〈遊び〉についての断章 (1)

namdoog2012-02-03

虚でもなく、実でもなく
  ――遊びの倫理学のために

1
 遊びについて論じたものとして、オランダの歴史家ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』ほど著名で、またじっさいこれほど出色の書物もない。
 よく知られているように、彼はこの本の大半を費やして、法律、政治、戦争、宗教、儀礼、学問、詩、哲学など、人間のあらゆる「まじめな」文化の営みが「遊戯のなかに、遊戯として、発生し展開してきた」ことの論証を試みている。
 しかし、これが一見してどんなに極端な、奇矯とさえいいうる見地か、そしてなぜ彼がこのような議論を展開したのか、こうした点を重大な問題として受けとめる向きはあまりないようだ。
 簡単にいえば、彼は「人間の営みのすべては遊びである」と主張しているわけで、これが過剰な一般化にすぎないことは、少し考えてみればわかるはずである。遊びではないものとの対比においてはじめて遊びという領域が確保されるのは明らかだろう。(たとえば、逃亡中の殺人犯を捜索している警察官の仕事が遊びであるはずはない。)筆者は旧稿で、現代思想史のなかにホイジンガの遊びの思想を位置づけ、その過剰な一般化の真意をさぐろうとした*。詳細はそちらを見ていただくことにして、ここでは考察の骨子を述べると同時に、二、三の新たな観察をつけ加えるにとどめたい。
 ヨーロッパの伝統的な人間観によれば、人間とは神が自分に似せて創造した被造物であって、たましいという絆で神に結ばれていると信じられていた。あるいは古代ギリシャ以来、人間は理性を本質とする存在者だとされてきた。いずれにせよ、人間はその内部に存在の根拠を蔵しているのであって、そのうえ、この根拠は、人間を越えた神(々)という外部の根拠に呼応し通いあうとみなされてきた。だが思想史の教えるところでは、ヨーロッパ近代とは、人間が自分の本質と根拠を見失った時代だといわなくてはならない。
 具体的にいうなら、キリスト教の信仰の衰退と、古代ギリシャ以来ヨーロッパ人が重んじてきた価値や理想の空洞化が到来したのである(この事態のもっとも切実な認識と表白をニーチェの哲学に見ることができる)。これを個々人にひきつけていうなら、私たちが生きることの意味が行方知れずになってしまった、ということである。近代ヨーロッパに遅れて近代化と産業化に邁進した私たちの社会にもこれと相似の出来事が降りかかってきたのは、まず否定できない事実だといってよい。
 近代という時代の精神状況としてのニヒリズムを克服するために、価値や意味を人間が自ら能動的に生み出す道を探り、その試みが時代への辛辣な批判となっているという点で、『ホモ・ルーデンス』は、明らかにニーチェの哲学の系譜につらなっている。ではなぜ〈遊び〉が問題なのだろうか。
 問題は、人間の活動が目的を達成するためになされるという性格、つまりその(合目的性)を回避できないという、人間性のある種の弱さに根ざしている。
 産業社会の成立と維持に不可欠な人間の活動形態は〈労働〉にほかならないが、意図的活動であるかぎりで、労働はその外部に目的をもっている。大半の人が――自分の仕事に充足感をいだいているかどうかは別として――生きるためには働かなければならない、と考える。たとえ就職が当面は人生の目的になることはありえても、職業労働そのものが人生の真の目的となるとはいささか考えにくい。私の労働が結果として社会に寄与し、家族を扶養し、その他さまざまな所産をもたらすかぎりで、それは有意義なものとなる。労働は、このように、どこまでも外部の目的を果たすための手段にすぎない。(これは社会思想としての認識であり、仕事がそのまま遊びであるような生活の形式がありうる、いや現にあることを否定しているのではない。)
 ところが、産業社会においても、外部の目的とは無関係にそれ自体が目的であるような活動、それをすることがそれ自体として意味をもつ活動が遺っているのではないか。いうまでもなくそれば〈遊び〉である。近代という時代に、自己目的性というその構造のために、遊びはニヒリズムからの最後の避難所となった。ホイジンガのあの極端な一般化は、目的という罠に囚われニヒリズムに陥っている近代社会にたいして示された、診断であり、処方だと解することができる。

