知覚における算術の誕生 (8)

namdoog2010-11-26

 こうして見てくると、音階が音楽の<スタイル>を決定する最大の要因であることが分かるだろう。あらためてスタイルとは何だろうか。
 この概念は基本的に存在論的概念として理解されなくてはならない。styleはたいてい「様式」や「文体」などと訳されるが、語源をさかのぼれば、ラテン語のstilusつまり「蝋をひいた板に文字を刻みつけるペン」をいう言葉だった。これがひいては「記された文章」、さらに「文章を書く様式」を意味するようになったのである。
 初め作家の表現様式つまり文体を意味したスタイルは、やがて、一方では個人の行動様式や暮らし方(「ライフスタイル」)を、他方ではあらゆる藝術へと適用される概念となっていった(たとえば、ある画家のスタイル、ダンサーのスタイルなど)。さらにこの概念は個人から集団および歴史的な意味での時代まで適用範囲を拡大することになる。たとえば、「未来派のスタイル」、「バロック様式」など。
 重ねていうと、<スタイル>は基本的に存在論の用語である。つまるところスタイルとは――表現を生む主体の存在論的身分が何であれ――表現主体の同一性の顕現のことである。したがって、ある作品のスタイルを分析し解明することを通じて、原理的にはその作品を制作した主体を同定できるはずである。
 これでようやくメルロの「転調」概念の解釈をおこなう準備が整った。メルロによるこの概念の使用例をあげよう。
 人間の行動はどのようにして実現されるのだろうか。たとえばタイピストが巧みに両手の指を操作して文書を作成するときに、何が生じているのか。タイピストは自己の身体が客観的空間のなかを移動し軌跡を描くその表象をもつわけではない。いちいち自分の指の位置を空間に投射しながらタイプすることなど、ロボットでもないかぎり不可能である。
 とはいえ人間はロボットではない。メルロに言わせるなら、行動を理解するためには、観念論や主知主義を捨てると同時に機械論も捨てなくてはならない。私たちが赴くべきは身体性の存在論なのである。すなわち〈タイプを打つ〉という行動は、つねに固有な表情をともなう運動性の転調として現象するのだ(邦訳『知覚の現象学Ⅰ』、242頁)。
 ここでメルロは明らかに人間の行動を音楽になぞらえている。『行動の構造』で描かれたように〈行動〉の存在論的身分とは表情をともなうゲシュタルト構造である。音楽もやはりゲシュタルト構造から成り立っている。それゆえ行動することは運動性(motiricité)の次元における音楽の演奏にほかならない。〔追記:勿論、これは人間行動が文字通り音楽だというのではない。両者がゲシュタルト構造を共有し一方が他方の隠喩だという意味である。〕


 メルロ=ポンティはさまざまな場面あるいはさまざまな存在の水準で身体性としての実存の「転調」を語っている。転調が文字どおりには、楽曲の途中でその調(ton)を変えることであるのはすでに述べた。となると、転調が生起した前後に楽曲という同一の存在者が持続していることになる。換言すれば、転調の前後でゲシュタルト構造の経験的カテゴリー(この場合は<音楽>)が保存されたといえる。
 保存則に適合する転調の場合でも、その効果がかなりドラスティックなこともある。たとえば教会音楽スタイルの曲の途中でそれが沖縄民謡スタイルに転調したらどうだろう。(保存則が成立していないという認定の可能性さえある。この論点は別途考えたい。)
 だが一般にこの種の保存則がいつでも成り立つとはかぎらない。ある存在者にたいして転調が遂行された結果として<カテゴリー転換>がもたらされ、最初のとは種類の異なる存在者が生成することもある。
 メルロ=ポンティが論究しているおのおのの事例に深入りすることはできないので、すでに述べた事例(色彩からの絵画の生成)のほか若干の事例を念頭にしつつ、<転調>の本態を明らかにしたい。
 彼によれば、言語は実存の言語的所作への転調であり(同書、316頁)、また神話や夢や狂気の経験は覚醒した生の転調であるという(邦訳『知覚の現象学 Ⅱ』、132頁)。セザンヌの描く画の上で色彩がモノの形をとるのも紛れもない転調の事例である(同書、380頁)。
 これらの転調が、存在性の多岐にわたる水準で遂行される、存在者の構造変換であることはすでに指摘した。またこの構造変換によって新たな事物や事象のスタイルつまり同一性がもたらされ新たな存在者が生成される働きである点も指摘をした。
 以上にたいして私たちは、転調とは、ある水準おける記号系をつくり直すことによって別の記号系をもたらす働きであり、この意味で厳密には「再帰的動き」(recursive move)と呼ぶのが適切な<身体性の身振り>であるという観察を提示したい。
 転調は記号系をその外部から加工する作用ではない。転調における、記号系の記号系自身へのかかわり(再帰性)、という契機が重要である。おそらくは、メルロが、知覚と科学的認識の関係を、連続性と非連続性の両義的関係として把握した真の理由はこの〈再帰的動き〉にある。しかし、この契機をメルロは明らかに示してはいたが、定式として語ることはしなかった。また彼は、おのおのの転調に関して必ずしも周到な記述を与えなかった。第三者として見るなら、彼は問題にたいしてたんに図式的解明を差し出したに過ぎないと言えるのである。

 「転調」に近い内容をもつもう一つの比喩的概念を紹介しておく。メルロは画家の藝術家としての職分を「世界を絵画に変身させること」と捉えている。また画家自身も自分の様式を確立するまでにこの「変身」を遂げるという(前掲の『世界の散文』を参照)。
 「変身」(métamorphose)という語は多義的である。ローマ神話が物語るように、ユピテルが白鳥に姿を変える(変身)のも、錬金術師が鉛を金に変化させる(転換)のも、オタマジャクシが蛙に変化する(変態)のも、すべてメタモルフォーズである。この隠喩の概念的眼目が〈同一性の転換〉にあることは明らかだろう。また同一性に関与する以上、暗黙裡に存在者のスタイルが問題になっているのも明らかであろう。そのかぎりこの概念は「転調」とほとんど同じ内容を具えている。
 〈転調〉が変化する存在者の構造についても有意な情報を与えるのにたいして、〈変身〉にはそうした含意がない。そのかわりに別の方向で〈同一性の転換〉を描いている。いずれにしても、<転調>のほうがいっそう適切な隠喩的概念のようにおもえる。 (つづく)

