という観念の生成について (3)

namdoog2007-10-13

ヘレニズムの伝統

 <記号>という観念の生成にヘレニズムの伝統が大きな寄与を果たしたことは、すでに厖大な資料によって明らかにされている。記号学の分野でこの点を強調したのは、ハンガリー出身の記号学者トマス・シビォクであった。ここではG. Manettiが原資料や多くの研究を渉猟してまとめたすぐれた研究(Theories of the Sign in Classical Antiquity, Indiana U. P., 1993、オリジナル版はイタリア語)に依拠しながら、私見を交えて問題の解明にあたることにしたい。
 結論を先取りして言えば、古典ギリシアにおいて形成された<医術>――現代の学問としての<医学>と区別して一応こう呼ぶが、本質的な意味では、認識-実践のシステムとして両者に違いはない。たとえ差異があるとしても、絶対的なものではなく単に程度の差に過ぎない――において、<記号>という観念が確立され、その結果として医術そのものが記号的実践として確立することになった。
 換言すれば、ギリシアの医術において、記号とその変換操作つまり推論のシステムが出現したこと、またこの種のシステムの生成を通じて(主として身体にかかわるかぎりでの)<現実>が構成されることになったということである。
 マネッティが指摘するように、後年、この種の記号システムの問題は哲学やレトリックの領域で主題化した。逆に言うと、哲学やレトリックの成立には医術が多大の影響を与え続けていたのである。
 さてギリシア医術は厖大な文書をうみだした。その主要なものが、Corpus Hippocraticum(以後、CHと略す)、つまり紀元前5〜4世紀の医学理論と実践の資料集である。これらの著者は後年その業績を称えて「医学の父」や「医聖」と呼ばれたヒポクラテス(Hippocrates、紀元前460年 - 紀元前377年)だというが、もちろんこれは伝説に過ぎず、実際には多くの著者が参加している。確実にヒポクラテスが執筆した著作は10に満たない。(『古い医術について』(小川政恭訳)、岩波文庫、を参照。)
 記号学としての医術を成り立たせている働きの機軸とは何だろうか。医術における記号とは、ふつうに<徴候>ないし<症状>と呼ばれる身体現象にほかならない。(いまでも、英語でsignにはそうした意味がある。)
 しかし、これらの身体現象は――医術という記号システム-記号実践を離れて捉えるなら――単に自然界に生じた出来事に過ぎず、何の意義もない。徴候とは、出来事に推論をほどこして得られた所産にほかならない。すなわち、身体現象はlogismós(記号操作のシステム)に関わることにより、まさに<記号>=<徴候>として有意味化するのである。
 現代の医学では、徴候は疾病の診断(diagnosis)のために必要な条件である。診察をうけるために病院を訪れた患者に対して、医師はまず問診やさまざまな検査を患者に施すことによってあらゆる徴候を収集する。このようにして、徴候は数値化・視覚化される。
 ところが古典ギリシアの医師は記号(徴候)を予知・予後(prognosis)を知るために使用した。これは記号システムとしての古代の医術と現代医学との間に認められる大きな違いである。 この違いは何を意味しているのか。単純にいえば、古代の医術はどこまでも実用的=操作的であるということだ。
 ヒポクラテスは、それ以前の呪術的な医術とは異なり、「観察と合理的な推論にもとづいて、初めて医学を経験科学の座に据えた人」だと称されている。間違えとはいえないが、ミスリーディングな言い方であろう。徴候がギリシア医術においてどんな役割を果たしているかを知るとき、この面ではヒポクラテス以前の医術や民間医療と連続性があることを否定できない。
 ロギカあるいは論理学とレトリカ(弁論術/修辞学)との対比が、医学と医術とのアナロジーとして成り立つかもしれない。後者においては、ロゴス=論理が現実生活や人間の行為に直接かかわっている。ギリシアの医術は「合理的な推論」を遂行しながら、その終局の目的は患者の健康を回復することであり、徴候は診断(diagnosis)より予知・予後(prognosis)の問題なのである。
 繰り返すことになるが、CHの著者は占いを非難し、藪医者をののしっている。なぜならば、後者において占いの記号は意味が曖昧であり学問としての客観性をもたないからだ。CHの他の著者は奇跡を行う医師を予言者(soothsayers)として非難している。
 占いの推理(manteúein)と医学的推測(tekmaíresthai)とは対極にあるものだ。前者に対抗してギリシアの医師は(占いや奇跡や超自然とは無縁な)世俗的記号論(secular semiotics)を樹立しようとしたのである。(つづく)