2
 ホイジンガの遊びの哲学は、近代社会が高度な消費社会に変貌しつつある現在、いよいよその重要性をましている。それというのも、〈遊び〉と〈消費〉という二つの概念が、双子のようにそっくりだからである。
 消費とはたんにものを消耗することではない。なぜなら、ものの消耗という要素は、〈消費〉の反対概念である〈生産〉にも含まれているからだ。例えばなにか電気製品を生産するためには、金属やプラスチックやさまざまな素材を「消費」しなくてはならない。生産とは素材を変形し加工することであり、そのようにすることはまた素材の消耗でもある――だとすれば、消費と生産は同じことになってしまう。
 ここで、消費にかんする考え方の混乱を整理する必要がある。消費とは、ものの消耗を仮の目的としながら、じつは、充実した時間を生きることを真の目的とした行動である**。たとえば牛肉を食べたい欲求をもったとする。この食欲の充足がただちに〈消費〉を意味するのではない。むしろ私たちは、一片の牛肉でお腹を満たすために、調理に手間と時間をかけるだけではなく、給仕人の手をわずらわせて食卓を飾らせ、調度を整え、テーブルマナーや食卓の会話に心を砕いて、ようやくその肉片を口に運ぶことをする。この間の過程のすべてを楽しむこと、それが真の意味の消費なのである。
 こうして見ると、消費の概念が遊びのそれとほとんど見分けがつかないことに気づく。消費も遊びもその外部には目的をもたない。両者に違いがあるとすれば、それは結局、それぞれが属する概念場(概念のネットワーク)の違いに帰着すると言わざるをえない。
 いま私たちが暮らす消費社会は遊びの機会をふんだんに提供する社会である。ウェーバーの名高い研究が教えているように、近代の資本主義を用意したのが勤労や節約を重んじるピューリタニズムの倫理であり、産業社会が基本的に「まじめな」倫理的雰囲気に支配されていたのにひきかえ、現代社会には「遊び」の雰囲気が蔓延している。ひとつだけ例をあげれば、プロフェッショナルとアマチュアとを問わず、野球、ゴルフ、サッカーをはじめとする多種多様なスポーツのいちじるしい興隆がある。
 多様な遊びが盛んである点が「消費の時代」のきわだった特徴であり、これはそもそも、消費ということの本質に根ざすのだ。そして私たち日本人の過去をふりかえれば、意外にも、日本人が古くから勤労と遊びとをかなりたくみに両立きせてきた「遊び上手」であったことに気づくだろう。一例をあげるなら、茶道や和歌などの各種の藝能がめざましく発達すると同時に、それらが広範な人々の実生活にこれほどまでに取り入れられ「まじめに」いとなまれてきた文化は他に類がないと言っていいだろう。
 ホイジンガはこの上なく真剣な宗教にすら遊びの形式を発見したが、日本の伝統にこの見方はよく適合する。すなわち日本では、各種の遊びが「道」として編成され宗教性をおびるまでに洗練を遂げている。消費社会の行方を考えるうえで、私たちのこうした歴史がさまざまなヒントを提供してくれるのは確かなことだと思われる。

3
 遊びの自己目的性とならぶ重要な遊びの属性がある。遊びにおいては、現実と仮構の区別が無力であるという事実だ。遊び以外の行動の場合、何かを練習するとは、何かに似て非なるものを行なうことにすぎない。つまり〈練習〉とは〈仮構の行動〉なのである。たとえば、侵略者にそなえてなされる軍事演習では、ほんとうに敵が殺害されるわけではないし、教習所での車の運転練習も、現実の路上で実際に運転することではない(もっとも「路上運転」という名の練習もあるが、これがほんものの運転ではないことは、車の走行するルートが仮設されていること一つとっても明らかである)。
 ところが遊びでは、練習と本番とは瓜二つなので誰にも見分けがつかないのだ。たとえば、サッカーの練習試合は〈擬似的なサッカー〉をすることではないし(とはいえ、〈擬似的なサッカー〉の成立の可能性を否定するつもりはない)、サッカーごっこでもない。練習にすぎないとはいえ、それはあくまでサッカーの遂行である。遊びを練習することは、そのまま遊びを遊ぶことなのだ。この点が見やすい例は、やはり藝能の場合だろう。例えば、師匠の手ほどきでする茶の湯の稽古も、まさしく茶の湯を遊ぶやり方の一つであって、偽物の茶の湯などではない。その場に湯が沸き、菓子が供され、作法どおり茶が点てられ、それを飲んで楽しむという過程の一切がそろっているかぎり、立派な遊びがすでに成り立っている。
 もちろん、人間のあらゆる活動が実生活のなかで営まれざるをえないかぎり、そして遊びにせよ遊びの練習にせよ、それが人間の活動にほかならないかぎり、現実の遊び(の練習)には多少とも間に合わせで蕪雑なところがある。
 たとえばオーケストラのリハーサルでは、指揮者は普段着で指揮台に立つかもしれない。これは――理由の一部は正装の必要がないせいだが――大部分は、致し方ない生活の制約のためにすぎない。世俗の約束事からまったく切り離された「純粋な遊び」を遊ぶのはまず不可能なことである。もし遊びを純粋な形で遂行できるなら、それが練習でありながらそのつど本番でもあるような独特な行動、実(本番)と虚(練習)の差別相を離れた独自な営みであることがわかるはずだ。一般に、そのつどの遊びが、どこか未完の相貌を示すことは、この独自な遊びの属性から説明できるかもしれない。藝道にひいでた人々は、異口同音に、道を極めることの果てしなさを語っている。
 以上に見てきた遊びの存在構造をしっかりと摑むことがなにより肝要である。そのうえで私たちは、遊びの残酷さ、遊びの小児病、フェアプレイなど、遊びの倫理学にかかわる問題群に光をあてようとおもう。