知覚における算術の誕生 (7)

namdoog2010-11-19

 前期のメルロ=ポンティの思想において、セザンヌの画業に示された真理とは、主体としての身体ならびに知覚の認識論的かつ存在論的優位ということだった。具体的にはセザンヌの色彩観にメルロは多大の影響を受けている。たしかに物象(もの)が見えるのは輪郭線によってそれが空間のある場所に限定されているからである。こうした事態はどのようにして可能なのか。これがセザンヌの問いだったしメルロの問いでもあった。
 知覚のただなかに出現する物象の数的同一性(一個のリンゴ、一本の鉛筆…)は――セザンヌが身をもって了解したように――知性が対象に付与したものではなく、感性の深みで捉えられた色彩の横溢そのものに過ぎない(「色彩を塗るにつれて、デッサンも進むのだ」)。それでは光と色彩がどのようにして輪郭をともなった形態に転換するのだろうか。
 この問いに応じるには、少なくとも二つの論点を解明する必要がある。1つには、色彩から形態への「転換」を実質的に解明すること。2つには、解明された転換の機序(はたらき)を可能にする存在論的制約を明らかにすること。
 私見では、メルロは1についてはまず首尾をおさめたと言えるだろう。しかしながら、2の課題については、前期のメルロ=ポンティ哲学のなかに残念ながら答えは見つからない。(根拠のない断定をしているつもりはない。これは典拠を示して論証できる問題である。しかし議論の都合上、この論証については別の機会を俟つほかはない。)彼自身もこの問題を自覚し深刻に受けとめた節がある。それが後期の思索に彼を駆りたてた動因となったのである(『見えるものと見えないもの』を参照)。
 メルロ自身の問題意識と立論の推移につれて、セザンヌに関する彼の言及も強調点が変わっている。後期のセザンヌ論では――前期の論点が捨てられたわけではないが――知覚や世界や身体についてよりむしろ世界の「奥行き」や「存在の燃え広がり」や「見えないもの」、あるいは端的に「存在」(Être)などの用語が際立ってくる。セザンヌは見えるものを見えるようにしている奥行きや見えないもの自体を描こうとした「存在の職人」だというのである(Merleau-Ponty, L’œil et l’esprit, Gallimard, 1964, p.67. 〔『目と精神』(滝浦静雄木田元訳)、みすず書房、1966年、287頁〕)。この思索の深まりが真に成功しているかどうか――この問いの見極めがメルロ=ポンティ哲学の試金石となるだろう。

              
 さてこうした思索の推移を背景にして、<転調>(modulation)を考察することにしたい。これは元来音楽の用語であり、文字どおりには、楽曲の途中でその調(フランス語ton;英語key)を変えることをいう。たとえば、長調の曲が展開してゆく途中で短調に変わったら、この楽曲は「転調した」ことになる。
 メルロはセザンヌに拠りながら、描かれた事物の輪郭が色彩の転調であると述べていた。音楽用語を絵画に適用しているのだからこれは隠喩的言明である。だがこの隠喩は『知覚の現象学』を初めとするメルロの著作でしばしば使用される重要な概念であり、その正確な含意を明確にする必要があるだろう。
 ちなみにメルロ独自の用法を離れて、一般に絵画について画の色彩や明暗に巧みな変化をつけることをやはり「転調」と呼ぶことがあるが、当然これも音楽用語の比喩的使用である。しかもこれは、セザンヌ自身が絵の量感の効果を得るために用いた技法であった。セザンヌは「隣接しながら異なった多少明度の強いいくつかの色調を使って、それらをわずかに重なり合う小さなタッチで並べながら、その立体感の効果」をかもそうとしたのだった(コンスタンス・ノベール=ライザー『セザンヌ』(山梨俊夫訳)、岩波書店、1993年、64頁)。
 セザンヌを離れて一般に絵画技法としての「転調」といえば、一つの色調に関してその明度を変化させながら別の色調に切れ目なく変えてゆく手法を指すことが多いようだ。この点でセザンヌの同名の技法は破格かもしれない。しかも概念内容を検討すると、メルロの概念とセザンヌのそれとが多少とも重なり合うのがわかる。(メルロ=ポンティのテクスト解釈という視角からすれば、この先にも問うべき事柄があるけれどもいまはこの指摘だけにとどめる。)
 私たちの主題に帰ろう。転調が可能なのは楽曲あるいは楽句(楽曲の部分あるいはフレーズ)が旋法(mode)の構造をそなえるからである。旋法をつくっている主要な要因は「音階」(フランス語gamme; 英語scale)つまり音を高さの順にならべて梯子状にした構造である。音響学的にいって、ある音の振動数の2のn乗倍あるいは2のn乗分の1の振動数をもつ音は「同一の音」――タイプとして「同一」という意味であるが――として知覚されるのが知られている。
 こうした音の知覚を基礎として、西洋音楽ではオクターブ(八度音程)という音階の図式が成立した。最初の音から順にそれより高い音を並べることによって初めの音と同じ音が出現するまでの八つの音を配列した構造をオクターブという。西洋音楽では、音の高さの最小値を「半音」、その倍の高さの音を「全音」として区別する。
 たとえば、ピアノの黒鍵とそれに隣りあう白鍵の間は半音であり、黒鍵を挟まない二つの隣りあった白鍵の間も半音である。オクターブのなかに全音と半音をどのように配列するかによってさまざまなスタイルの音階が構成される。(「転調」の隠喩の眼目はこの点にあり、またあとで触れるだろう。)
 ところで音階のスタイルはさまざまな水準で実現される。よく知られているのは長調短調というスタイルだが、これはオクターブのなかに五個の全音と二個の半音で構成される全音階(diatonic scale)の範囲内で実現される対照的なスタイルである。〔追記:「対照的」というのは、よく言われるように、短調は物悲しさ、淋しさなどの情感を表わすのに向く音階で、長調は陽気さや溌溂さなどの感じをかもすのに向く音階、というような意味。〕
 説明が前後したが、メロディーが中心音(tonal centre)と関連付けられつつ構成されているとき、その音楽は調性(tonality) があるといい、この特徴をそなえた音の組織を調(key)と呼ぶ。
 たとえば、ハ長調はハ音(ド)を中心音とする音階であり、オクターブのなかに全-全-半-全-全-全-半の順で音が並んでいる。これにたいして、中心音をイ音(ラ)とし、全-半-全-全-半-全-全の順で音が並ぶのが短音階である(これはとくに「自然短音階」と呼ばれる。「短音階」のつくり方には他にもやり方があるからである)。要するに、長音階を用いる調が長調短音階を用いる調が短調である。
 ここまで<転調>の分析をすすめてきたが、私たちはすでにこの比喩的概念の(ひとつの)形而上学的中核を析出している。それが<スタイル>にほかならない。なぜこれがそれほど重要な意義をもつのか。この点を明らかにするために、いましばらく<転調>の分析にしたがうことにしたい。(つづく)

