆる命題に関して可能な説得方法を発見する能力」と定義したうえで、弁論のタイプを<法廷>、<議会>、<演示>の三つの場面に即して分類した。初めの二つのタイプは説明を要しないだろう。<演示>とはおおむね冠婚葬祭などのときの演説をいう。(ちなみに、アテネの政治家で将軍のペリクレス(Periklēs)が戦死者の追悼のために行なった演説は、模範としてしばしば引き合いにだされる。)
 ギリシアの弁論術は共和制ローマに広まってゆく。キケロ(Cicerō)〔写真を参照〕は『創案論』でレトリックの体系を発想・配列・文体・記憶・発表の部門からなるものとして構想し、『雄弁家論』では自由人の教養として雄弁の必要性を説いた。自らも「カティリナ弾劾」「ウェレス弾劾」など多くの演説を残している。ところが、帝政ローマ時代となると、闊達な言論が衰弱していった結果、弁論の技法としてのレトリックは話し言葉から書き言葉へとターゲットを転換することとなり、ここに文章法としてのレトリックが行なわれるようになる。すなわち「修辞学」としてのレトリックに他ならない。そこには後年「文体論」と称された学科やすでにアリストテレスが構想した『詩学』などが隣接していた。
 弁論術の伝統はクインティリアヌス(Quintilianus)の『弁論家の教育』によって集大成されることになる。その後、レトリックの伝統は教父に受け継がれ、中世には、自由学藝(artes liberales)――文法・レトリック・論理学、算術・幾何・天文・音楽の七つの科目――の一つとして自由人に必須の学問とされた。しかし18世紀以降、ラテン語の衰退とともに弁論術は衰え、代わりに文飾や比喩の技法としての<修辞学>が盛んになってゆく。
【レトリックと言語観】
 歴史上、レトリックはいつでも反対者に非難なされてきた。古代における反レトリックの筆頭者といえば、プラトン(Platōn)の対話編『ゴルギアス』に登場するソクラテス(Sōkratēs)であろう。彼によると、レトリックは白を黒と言いくるめる詐術同然のものであり、真の技術などではないという。近世ではホッブス(Hobbes)、デカルト(Descartes)など、立場を異にする多くの哲学者が一致してレトリックを蔑んだ。(しかし、デカルトに反対し、レトリックの精神から「真理と事実とは置換できる」と説いたヴィーコ(Vico)のような人物もいた。)これら反レトリックの論者たちに共通しているのは、レトリックが扱うような言語の様態――話し言葉であれ、書き言葉であれ――が本来の言語にとって余剰であり派生的なものに過ぎないという見地である。
 反レトリック派にとって、本来の言語はいわば大文字で書かれた唯一の真理を語りだすべきものである。真理を語る言語の形式は<論証>である。それが絶対に確実な前提から一通りの理路をたどって結論に至る<演繹>という推論形式に類似すればするほど、それは確実となる。そのために言語は字義的かつ一義的でなくてはならない。換言すれば言語は<モノフォニー>を持ち前とするという。反レトリック派は、言語の主要機能を事象の<概念化>とその<記述>に求める。しかもこの機能が、言語のもう一つの機能である<コミュニケーション>とは無関係であるとする。彼らの理想言語はこの意味での<語り>ないし<ロキューション>なのである。
 しかしレトリックの提唱者たちは、生活が蓋然的真理に満ちていること、論証には<帰納>や<類推>があることを知っていた。後年、プラグマティズム創始者パース(Peirce)は、非演繹タイプの推論形式である<アブダクション>を強調した。これらの推論形式は多分にレトリック的である。こうした意味で、古来、レトリック(retorica)と論理学(logica)とは互いに緊張関係に置かれてきたのである。推論が確実な前提から始まるのは稀で、大抵の場合、多くの人が真として受容する想定――アリストテレスはこれを<エンドクサ>(endoxa)と呼んだ――のうちで推論がなされる。この種の論証は切れ目のない連鎖をなさず、途中を端折ったり当座の合意で間に合わせたりで十分使命を果たすのである(アリストテレスのいう<エンテューメーマ>(enthymēma))。レトリックの提唱者が一枚岩の真理を忌避するのは、必ずしも一義的でも字義的でもない生きた言語を直視するからである。レトリックで多用される暗示、比喩、引用、文彩などの<ポリフォニー>の技法はむしろ言語の本来的様態であり、その豊かさである。レトリックは言語を<語り>に還元することに反対し、<豊かな語り>(elocution)つまり生きた言語の陶冶を目指すのである。
【レトリックとコミュニケーション】
 <語り>は言語以前あるいは非言語的表現の認識価値(真理や意味を担う力)を排除し、正統的言語学では、発話に伴う身体運動、表情、ノイズ、沈黙、ピッチ、イントネーションなどの要素(すなわちプロソディ)には認識価値がないと決め付けるが、レトリックあるいは<豊かな語り>は、それらの価値を認め進んで協働しようとする。レトリックは朗唱やパフォーマンスの技法でもある。また、離散的構造をなす<命題>とは別に<図式>や<イメージ>や<アナログ>に認識の役割があるとするレトリックは、反レトリック派が卑しめる<想像力>や<共通感覚>に重要な地位を与える。こうして、反レトリック派が分析的理性、計算、形式主義、真理の二値性、知性と感情の対比などを重視するのに対して、レトリックの提唱者はそれらを相対化する。<語り>は誰が、いつ語ったかという事実性とは無関係に真理を語るとされる。真理は無人称的で時制を離れている。ところが<豊かな語り>は、つねに誰かが・ある文脈で・誰かに向ってなす行為である。換言すれば、それは<コミュニケーション>そのものなのである。<語り>が超越的な道徳性を強調する個人道徳に結びつく傾向があるのに対して、<豊かな語り>は――人を説得しえない真理は真理ではないかぎりで――社会倫理へと展開する。このように、レトリックは、言語の二大機能である認識とコミュニケーションを統合的に把握することを目指している。
【レトリックの現代化】
 レトリックに最も近い領域は言語哲学であり、とりわけ真理と意味の問題および認識の問題を考察するためにレトリック研究ないしレトリック論(rhetorical studies)は有益である。1970年代以降のいわゆる<認知革命>を通じて、レトリックの研究が心理学、言語学社会学、人類学などの分野でいっせいになされた。認知意味論における比喩の研究はその著しい成果の一例である。また上記のように、レトリックに関連する多彩な実用的学科が行なわれるようになった。さらに文藝理論、政治学、法学などの分野から新たにレトリックへの取り組みがなされている。
〔関連文献〕アリストテレス(戸塚七郎訳)『弁論術』岩波文庫、1992.プラトン(加来彰俊訳)『ゴルギアス岩波文庫、1967.廣川洋一『イソクラテスの修辞学校』講談社学術文庫、2005.アリストテレースホラーティウス(松本 仁助・岡 道男訳)『詩学岩波文庫、1997.キケロー(大西英文訳)『弁論家について』(上下)岩波文庫、2005. クインティリアヌス(森谷 宇一ほか訳)『弁論家の教育』(上) 京都大学学術出版会、2005.ヴィーコ(上村忠男・佐々木力訳)『学問の方法』岩波文庫、1987. ジョンソン(菅野盾樹ほか訳)『心のなかの身体』紀伊國屋書店、1991.レイコフ(池上嘉彦・河上誓作訳)『認知意味論』紀伊國屋書店、1993. ペレルマン(三輪正訳)『説得の論理学』理想社、1980.菅野盾樹『新修辞学』世織書房、2003.菅野盾樹編『レトリック論を学ぶ人のために』世界思想社、2007、近刊.