〔注〕
菅野盾樹「意味への意志―〈遊びの人間学〉のための序説」(中島義明・井上俊・友田泰正縄『人間科学への招待』有斐閣)。なお、遊びを〈規則〉という観点から考察した、菅野盾樹「遊びとは何か――規則の階梯について」(『こころの科学」32号、日本評論社)も参照されたい。
** 山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』(中公文庫)

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

人間科学への招待

人間科学への招待

柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学 (中公文庫)

メルロ=ポンティ『知覚の哲学』、解説にかえて

namdoog2011-07-10

今回、メルロ=ポンティ『知覚の哲学―ラジオ講演1948年』が筆者の翻訳と注解を一本として、ちくま学芸文庫から刊行された(7月10日)。これを機会に、本書について筆者の見地から解説を行いたい(なお本文は文庫版の文章と基本的にはほぼ同じであるが、省略なしの全文については文庫版を参照していただきたい。)。


 メルロ=ポンティは二十世紀におけるもっとも独創的な業績をあげた哲学者のひとりであった。この点は衆目の一致するところであろう。それにしても、メルロ=ポンティのその独創的業績とは何だったのだろうか。
 彼の生前の名声にもかかわらず、そして遺著を含め彼の著作がたえまなく読み継がれてきた事実にもかかわらず、意外なことに、メルロの業績について確実な評価や多くの人が共有できる解釈さえも、必ずしも確定されたわけではない。たとえば、哲学史家ドミニク・フォルシェ―はこう述べている。「両義性の哲学ともいわれたように、メルロ=ポンティの全体像は依然として確定していない」(『年表で読む哲学・思想小事典』(菊池伸二ほか訳)、白水社、二〇〇一年、三四〇頁)。メルロ=ポンティの哲学者としての本領はどのようなものだったのか。彼の哲学的業績の真価は何だったのか。このラジオ講演には、こうした疑問を解くための恰好な示唆が含まれている。
 メルロが出演したラジオ番組の構成、放送日などの事実関係については、本書の編者による「まえがき」によって知ることができる。メルロが担当する講演は、一九四八年の秋、フランス全土に放送されたというから、おそらく同年の夏頃までにメルロ本人がスタジオに足を運んで講演原稿の朗読が収録されたのだろう。
 繰り返しになるが、メルロは大成した哲学者ではない。確かに彼は二十世紀のフランスが生んだ哲学者として十指に数えられる人物に違いない。だが哲学者メルロの探究の遂行者としての特色は、哲学思想の枠組み(パラダイム)を組み換えるために全力を傾注した点にある。彼は哲学体系の構築者でもなければ、完成した理論の普及者でもない。もっと具体的に言えば、「身体の哲学」の提唱者でもないし、「両義性の哲学者」でもない。(……)
 放送の年からわずか十三年後の五月三日の晩、メルロ=ポンティは仕事机で執筆中に斃れた。突然死とはいえ五三歳はあまりにも早い死の訪れである。数年前から彼の哲学思想は新たな段階に向かいつつあった。計画された著述の一部をなす遺稿「見えるものと見えないもの」と多彩な思索の交錯を生々しく伝える「研究ノート」が遺著『見えるものと見えないもの』(一九六四年)としていま読者のもとにある。(いや、読者にはそれだけしかない、と言い直すべきだろう。)本書の講演最終回でメルロは作品の「未完成」の存在論的意味を肯定的に語っている。とはいえ、メルロの死を悼んでリクール(Paul Ricoeur, 一九一三年〜二〇〇五年、フランスの哲学者)が述べたように、「未完成に関する哲学の未完成がもたらす二重の当惑」をどのように晴らしたらいいのだろうか。
 メルロ=ポンティが口にしたことばと記した文字はもう成長をやめテクストとして完結し全体が確定している。読者はメルロ=ポンティの哲学思想を――メルロその人が言うように――〈完成した未完成〉として捉え返す必要があるだろう。こうしてふたたび同じ問が立てなくてはならない。彼の哲学的業績の真価は何だったのか、と。