知覚における算術の誕生 (6)

namdoog2010-11-13

 科学的認識の知覚主義による基礎づけの問題を攻略するために彼が構えた戦略は、身体運動(表情ある身振り)から言語行動が開花するプロセスを跡づけ、これと並行して身体運動としてのアルゴリズム(数えること=算術)から数学への展開を記述することを基軸としたようである。
 実際、こうした主題にみちびかれてメルロが筆を執った未完の遺稿が『世界の散文』(Le Prose du monde, Gallimard, 1969.; 『世界の散文』(滝浦静雄木田元訳)、みすず書房、1979年)である。従来に倍する言語への関心がうかがえる重要な論考であり、言語と算術(アルゴリズム)のかかわりに繰り返し言及の跡が認められるものの、戦略が功を奏したとは遺憾ながら言い難い。
 たとえば、言語の創出は解明すべき問題というより議論の「前提」になってしまっている。〔言語の生成については私たちの考え方をすでに何度か明らかにしている。文章化された論考としては、以下を参照されたい。「指さしの記号機能はどのように発生するか――あるいは、<ゆうちゃんの神話>」『現代思想』、2004年7月号、青土社、pp.152-165.「言語音の機能的生成――あるいは、言語が裂開するとき」〔近藤和敬との共著論文〕;『大阪大学大学院人間科学研究科紀要』、33号、2007、pp.39-78.〕
 実はメルロの数学へのアプローチをカスー=ノゲスが批判的に論じている。後ほど彼の論文を参照しながら問題を再考することにしたい。
 議論を始める前に、小さな問題かもしれないが、言葉遣いで気になったことがあるのでいちおう吟味しておく。言語以前・言語以外の表現体あるいは記号系から言語が発出することを何と呼ぶか。以前にこれを「創発」(emergence)と名づけたが、メルロの用語では無論ない。その意味ではふつうの言い方で「生成」がいいかもしれない。というのは「創発」はどちらかというと英米系の哲学で使用されまた議論されることの多い術語だからである。
 ここで議論に深入りするのはお門違いなのでざっと触れておくだけだが、この用語のある種の含意が必ずしもメルロの考え方にそぐわないという印象がある。古代以来、この世界が位階秩序(ヒエラルキー)をなすという思想があった。現代でもそれは常識となっているが、世界は大ざっぱにいって三つの階層――(無機的な)物質界、生物界、精神界――から成る、という見方である(別に間違っているとは思わない)。
 近年しばしば論じられてきた問題の一つは、生物界から新しい性質や事物が「創発」されるという問題である。言い換えれば、大脳の機能からどのようにして精神(心といってもいい)が出現するのかという問題である。チャルマーズ(David John Chalmers)はこれを「(意識の)ハード・プロブレム」と呼んだ(ついでながら「難問」と日本語で言ってはいけないのか)。世界の位階秩序という観念には、後から出現した世界の方が上等だという含意がともないがちである。さらにこれにある種の進歩主義がともなうことも多い。通俗的な進化論もその一例である。
 「創発」という発想の眼目は、ある性質や事物を低次の世界へ還元するのを回避し、しかもその性質・事物を正体不明の原理によって説明することも避けるという点――つまり第三の道をゆくという点にある。たとえば、<生命>の機能を物質的な機構に還元する(唯物論)のでも、エンテレキー(Entelechie)という非物質的原理で説明する(生気論)のでもない第三の道、それが物質界からの生命の「創発」である。
 ところでメルロの場合、著作において世界の位階秩序を強く主張しているとは言えない。むしろ逆である。つまり人間は身体性としてこの世界に属している生き物であり動物とそう変わりはないのだし、高次の精神作用も(感官を働かせる)知覚に根ざしている。とくに主知主義者は知覚を感覚与件+判断(知的処理)の形で考えるから、知覚を尊重するとしても実は知性を重んじる。メルロの考えはそうではない。そのために彼の哲学を「自然主義」の名のもとで批判する者は少なくないのだ。
 しかし彼が世界を三つの秩序からなるものとして見ているのは事実である。初期の主著の一つ『行動の構造』(La Structure du comportement, PUF, 1942;『行動の構造』(滝浦静雄木田元訳)、みすず書房、1964年)第三章はまさしく「物質的秩序、生命的秩序、人間的秩序」と題されており、それぞれの「秩序」の特徴とたがいの関係について詳細に論じている。メルロはこう言う。


「形態(forme)〔Gestaltの仏語訳〕の概念が真に新しい解決を可能にするのは、まさにここにおいてである。それはいま定義された三つの場にひとしく適用されうるものであって、唯物論と唯心論、唯物論と生気論の二律背反を超克しつつ、これら三つの場を、構造の三つのタイプとして統合することになろう。そして物質・生命・精神それぞれの特性と考えられている量・秩序・価値ないし意味は、その当該秩序に支配的な特徴というだけのことであり、互いに他の秩序にも普遍的に適用できるカテゴリーとなるであろう。量は質の否定ではない。それはあたかも円の方程式が円の形態を否定しながら、逆にその形態の厳密な表現であろうとするようなものである。(……)」(『行動の構造』、196頁)
 ここで私たちが注目する論点は二つある。メルロは一方で一つの秩序(ordre)から新しい特性が新規に出現することを認めている。それは世界の基本構造を「形態」として捉えるという論点に明らかであろう。形態はおのずと体制化するのだが、偶然的要素を取り込むことによって(他にも要因がありえるが)、別の新しい形態へと変形することもあるからである。このかぎりにおいて、メルロは「創発」の観念に同意するはずだろう。しかもメルロはこれが「第三の道」であることを強く自覚している。引用に明らかだが、ゲシュタルト存在論唯物論と唯心論、唯物論と生気論の二律背反を超える道だと宣言されている。
 しかし第二に、この引用に明言されているように、物質・生命・精神はそれぞれが独自な秩序であるかぎりで秩序として同等であり、それらのあいだにとくに上下関係が想定されているわけではない。図形としての円とその方程式の事例で彼が語ろうとしたのは、二つの秩序の一方が他方をすでに先取りしており、後者が前者をよりよく実現するが、しかしこのことによって前者の潜在性のすべてが汲みつくされたわけではない、という独特な「弁証法」なのである。この考え方とかかわらせるなら、彼が単純に「創発」の観念を認めるはずだとは言いにくい。
 「知覚における算術の誕生」の主題を以下でひきつづき議論するにあたり、「創発」より問題が少ない一般的な「生成」という言い方を選ぶことにする。私たちの結論をはやばやと掲げておくなら、特性や事物の「発生」は基本的に記号系の再帰的構成(recursive constitution)――記号系内部に視点をとれば<再帰的動き>(recursive move)――であると言わなくてならない。したがって、記号系の発動する機会にはつねに何かが発生するのが目撃されるはずである。(個人的な習慣の形成、テクノロジーの発達、藝術的表現の展開、その他あらゆる記号論的プラクティスにおける事例研究、ならびに理論的観点から再帰的動きの諸条件を調べることは、意味のある研究課題である。)

 以下しばらく考察を集中したいのは、初期のメルロ=ポンティの思索のうちで、<再帰的動き>をどのように言語化し表現しているかという問題についてである。重要な概念は私見では二つある。「転調」(modulation)ならびに「変身」(métamorphose)にほかならない。前者は絵画についての存在論的考察にあたり彼がゆきあたった概念である。まずラジオ講演のあるくだりを引用することで、議論を始めたい。

ところで、現代絵画によるさまざまな探究は、興味深いことに科学的探究と一致しております。絵画の古典的教育では、デッサンと色彩を区別します。つまり、まず対象がとる空間性の図式つまり輪郭をデッサンし、それから色彩で輪郭の内部を塗るわけです。ところが、これとは逆にセザンヌはこう述べています、「色彩を塗るにつれてデッサンも進むのだ」と。つまり、知覚的世界においても、知覚的世界を表現する絵画に関しても、対象の輪郭や形というものは、色彩の働きが止まってしまうこと、色彩の働きが劣化することとほとんど同じだ、と彼は言いたいのです。対象の輪郭とは、〔対象の〕形、その固有色、表情、それと近くの対象との関係などのすべてを含むに違いない、色彩の転調だというのです。
 セザンヌはつねにメルロにとって特権的画家であった。初期の著作から彼の生前最後に出した小さな本『眼と精神』にいたる彼の思索を絶えず刺激し続けた画家はセザンヌしかいなかった。この引用で語られたのは、まさしく「絵画の生成」にほかならない。それはどのような事態なのか。

(つづく)

知覚における算術の誕生 (5)

namdoog2010-11-05

 背負った課題を解決しようとメルロが傾けた努力ははたして報われたのか、初期のメルロの構想が後期でほんとうに新たな展開をなしとげえたのか、それを訊ねなくてはならない。繰り返しになるが、彼の初期の「表現論」から引き出されるいくつかの論点が彼の戦略にたいしてどのように関連するかを確認しておこう。
 彼は〈表現〉を身体性に根ざすものとして捉えた。生後間もない幼児が養育者に微笑むことに示されるように、自意識の成立しない段階における身体的所作としての表情こそ表現の原型であり、ここからはまっすぐな経路が発達した子供の身体運動がかもす表情性につながっている。やがて子供は事物を指さしながら発語によってその名を呼ぶことになるだろう。
 それゆえ第一に、表情ある身振りから発語が創発される事態におのずと語らせ、それを現象学的記述ですくい取る必要があるだろう。この目的には遣い古された哲学用語は役に立ちそうもない。メルロが種々の隠喩や新奇な言葉遣いをしなくてはならないのはそのためである。
 第二に、言語という記号形態とは異なる記号形態との比較論によって、言語の特徴をつきつめる必要もあるだろう。すでに述べたように、メルロは言語を音楽や絵画と比較する一種の記号論をかなりな程度まで推進していた。
 第三に――これがもっとも困難な課題になるはずだ――数学を記号系として同定したうえでこの本態を解明しなくてはならない。なぜというなら、近代科学は数学と本質的に結びつきつつ展開してきたからであり、数学の存在論的分析をおいては科学的認識に迫ることは不可能だからである。
 そしてこの三つの要請をつらぬく一つの洞察がある。それはほかでもない、知覚がすでに表現であり、作用しつつある記号系だということだ。


 最初の著作『行動の構造』ですでにメルロ=ポンティは心理学や生理学における〈ゲシュタルト〉概念を緻密に考察していた。何かを知覚することは、対象を地-図の構造のうちで把握することである。ごく単純な知覚も例外ではない。白っぽい背景のうえに小さな赤い染みのようなものが見えるとする。この知覚経験そのものは言語化されていない。だがあえてそれを言葉に出せば、見えているのは「白い地のうえに赤い斑点の図柄が浮き出ている光景」である。この「赤い斑点」は、見る者がそこに没入し体験している名状しがたい感官の質(クオリア)以上のものである。
 パース(Charles S. Peirce)の用語でいえば、それは、一次性(firstness)つまりそれが他のものとの関係抜きでそれ独りで在るというあり方、を超えている。この知覚はそれとは別の何かを表意することによってすでに認識の機能を果たしている。しかもそれが表意するものは、知覚のたんなる素材(現象学者のいう「実的部分」)ではなく、その志向的部分なのである(邦訳『知覚の現象学 Ⅱ』、45頁以下)。ふたたびパース流の言い方をすれば、知覚には、表意するものと表意されるもの、そして意味理解(認識)という三つの要因がある。したがって知覚は三次性(thirdness)のカテゴリーであり、要するに〈記号〉である。
 こうして知覚がたんに受け身の体験ではなく構成力をふるう〈表現〉であるのは明らかである。メルロの知覚論で重要なのは、〈表現〉としての知覚が――他の表現の場合大抵そうなのだが――知性を原理としないこと、反対に知性の基礎が知覚経験にある、という洞察である。
 椅子の椅子性を暗示するさまざまな標識(椅子の形態、大きさ、素材など)を知性によって解釈し椅子として同定するより先に、わたしはいちはやくそれが椅子だと知覚する(だからそれに腰かける)。マルローが述べたように「すでに知覚が様式化している」(la perception déjà stylize)のだ(メルロは出典を明示せずに引用している。La Prose du monde, Gallimard, 1969, p.83.〔 『世界の散文』(滝浦静雄木田元訳)、みすず書房、83頁〕)。後述のように、〈様式〉とは個体の同一性の基準である。知覚が椅子を椅子として見てとることは、一つの個別的なもの(a particular)に〈椅子〉のカテゴリーを付与すること、あるいはそれを椅子として同定することにほかならない。可感的なもの(le sensible)としての椅子は、メルロが知覚物(le perçu)と称する記号的制作物あるいは表現なのである。
 メルロ=ポンティの科学認識論を先に進めるためにいま参照すべきは、グッドマンの世界制作論である(グッドマン『世界制作の方法』(菅野盾樹訳)、ちくま学芸文庫、2008年)。彼によれば、人間は記号を素材にして種々の記号系(グッドマンはこれをヴァージョンと呼ぶ)を制作する。たとえば、夏目漱石は言語を用いてさまざまな小説を生みだした。小説の主たる材料は言語的記号だが場合によって非言語的記号が動員されることもあるかもしれない。いずれにせよ小説の身分が記号系(symbolic system)であるのは疑いえない。漱石が執筆した小説群を全体として一つのヴァージョンと見なすなら、このヴァージョンはいわば漱石的世界をもたらしたと言えよう。
 このように、私たちはヴァージョンを制作することを通じて世界を制作する。グッドマンがヴァージョンを知覚・科学・日常生活・藝術などの人間の営み(practice)に大きく分類していることに注目すべきだろう。ということは、知覚も科学もヴァージョンという一つの観点から互いを比較し関連性を探る道が与えられたのだ。
 さて本来の問題に帰ろう。相対性理論が正しい科学理論として確立されたことは何を意味するだろうか。世界制作論にしたがえば、それは、相対論的力学というヴァージョンをつくることによって、同時に相対論的世界をつくっていることを意味する。時間や空間の概念は記号系としての理論の要素に過ぎない。それゆえ時空の概念は相対論的力学の一部以上でも以下でもない。この種の概念がヴァージョンすなわち世界の外部から世界に課せられる制約ではありえない。別の言い方をしてみよう。時空概念はどんな意味でも相対論的力学の前提にはなり得ないのである。(一般に、ある科学理論から世界についての形而上学を導出するやり方は正当化されない。ニュートン力学とカント哲学の関係を考えよ。)
 世界制作論は「哲学には物理学に先行する権利がない」という主張を含意しているのだろうか。だとすればメルロ=ポンティの構想と課題は見当違いだということになるだろう。だがこれは早まった判断に過ぎない。メルロが終始持ちこたえた論点、知覚があらゆる観念性の土壌であるという洞察が正しいなら、知覚がまさに記号系の一つであるかぎりにおいて、彼の構想と課題は正当化されるはずである。もちろんそのためには、世界制作論が正しいという条件が確保されなくてはならないが。  (つづく)