 メルロ=ポンティは博士論文を構成する二冊の著述『行動の構造』(一九四二年)、『知覚の現象学』(一九四五年)で、人間の〈行動〉と〈知覚〉を――経験科学の資料を博捜しつつ、科学的知見の丹念な批判検討をつうじて――主題的に考究した。時あたかもドイツによるパリ占領から大戦終結の直後までの時期である。これらの著述の刊行によって彼の名はにわかに高まり、その結果、彼はフランス哲学界において揺るぎない地歩を占めるにいたった。一般にこれらの著作に実を結んだメルロの哲学思想が彼の前期の立場を代表するとされる。それゆえ本書(ラジオの連続講演)における哲学思想も基本的には前期の立場に含まれることになろう。
 しかしここで二つの論点を指摘したい。第一に、哲学者が生きた思想を時期によって区分する手法には限界がある。(誇張していえば)メルロの思想が何年何月から次の時期に移行したなどという想定はばかげている。将来の思想の萌芽が前段階ではらんでいたこともあり、結局それが芽吹かず他の枝に新たな芽がふくらんでいたのに後から気づかれることもある。思想の生成は直線を描くわけではなく、ジグザグな経路を螺旋状にすすむものだ。
 第二に、メルロはつねに自身の哲学思想の前進を期していた――ここに彼が探究者であったことの証がある。とすれば、『知覚の現象学』刊行から数年間の思索の経験が前期の哲学思想とは質のちがう想念や問題をメルロにもたらさなかったとは言い切れない。むしろもたらした可能性が相当高いと言うべきだろう。
 私たちは、実際に、このラジオ講演において後期の見地が可能性の芽としてはらまれているのを見いだす。連続講演においてメルロが打ち出した最大のテーマを、〈古典的世界から現代世界への存在論的転回〉と要約することができるだろう。)。



 この主題は連続講演の組み立て方によく示されている。目次を手掛かりにして講演の構成を調べてみよう。以下で各章の見出しを掲げながら各講演の中心テーマについて多少の説明を加えておく。ただし私たちの目的は、各章の内容を要約することではなく、あくまでも連続講義全体の主題を浮き彫りにすることにある。


第一章 知覚的世界と科学の世界
第二章 知覚的世界の探索:空間 
第三章 知覚的世界の探索:感知される事物 
第四章 知覚的世界の探索:動物性 
第五章 外部から見た人間 
第六章 藝術と知覚的世界 
第七章 古典的世界と現代世界
 第一章でメルロは、読者(かつては聴取者)が〈知覚的世界〉を再発見するよう強く訴える。現代の自然科学は――メルロにとって不本意なことに――私たちがすでにいつでも帰属しているこの世界をまるで幻想か仮象の地位に貶めている。だがメルロに言わせれば、この種の科学主義のやり方は自分の出生の秘密に目をふさいでいるせいで可能となる。科学的認識はそもそも知覚に根をおろしその土壌から養分を吸い上げているのだ。ところが科学主義は明らかなこの事実を顚倒させて、知覚を始まりつつある科学と見下すという過ちに陥っているフランスはデカルトを生んだ国であり、デカルトこそ科学主義の生みの親である。デカルトにかかると「感覚は時として人を欺く」という理由で真の経験としての意義を否定されてしまう。冷えた手をお湯に浸けると熱いと感覚するが、同じ温度のお湯にこんどは温めた手を浸けるとぬるく感覚する。このように、感覚は対象の認識に役立たない。主知主義者は、感覚の代わりに経験としての「知覚」を贋造する。デカルトにとって「知覚」とは「感覚」を知性で処理した〈判断〉の一種となるだろう。
(……)
 このように、本章におけるメルロの最大の関心事は、知覚的世界の存在論的意義を科学主義と対照させながら明示するであった。第一章が知覚的世界についての概説だとすると、第二章、第三章の目的は知覚的世界についての各論を展開することである。具体的にいえば、知覚的世界の空間性と感知される事物(あるいは知覚物)を主題として設定しそれぞれを現象学の見地から記述している。メルロは第一章と同じように科学的認識に論及しているが、むしろ注目すべきは画家の表現に焦点をあてていることである。とりわけセザンヌの画業について掘り下げた解釈がなされている。メルロの見地からすれば、日常的知覚がすでに〈表現〉――表意機能をおこなう記号系――であり、絵画はいわば二乗された表現として本来的な〈認識〉である。とはいえ、メルロは(新カント派のように)認識論/存在論/価値論という哲学の伝統的部門分けを絶対視するわけではない。彼にとって人間の認識は人間の存在様態に等値であり、認識問題はそのまま存在論的考察の対象である。このかぎりで、哲学的系譜を言うなら、メルロの哲学にはハイデガー哲学に直接結びつく側面が多い。メルロがようやく後期においてハイデガー哲学に関心を深めたとか、後期において存在論に問題関心が移ったという見方は誤りである。
 第三章の主題である<知覚物>とは知覚領野に現象するかぎりにおける事物にほかならない。換言すれば、それは知覚された事物を表意するカテゴリーである。この<知覚物>のカテゴリーが、仮象と実在の二項対立を超えた概念内容を表意するかぎりで、それはフッサール現象学における<現象>のカテゴリーに等値と見なしうる。メルロが<現象>を彼の存在論の基礎概念としなかったところに、むしろメルロの知覚主義の独創性を認めうるかもしれない。知覚物の背後に現象しない実在があるとする古めかしい<現象>の観念は全面的に廃棄されている。このことをメルロ=ポンティは、画家セザンヌの証言、ポンジュの詩、文学者ゲーテの色彩論、あるいは哲学者バシュラールの詩論などに言及しながら解明しようとする。放送番組の制約のために彼の議論が委細を尽くしていない点は認めなくてはならないだろう。いずれにせよ、議論の狙いが存在論的転回に絞られていた点を疑うことはできない。