知覚における算術の誕生 (4)

namdoog2010-10-31

 メルロ=ポンティには、当初から、知覚主義による科学的認識の基礎づけという哲学的モチーフがあった。(彼がこのモチーフを獲得し生涯にわたりこれを堅持したことについては――知覚に着眼したのは彼のオリジナルな洞察だが――フッサール現象学の大きな影響を見ることもできる。)この問題について彼は『知覚の現象学』(1945年刊)でかなり立ち入った議論をおこなっている。
 だが後年に、彼は、ここでの議論が不十分だと自覚することになった。この間のいきさつについては彼自身の証言がある。コレージュ・ドゥ・フランスの教授立候補に際して執筆された報告書である(‘Un inédit de Merleau-Ponty,’ Revue de Métaphysique et de Morale, no 4, 1962, dans Merleau-Ponty, Parcours deux, Verdier, 2000〔「メルロ=ポンティの一未公刊文書」、メルロ=ポンティ『言語と自然』(滝浦静雄木田元訳)、みすず書房、1979年、所収〕)。
 この文書で彼は、1945年以降に自分が新たな研究を始めたこと、〔これらの研究の成果によって〕初期の研究の哲学的意義が決定的なかたちで確定されるだろうこと、そのことが逆に、新たな研究にたいして道筋と方法をさずけることにもなることを語っている。つまり彼は初期の研究と後期の研究とが連続と非連続の両義的関係にある点を明言しているのだ。では「新たな研究」の目指すものとは何か。報告書のメルロ自身の言葉で語ってもらおう。


私たちは、知覚的世界の経験のなかに精神と真理との新しいタイプの関係を発見したと思っている。知覚物の明証性は、その具体相に、〔また〕その諸性質の肌理(きめ)そのものに、(……)〔そして〕その可感的な諸性質のあいだの等価性に、起因する。世界が真である、あるいは存在するのは、私たちの不可分な実存の面前に〔世界が立ち現れる〕からである。(……)私たちが世界において経験する真理は、〔世界から〕透けて見える真理、私たちの精神が保有し画定するというよりむしろ私たち〔の行動や知覚〕を統括するような真理である。ところで、もしいま私たちが知覚物を超えて厳密な意味での認識の領野、すなわち、精神が真なるものを所有し、自ら対象を定義し、そのようにして私たちの置かれた状況の特殊性から解放された普遍的知識に達したいと望むような認識の領野を考察するなら、知覚物の次元がたんなる見かけの姿を取り始め、純粋悟性が認識の新たな源泉となり、これに比べれば、私たちが世界と昵懇(じっこん)だといっても、この関係は形をなさない粗描にすぎない、ということにならないか。――こうした問いにたいして、私たちはまず真理論によって、ついで間主観性理論によって答えねばならない。(……)この真理論が目下執筆中の二冊の本の目標である。(Merleau-Ponty, Parcours deux, pp.41-2.〔 〕は筆者による補い。訳文は邦訳そのままではない。)
 この目的を果たすべく彼が精魂を傾けて取り組んだ著述は、残念ながら、途中で未完のまま放置された。幸いにも、その内容を読者はメルロの没後刊行された『世界の散文』(La Prose du monde, Gallimard, 1969.〔『世界の散文』(滝浦静雄木田元訳)、みすず書房、1979年〕)で確かめることができる。
 彼の思索の道程を記録したこのドキュメントから読み取れる眼目は、誰にとっても明らかである。知覚的次元の真理から本来的認識――科学的認識はここに含まれる――における真理への昇華をどのように解析すべきなのか。この問いにたいして彼が構えた思想的戦略は、大方の予想の範囲であったと言えるだろう。彼は『知覚の現象学』でかなりの頁を費やして身体性の機能としての<表現>とりわけ<言語>を論じている。いまや、メルロは<表現>とりわけ<言語>の概念の再構築によって初期の見地を超えようとしたのであった。

 はじめに『知覚の現象学』における<表現>(expession, Ausdruck)の概念内容を確かめておきたい。メルロ=ポンティは、現象学の徒として、次のフッサールの言葉をこの著作のモットーとした。「黙して語らない経験こそ、その経験の意味の純粋な表現へともたらすべきである」と(フッサールデカルト省察』よりの引用)。経験が知覚を基盤にして成り立つという論点について、フッサールメルロ=ポンティに同意するだろう。だがフッサールにとって、この「表現」とは哲学者による言語的記述(現象学的記述)にほかならない。
 これにたいしてメルロは言語表現を哲学者の専有とは見なさなかった。小説家も言語表現で人間の現実を赤裸々に提示することに努めている。それどころか、絵画や音楽さえ、ある意味で言語表現に匹敵する、いやある場合にはそれに勝る表現をなしうることがある、とメルロは明言する。
 たとえば、彼は次のような趣旨のことを述べている。「小説、詩、絵画、音楽などの作品は不可分な個体であり、それぞれが表現をおこなっている。だがこれらの個体において、表現という機能と表現される内容とを区別できないし、直接的な接触以外にはその意味を手に入れることはできない」と(邦訳『知覚の現象学Ⅰ』、252頁)。
 いっそう明確な言い方もある。「言葉、音楽、絵画など表現のさまざまな様式のあいだには根本的な違いはない。言葉は音楽と同様無言であり、音楽も言葉と同様語っている」と(邦訳『知覚の現象学Ⅱ』、272頁)。
 このような<表現>の把握について筆者の見地から概念的整理をしておきたい。ただし細かな議論や論点は煩瑣なために端折ることにして、核となる論点だけを取り出すことにする。
 第一に、彼が言語にかんして比量的言語による表現(平たくいえば、字義的で一義的な表現かつ真理値をもつような言語表現)を特権化しなかったということ。(これとの関連で比喩の問題があるが、これについては後述。)
 第二に、言語のみならず、非言語的表現(音楽や絵画など)ならびに前言語的表現(たとえば身振りや表情)にも表意機能(signification)を認めていること。従来の美学者が音楽表現に認知的価値がある点を明確に指摘したとは必ずしもいえない。音楽は情動(喜怒哀楽)にかかわるとされ、それは認識とは関係ないと考える向きが多かったように思える。
 第三に――微妙でしかも重大な問題として――メルロのいう<表現>の機能の原型が<表情性>として想定されていること。しかしこう断言するにはためらいがのこる。なぜなら、このような直截的な言い方をメルロがしているわけではないからだ。とはいえ、次のような記述を読むとやはりこの論点を掲げざるをえないのである。〔追記:『知覚の現象学』第一部、Ⅳ章 表現としての身体と言葉、には直截的な論証が見出される。この記事は体系的叙述を目指すものではないのでこのような言い方にならざるを得なかった。〕

フランス語に吹き替えられた映画を観ているとき、わたしはただ発話と映像の不一致を認めるだけでなく、突如、あそこで別のことが言われているとわたしには思えてくる(……)。音響が故障してスクリーン上の人物が突然声を無くし〔それでも〕さかんに身振りを続けている場合、わたしが急に把捉できなくなるのは、彼の話の意味だけではない。光景も変わってしまうのだ。いままで生気のあった顔は鈍麻し凝固して、狼狽した人間の顔のようになる。(……)観客にとって、身振りと発話は理念的意味に包摂されているのではなく、発話は身振りをとりあげ直し、身振りは発話をとりあげ直して、両者はわたしの身体を通して交流しあうのである。」(邦訳『知覚の現象学Ⅱ』、47頁。)
 ここでメルロが述べている言語機能とはすなわち<表情の表出>にほかならない。その機能を彼は「表現作用」(opérations experssives)とも呼ぶ。これが<表情を示す>(showing expressions)という働きである点はまず確実だろう。この直後にメルロはカッシーラーのよく知られた記号機能の三分類に言及しているが、この事実もこの解釈を補強する。『シンボル形式の哲学』を著したこの哲学者は、記号機能をその進化の位相に応じて、表現機能(Ausdruck)-記述機能(Darstellung)-意味機能(Bedeutung)の三つのタイプに分類している。メルロは<表現>概念をカッシーラーの概念から彼なりの展開や洗練を加えて継承したのである。

 後期メルロポンティ哲学の標的を「知覚からロゴスへ」というモットーに要約するなら、これを射抜くための準備はすでに初期の探究によって整えられていたと言えるだろう。
 知覚の黙したロゴスから真にものを言うロゴスへの昇華のために要請されるものは何だろうか。知覚の所作的・表情的意味についてはすでに解明がなされている。
 念のために言えば、メルロの提起した<知覚>のカテゴリーはすでに運動性を含み込んだうえで構成されている。彼のいう<固有の身体>(corps propre)あるいは<現象的身体>(corps phénoménal)が、存在論的にいって、全体として<知覚-運動系>を構成するかぎり、これは当然のなりゆきであろう。たとえメルロのテクストに知覚は知覚として運動は運動としてあたかも別々に語っているように読める個所があるとしても、それは議論の焦点を明確にするための便宜的やり方にすぎない。
 第一に、表情ある身振りから発語が創発される事態を記述しなくてはならない。この目的には遣い古された哲学用語は役に立たない。メルロが種々の隠喩やときとして新奇な言葉遣いをしなくてはならないのはそのためである。
 第二に、言語という記号形態とは異なる記号形態との比較論によって、言語の特徴をつきつめること。すでに述べたように、メルロは言語を音楽や絵画と比較する一種の記号論をかなりな程度まで推進していた。
 第三に、数学の記号系としての本態を解明すること。なぜなら近代科学は数学と本質的に結びつきつつ展開してきたからであり、数学の存在論的分析をおいては科学的認識に迫ることは不可能だからである。
(つづく)

LA Prose Du Monde

知覚における算術の誕生 (3)