 この連続講演の全体構想のうちで第四章はなぜ必要とされたのだろうか。初章から第三章まで彼は知覚的世界を記述してそれが人間化された世界であることを明らかにした。<人間化>がただちに<擬人化>と重なるわけではない点に注意すべきである。この論点を確かめるには、科学主義が描く世界像と知覚的世界とを比較してみるといい。誰もが知っているように、自然科学が精密な観察によって明らかにする物質の世界には意味や価値のはいりこむ余地がない。たとえば、ある山の斜面を地質学や地理学などの科学的視点から調べれば、そこについて多様な事実が判明するだろう。だがそれが険しいという行動的価値を科学的調査から引きだすことは不可能である。人間が山に登る行動(登攀)との対応が与えられて初めてそこは険しい場所となる。
 これにひきかえ、知覚的世界をつくりあげている生態学的場所や知覚物には固有の価値や意味がある。メルロのいう<人間>は術語としては<世界内属存在>あるいは個別的な<実存>と呼ばれるが、彼はその存在構造を<固有な身体>として捉えた。<固有な身体>はある意味で主体であるが、デカルト哲学の伝統において継承されてきた<自己意識>とは異なり、自然状態においては人称以前的な水準にとどまる。それゆえ人間化はただちに擬人化ではない。
 しかしこの論点がじつはメルロの議論の分岐点を呼び寄せることになる。身体的主体の呈示によって、メルロ=ポンティは、古典的世界から締め出された動物・子供・狂人・野蛮人の救済のために思索の努力を注ぐ。私見によれば、この第四章は連続講演中の圧巻ではないだろうか。それというのは、メルロが本章において古典的世界から現代世界への存在論的転回を本格的に遂行しているからだ。古典的世界において「人間」と呼ばれる種族は、たんに、西洋の・精神が健常な・大人(メルロは明言していないがおそらく男性)にすぎなかった。
 だがケーラーの有名な類人猿に関する研究の検討などをつうじてメルロは人間における動物性を直視する。さらに歩を進めてメルロは、理性・非理性、文化・野生、現実・夢想、人間・野獣などの二項対立を転覆し中和し両極をつなげる――このようにして、存在論的転回が遂行されたのである。
 デカルトなら冷笑するか驚愕するか、それは想像できないが、メルロ=ポンティは動物を初めとする存在者を人間として認める。動物は人間である(だが、逆は成り立たない)。それゆえ結果として「擬人化」の意味が更新され「人間化」をそれで表意することが可能になる。そうなれば<擬人化>の認識法が一般に妥当性をもたないわけではなく、当然ながら、妥当な擬人化もあるのだ。(修辞学における<擬人化>が不可能なら私たちは現に有する世界認識を失うだろう。)


 第五章は悪名高い「他者問題」を存在論の視点から解決に導くことを狙っている。メルロの議論については本文を参照していただくことにして、問題にたいするメルロの方略の特色を明らかにしよう。彼は<固有な身体>の視点から、デカルト哲学の伝統における「他者問題」の出来そのものをすり抜ける。言い換えれば、メルロの身体性の現象学において「他者問題」は解決されたのではなく、解消されたのだ。彼の議論の鍵をなす概念は<表情>である。もちろんこれは身体性の<表現>であり、メルロの卓抜な言語存在論を導く重要な概念である。またこの章においてメルロは他者関係を実存の存在構造に要因として組み込んでいる。メルロのかつての盟友サルトルが『存在と無』において対他存在の理論を展開しているが、二人が議論の出発点に据えた基礎概念が著しく異なるために、二人が記述した対他存在の理論(ある種の倫理学)にはほとんど共通点がない。
 第六章でメルロが目指したのは、知覚世界の現象学が藝術理論に貢献する理由を説くとともに、逆に藝術活動がメルロの身体性の存在論にたいする裏付けをもたらすゆえんを説明することである。この目的のために、メルロはふたたびセザンヌを初めとする画家の作品を論じる。藝術は存在論的にいって記号論的実践である。当然ながらこの章の議論は身体性の現象学を基礎とする記号論の趣を呈することになる。彼の議論は音楽、映画、文学とくに詩に及んでいる。この章で展開された藝術論をメルロの存在論的探究のうちにどのような意味で位置づけるたらいいのだろうか。
 一見すると、藝術論はメルロの哲学探究を前進させてきたモチーフである課題としての存在論にとって、そのひとつの応用例のように映るかもしれない。しかしこれは間違った判断である。本書の注釈でも引用したが、『知覚の現象学』の序文において彼は次のように述べている。「現象学がひとつの学説ないしひとつの体系であるより以前にひとつの運動であったとしても、それは偶然でも、詐欺でもない。
 現象学は、バルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、辛苦のいとなみである――これらはすべて、おなじ種類の注意と驚異を示し、おなじ気難しい意識をそなえ、世界や歴史の意味をその誕生の刹那において捉えんとするおなじ意志をもっている」(『知覚の現象学』、p.XVI)。メルロはここで藝術と哲学がともに人間の難事業であることだけを言いたいのではない。哲学も藝術も――表現様式やそれぞれの媒体が異なるとはいえ――形而上学的課題を追究する<表現>としてはまったく同等だし相互に協働できることを述べている。(……)


 第七章は連続講演の掉尾に置かれてはいるが、講演全体の主題を把握するために読者が最初に読むべき章なのかもしれない。というのも、この章でメルロが鮮明に打ち出しているのは、古典的世界と現代世界の思想的・文化的な顕著な差異、という論点だからである。メルロが「古典的世界」と呼ぶのは、ヨーロッパの歴史区分でいう「近代」(the modern era)における思想的・文化的世界のことである。哲学的文脈にこの「古典的世界」を置き直せば、(ほぼ時代順に挙げるなら)デカルトとその学派ならびに彼らに対抗する学派(たとえば英国経験主義)、フランス啓蒙哲学者たち、そしてドイツ観念論とその後継者たちなどが、古典的世界の住人として実際にこの講演において言及されている。他方、「現代世界」とメルロが呼ぶのは、十九世紀末から二十世紀の二十年代、三十年代をつうじて形成された思想的・文化的世界にほかならない。ラジオ番組が放送された一九四八年当時も当然ながら「現代世界」に属している。しかもメルロにとって「現代世界」の次にどのような「世界」が到来するかという問は無意味である。私たちは「現代世界」が二十世紀の二十年代から三十年代をつうじてほぼ完成され現在に継承されているメルロの洞察に驚きを禁じ得ない。それというのも、メルロは、世界の「上空を飛翔する」観察者を容認しない見地を堅持するからである。後期のことばで言えば、メルロはつねに「内部存在論者」でありつづけた。徹底的に世界の内部に住みながら、自己と世界の全体について考え抜くのが哲学の本来のいとなみにほかならない。メルロ=ポンティはこの哲学者としての本来の構えを最期まで持ちこたえた。この一点だけでも彼の名は人々の記憶に残るだろう。
 この章は「古典的世界と現代世界」と題されているが、これはいわば明示的主題であってじつはひとつの黙示的主題が前提されている。メルロは、古典的世界に比較すると、現代世界の藝術作品、政治情況、哲学思想のどれをとっても不完全性、未完成、両義性などの消極的様相が顕著だという点を指摘する。しかしメルロは、現代世界のこれらの徴候に悲観していない。むしろそれらに思想や文化の健全さと豊富な可能性を認めるのである。このような明示的主題の議論をなすための前提に、古典的世界から現代世界へとそれぞれの基礎をなす存在論が変換を遂げたという痛切な認識がメルロにはある。メルロはこの「存在論的転回」を遂行し今なお遂行にかかわる当事者の一人であった。