namdoog2010-10-25

 一般相対性理論の確立には非ユークリッド幾何学が重要な役割を果たした。19世紀に非ユークリッド幾何学が構想されるまで、幾何学といえば、ユークリッド幾何学のことに決まっていた。ギリシャユークリッド(前330年〜前275年頃)が著書『原論』として大成した幾何学である。
 この『原論』において示された五つの「公準」のうち五番目で最後の公準がまわりくどい表現をしているために、多くの人に不審をいだかせ、公準としての自明さに疑いが投げかけられた。これは「平行線の公準」と呼ばれるもので、「二直線と交わる一つの直線が同じ側につくる内角の和が二直角より小さいならば、二直線をその側に伸ばせばどこかで交わる」ことを述べたものである。
 19世紀になって、この平行線の公準を別の公準に取り換えても整合的な幾何学が成り立つことが証明されるにいたった。数学者たちは、実際に、さまざまなタイプの非ユークリッド幾何学を構成してみせた。とくにリーマン(Georg Friedrich Bernhard Riemann, 1826〜1866年、ドイツの数学者)は空間の各々の場所が異なった空間性を示すような非ユークリッド幾何学を考えた。実際に一般相対性理論重力場に与えた方程式はリーマン幾何学と結びついている。
 こうして見てくると、メルロがここで現代科学(念頭にあるのは明らかに一般相対性理論である)に即して述べていることが感覚としては了解できるようにおもえる。たとえば、「空間中の事物と空間を厳密に区別するのは不可能になりました」という言い方にはかなり説得性がある。しかしメルロがここで打ち出しているすべての哲学的命題が一般相対論力学によって裏書きを与えられていると言えるだろうか。
 とりわけ「空間の純粋な観念と私たちの感覚がもたらす具体的光景とを厳密に区別することはできません」という発言には、還元主義的な感覚主義や素朴な経験主義に安易に同調するような語感がある。実際、認識の「観念性」がいかにして可能か――もの言わぬ知覚のロゴスから比量的あるいは言語的なロゴスへの移行はどのようになされるか――という問題は生涯にわたりメルロ=ポンティが背負い続けた重い課題だったのである。「知覚における算術の誕生」という問題を私たちが設定するゆえんである。
 科学と哲学の関係という問題についてメルロはここでかなり楽観的な見解、つまり新しい科学理論がそのまま哲学的世界観なり形而上学に寄与ないし合致するというふうな言い方をしている。しかし後になると――科学に関する悲観主義とは言わないが――科学知に対する危機意識をあからさまに口にすることになる。
 たとえば「アインシュタインと理性の危機」(1955年)(竹内芳郎監訳『シーニュ 2』、みすず書房、1970年、63頁〜72頁)の発言がある。この論文でメルロが正しく指摘しているように、アインシュタイン自身は古典的な実在論者に過ぎなかったし、自らが確立した相対性理論を哲学的に基礎づけるという問いに手を着けようとはしなかった。彼は大抵のばあいに、理論と実在との一致あるいは科学知の合理性を一つの神秘と見なしたのである。科学理論(相対性理論)の哲学的含意についての考察と科学者(アインシュタイン個人)が抱く哲学についての考察とは区別しなくてはならない。
 メルロがこの短い文章で俎上にのせるのは、相対性理論がもたらした時間概念である。(ラジオ講演では、もっぱら相対性理論の空間概念について語られており、その時間概念には明示的検討がなされていないことに注意しよう。)ベルクソンがパリの哲学会でアインシュタインと時間に関して会話したエピソードをひきつつメルロ=ポンティは、相対性理論の時間概念が日常的世界で人が知覚している時間に背馳することを問題にする。 
 たしかに相対性理論による「同時性」はいちじるしく常識に反している。もう一度確認しておくと、「異なる場所でおこった二つの事象が一人の観測者から見て同時だとしても、別の慣性系にいる観測者から見るとき一般に同時ではない」ことが時間についての相対論的真理であった。同時性が相対化されたということは、観測者の位置に結びつく多数の時間があることを意味する。
 この論文でメルロは、問題に解を与えるために物理学的理性を知覚に根付かせることを提案している。これは単なる知覚への還元主義ではない。なぜなら、理性を知覚へばらす方向に問題への答えがあるのではなくて、知覚から身振りと言葉を通して理性まで上昇する方向にそれがあるからだ。まさにこうした探究に、いわゆる後期のメルロは正面から向き合い、それを背負ったのである。
 いよいよここでメルロの課題と彼の哲学の構想が妥当性をもつかどうか、この問いを訊ねなくてはならない。
(つづく)

知覚における算術の誕生 (2)

namdoog2010-10-21

 メルロ=ポンティが、1948年に、7回連続のラジオ講演を行った記録がある(Maurice Merleau-Ponty, Causeries 1948, Seuil, 2002)。それ以前に、彼は博士論文を構成する二つの著作をすでに刊行していた。とくに主論文「知覚の現象学」が1945年に出版されるや、彼の名は一躍多くの読者に知られることになった。メルロの他にこの番組にはジョルジュ・ダヴィ(未開人の心理学)、エマニュエル・ムーニエ(性格心理学)、マキシム・レネル=ラヴァスチヌ(文学における心理学的主題)が参加している。メルロが最年少者である(40歳)ことは注意していい点かもしれない。このラジオ講演は、初期のメルロの思想をかみくだいた語り口で述べている、という意味で貴重であり、後期のメルロ=ポンティ哲学との微妙だが決定的な違いをここから読み取ることができる(邦訳は近く刊行の予定)。まずある個所のメルロの議論を、少し長くなるが引用しよう。

 古典的科学の基礎は、空間と物理的世界を明確に区別することにあります。空間とは、三つの次元にしたがって事物が配置された〔どの場所も互いに〕等質な環境のことです。この環境のなかでは、事物はその場所がどんなに変化しても、それにはかかわらず事物としての同一性を保っています。
 〔ところが、知覚的世界では〕多くの事例において、ある対象を移動させると、結果として、その特性が変わるのが認められます。たとえば、極地から赤道に対象を移動させればその重さが変わりますし、あるいは、気温の上昇が固体を変形させその形さえ変わるのです。けれども〔科学者によれば〕こうした特性の変化は、移動そのものに起因するのではなく、空間は極地でも赤道でも同一であり、これが場所により変わる気温の物理的条件にほかならないことになります。幾何学の領分と物理学の領分は厳密に区別すべきであるし、世界の形式と内容をごっちゃにしてはいけない、というわけです。
 対象の幾何学的特性は、それが移動するあいだ――たとえ対象を制約している物理学的条件が変わりうるとしても――いつでも同じままでしょう。これが古典的科学の前提でした。
 ところが、いわゆる非ユークリッド幾何学の成立とともに、事態は一変しました。私たちは、空間そのものが湾曲していると考えるようになり、ただ空間を移動するだけでその事物が変質すると見なすようになりました。空間は互いに異質な部分や次元を含み、それらはもはや互いに取替えられないし、こうした異質な部分や次元が空間を移動する物体に何らかの変化をもたらすのです。
 同じものの部分と異なるものの部分が厳密に区分されており、それぞれが異なる原理で結び付けられているような世界――このような世界のかわりに、私たちはいま、それぞれの対象がそれ自身と絶対的な同一性の関係にはありえないような世界、形式と内容がごっちゃにされるような世界、要するに、ユークリッドの等質的空間が対象に与えた堅固な骨組みを提供しないような世界、にいるのです。空間中の事物と空間を厳密に区別するのは不可能になりました。空間の純粋な観念と私たちの感覚がもたらす具体的光景とを厳密に区別することはできません。