メルロ=ポンティの哲学的業績の基軸を「存在論的転回」に求めなくてはならない。これを確認し終えたとき、私たちの連想はふたつの思想史上の出来事へと進んでゆく。ひとつは十七世紀の<科学革命>(Scientific Revolution)、もうひとつは二十世紀の<言語論的転回>である。英国の歴史家バターフィールド(Herbert Butterfield、一九〇〇年〜一九七九年)は世界史上ただ一回(主として)一七世紀に科学的認識が大規模な変革を遂げたことを主張した。この連続講演でメルロがたびたび言及するデカルトもその当事者だった。(……)
 トマス・クーン(Thomas Samuel Kuhn、一九二二年〜一九九六年、米国の科学史家)は科学革命(scientific revolutions)の理論化を試み、科学の歴史は科学的知見の累積ではなく、非連続的な飛躍を介して革命的に変化することを説いた。この変化を「パラダイムシフト」と言うことから、彼の理論は「パラダイム論」と呼ばれる。メルロ=ポンティが挑んだ哲学思想上の課題は、科学革命もそのうちに包摂したいっそう根底的な存在論上のパラダイムシフトだと言わなくてはならない。
 他方、言語論的転回(Linguistic turn)とは、二十世紀における哲学史上の重要で大規模な「パラダイムシフト」のことである。このスローガンはリチャード・ローティ(Richard Rorty 、一九三一年〜二〇〇七年、米国の哲学者)が編纂した論文集の題名(Linguistic Turn. Recent Essays in Philosophical Method、University of Chicago,1967)からひろがった。伝統的な哲学は、たとえばプラトンにおけるように「世界とは何か」、「世界に存在するのはどういうものか」、「人間とは何か」など実在するものへ直接的に問を向けるのがふつうだった。時代が下り近世になると、哲学の問は、実在するものではなく、実在の<観念>や<表象>に集中することになった。なぜなら人間は<観念>や<表象>を介してしか実在に近づく手立てがないと考えられたからである(本講演でメルロはデカルトに言及しながらこの経緯を明らかにしている)。ところが二十世紀初頭に論理実証主義の哲学運動が広範な影響力をふるい、また解釈学や現象学が勃興するとともに、哲学者の関心は人間言語や記号に集中することになった。(……)メルロは〈知覚〉をあらゆる経験の原型とみなしたし、知覚がすでに沈黙の言語にほかならないとした。こうして見ると、メルロこそ生涯にわたり徹底的に幾度となく言語論的転回を遂行した哲学者だと言わなくてはならない。
 ここで私たちは、メルロの哲学的業績にたいしかなり明確な評価を与えることができる。彼は言語論的転回を存在論的転回の一環として推進した点において独創的であった。あるいは逆に、メルロは存在論的転回を言語または広く表現ないし記号の事柄として遂行したとも言えるだろう。



 現象学学徒として出発したメルロは〈事象そのものへ〉というフッサールの教えを忠実に履行したので、彼の哲学が経験の具体相に密着していることに多くの読者が魅了され、同時に目を晦まされがちになった。実際、メルロを「自然主義者」と呼んで自らの躓きをそれと知らずに告白する人もあらわれた。なるほど、彼が大学の心理学講座で授業を担当したのも事実だし、精神分析の臨床家に乞われその著書に序文を寄せたこともあった。にもかかわらず、彼には心理学者と肩をならべるつもりなどまるで無かったし、種々の心理学的研究を統合して〈哲学的人間学〉を構築しようという意図もなかった。
 とはいえ彼には、反科学を標榜する古めかしい形而上学に復帰する目論見は無縁であった。心理学・言語学社会学・人類学などの経験諸科学から学ぶこと。これはつねにメルロの哲学探究の要因でありつづけた。こうした事態の根拠となるものがあるとすれば、それは、彼が晩年まで堅持した〈現象学存在論の構築〉というモチーフ以外ではない。存在論が伝統的形而上学の一部門であるかぎりで、メルロの思索を生涯にわたり牽引したものは形而上学へのひりつくような渇望であったと言えるだろう。メルロに最終的には現象学をも乗り越え前進するよう促したのもやはりこの形而上学的動因である。メルロが遺著で引いているファン・ゴッホのことばのように、彼もまた「もっと遠くまで」行きたいと思わせるある種の根源にこころ奪われていたのだ(『眼と精神』、二五六頁)。
 しかし、彼の形而上学の企ては、平坦な道を順調に進んだわけではない。すでにこの連続講演の議論のうちにいくつかの困難が足をすくう石のように埋もれている。最後まで彼に前進を駆り立てたのは、黙した知覚を律する身体的理性と言語音として語りだす理性がいかに関係するかという問題であり、前者から後者がどのように生成するかという問題であった。
 メルロにつねに、あらゆる合理性の根拠が〈知覚〉に存すると確信していた。(ちなみに〈知覚〉をたんなる「心的状態」と取り違えてはならない。それは人間の存在様態であり、現実の生である。)現象学派のひとりとして研究者として出発したメルロは、主としてこの問に導きに応じて、何度か生涯の節目に自己の哲学思想の点検をおこなっている。最終的に読者にゆだねられたのは、遺著『見えるものと見えないもの』(これに附載された「研究ノート」を含む)ならびに何冊かの講義ノートである。読者はそれらの資料からこの類まれな思索者が、現象学さえ括弧に入れて、新規に思索を始めようとする気配を濃厚に感知できるだろう。(……)