 メルロ=ポンティは、ここでニュートンが集大成した古典的な力学的世界像と20世紀にアインシュタインが打ち立てた相対論的自然観とを〈知覚〉にかかわらせつつ、それらの対照性を素描している。どうしたことかここにはニュートンの名もアインシュタインの名もあげられていない。ラジオ番組の時間的制約があるから、現代物理学の哲学的含意について多くの言葉を費やせないのは理解できるが、いずれにせよ、ここでのメルロの議論は、ものごとを「明らかする」のではなく「示唆する」ことに終わっているように思える。
 そこで以下で私たちは、科学史の観点から、彼の議論を再構成してその示唆を示唆以上のものにするよう努めたい。(一般相対性理論の成立に関する科学史上の経緯についてはじつに多くの参考書があるが、この記事で現代物理学の知見に言及した部分は、主として、戸田盛和『時間、空間、そして宇宙』、1998年、岩波書店、を参考にしている。)
 古典的科学の基礎は「空間と物理的世界を明確に区別すること」だ、とメルロは指摘している。これはどういうことだろうか。ニュートンより1世紀前のガリレイは地上における運動を研究して、慣性の法則や落体の法則を発見した。それゆえ、ガリレイの運動は地表のどこかの地点を座標系の原点とするものだった。これに対して、ニュートンは太陽系の中の運動を研究した。ということは、運動を考察する基準が地球に相対的に静止した空間から、星座に相対して静止した空間に移動されたことになる。宇宙は星座によって満たされているから、宇宙に相対して静止した空間なるものを考えたとき、それが(カントが直観の形式として継承することになった)〈絶対空間〉である。
 逆にいって、この地球も宇宙に含まれているのだから、当然ながら絶対空間は地球上に及んでいる。こうしてメルロの言うように、古典科学における「空間とは、三つの次元にしたがって事物が配置されている〔どの場所も互いに〕等質な環境」である。ところで物体は、外から力が働かないとき一様な運動を続けるか、もしくは静止の状態を続けるという性質(=慣性)をもっている。このような性質が顕在化している座標系を〈慣性系〉という。一つの慣性系があるとして、これと対等な慣性系は無数にあると考えられる。ある慣性系でニュートン力学の法則が成り立つとするなら、これに対して一定の速度で動く別の慣性系でも同じように法則が成りたつ(=ガリレイ変換)。この場合、メルロは言及していないが、ガリレイ変換が成り立つには、二つの慣性系の時計が同じ〈時間〉を示すことを仮定しなくてはならない。(実際、相対性理論ではこの観念が否定されることになる。)
 19世紀後半に自然科学は、電磁波という自然現象の研究を通じて、時間や空間について新しい概念を模索することになった。針金に電流を流すとその下に置かれた磁針が回るが、このことは磁針に力が及ぼされることを示している。ところが、この力はニュートン力学の理論では記述できない。この現象はファラデーの実験観察を経て最終的にマクスウェルによって解明されることになる。それが電磁場に関するマクスウェルの方程式である。問題は、マクスウェルの電磁場を不変に保つ慣性系にはガリレイ変換が適合しないということである。このことは、ニュートン力学には自然科学の基礎理論の資格がないことを意味する。科学者の努力は、力学の方程式を電磁場でも変換則が成り立つように再構成することに傾注された――この課題の探究によって研究者が見出したのは、マックスウェルの電磁場を不変に保つ変換則としての〈ローレンツ変換〉であり、この変換に適合する力学としての特殊相対性理論に基づく力学であった。
 古典的科学の枠組みをなしていた時間の概念と空間の概念が特殊相対性理論の確立とともに革新された。まず光の真空中での速さが一秒間に約30万キロメートルであることが測定された。この前提からして「同時性」という概念が相対化される結果が招来した。つまり異なる場所でおこった二つの事象が一人の観測者から見て同時だとしても、別の慣性系にいる観測者から見るとき一般に同時ではないことになる。同時性という概念は観測者の運動状態に相対的な概念なのだ。「同時性」は時間の構造にとって核になる概念であるから、要するに時間は相対的である、という帰結が導かれる。この事態を慣性系ごとにちがう時間をもつと言い換えてもいい。観測者と対象の相対的運動によって変容するのは時間だけではなく、空間も同様である。たとえば、高速度の五分の四で走っているロケットは、進行方向に対して60%の長さに縮んで見える(=ローレンツ収縮)。
 メルロは「〔現代の物理学は〕ただ空間を移動するだけでその事物が変質すると見なすようになりました。空間は互いに異質な部分や次元を含み、それらはもはや互いに取替えられないし、こうした異質な部分や次元が空間を移動する物体に何らかの変化をもたらすのです」と述べている。この記述は特殊相対性理論に基づく力学の知見を知覚言語へ翻案したものと解釈できるだろう。
 この翻案が妥当かどうかにわかには決められない。ただここで押さえるべきことの一つは、現代物理学が光という媒体がになう情報に基づいて理論的な構成をおこなっていることである。メルロは明らかに情報である光を知覚する――何らかの意味での――主体を想定している。これに対して、現代物理学においては、この種の主体は一見して理論的役割を果たしていない。そうした主体が暗々裏に想定されているのか、自然界の外部に秘かに置かれているのか不明である。(ちなみにメルロの言葉が物理学における「観測問題」と結びつくような手掛かりは何もない。)
 エレベーターを吊っている綱が切れたとき、自由落下するエレベーターの中の人は重力が消えたように感じる(=無重力状態)。アインシュタインは、一般に重力場が自由落下によって打ち消されること、加速度は(逆向きの)重力と同等であること(=等価原理)を発見した。等価原理は「慣性質量と重力質量はもともと同一である」ことを述べている。さらに彼はこの原理に一般相対性原理――「すべての物理学の基礎法則は、慣性系に限らず加速度系を含む任意の座標系に対して同じ形で表わされる」を要請する原理――をあわせることによって、一般相対性理論を打ち立てた。このようにして、重力を含む力学と電磁気学が力学に統合されたのである。
 メルロの「非ユークリッド幾何学の成立とともに、事態は一変しました。私たちは、空間そのものが湾曲していると考えるようになりました」という指摘は、一般相対性理論がもたらした知見にかかわる。アインシュタインは、星の光が太陽のふちをかすめて通るとき、太陽の引力にひかれてそれが曲がるに違いないという予想を立て、これは後に正しいことが検証された。等価原理に従うなら、落下運動、放物運動、その他あらゆる重力による運動は物体の質量にはよらないことになる。それゆえ、重力による運動なるものは、質量にはたらく力によるのではなく、むしろ時空のひずみ(「空間そのものの湾曲」)によるものだと言わなくてならない。
  (つづく)