世界制作論の現在

namdoog2011-06-24

 昨年、あいついで注目すべき論集が刊行された。まず書名その他をご紹介したあとで、なぜこれらが(少なくも)筆者の関心を惹きつけたか、少しばかり理由を述べよう。一冊目は、Cultural Ways of Worldmaking: Media and Narratives (Vera Nünning, Ansgar Nunning, and Birgit Neumann ed., De Gruyter, 2010) である(以下でCWWと略す)。ネット上の情報から、やはりAnsgar Nünning と Birgit Neumannの二人が編纂した、The Aesthetics and Politics of Cultural Worldmaking という本 (APCW) がWissenschaftlicher Verlag Trie から 2011年に出版されている。
 (ついでながら、前者はアマゾン日本の洋書のカテゴリーで検索するとヒットするが、後者は出てこない。amazon.com あるいはamazon.uk などのサイトでもヒットしない。これはおそらく後者の出版社が大手ではないせいだろう。)
 これらの論集が注目に値するのは、グッドマンが――晩年にはエルギンと連携して――構想した「世界制作論」(theory of worldmaking)が、これらの論集によって真に新たな展開を遂げたようにおもえるからである。もしこれが事実なら、これらの著作の出現以降に試みられる世界制作論(原理論および事例研究)については、グッドマン/エルギンの理論を「古典的世界制作論」とみなし、それらの試みとは区別する必要があるだろう(もちろん、ここで言うのは単に時期の問題ではない)。
 二冊の論集の目次を以下に掲げておこう。


CWW:
I. THEORETICAL APPROACHES TO WAYS OF WORLDMAKING
SEVENCONNOR: 'I Believe That the World'
HERBERT GRABES: Three Theories of Literary Worldmaking; Phenonenological (Roman Ingarden), Constructivist (Nelson Goodman), Cognitive Psychologist (Schank and Abelson)
BEN DAWSON: Worldmaking as Fate
FREDERIK TYGSTRUP: The Politics of Symbolic Forms
II. MEDIA AS WAYS OF WORDMAKING
BIRGTT NEUMANN and MARTIN ZIEROLD: Media as Ways of Worldmaking: Media-specific Structures and Intermedial Dynamics
KNUT OVE ELIASSEN: Remarks on the Historicity of the Media Concept
STEPHEN SALE: Do Media Determine Our Situation? Friedrich Kitter's Application of Information Theory to the Humanities
ULRIK EKMAN: Irreducible Vagueness: Augmented Woridmaking I Diller & Scofidio’s Blur Building
MATTHEW TAUNTON: World’s Made of Concrete and Celluloid: The London Council Estate in Nil By Mouth and Wonderland
III. NARRATIVES AS WAYS OF WORLDMAKING
ANSGAR NÜNNING: Making Events―Making Stories―Making Worlds: Ways of Worldmaking from a Narratological Point of View
VERA NÜNNING: The Making of Fictional Worlds: Processes, Features, and Functions
INGER ØSTENSTAD: Literary Worldmaking
CAROLINE LUSIN: Writing Lives and ‘World’: English Fictional Biography at the Turn of the 21st Century
HANNA BINGEL: Fictional Narratives and Their Ways of Spiritual Worldmaking: (De-) Constructing the Realm of Transcendence in City of God by Way of Metafiction and Multiperspectivity
ELISABETH WAGHÄLL, NIVRE and MAREN ECKART: Narrating Life: Early Modern Accounts of the Life of Queen Christina of Sweden (1626-1689)
RENÉ DIETRICH: Seeing a World Unmade, and Making a World (Out) of Remains: The Post-Apocalyptic Re-Visions of W.S. Merwin and Carolyn Forché


APCW:
I. THE POLITICS OF WORLDMAKING
FRANCESCO PITASSIO : Making the Nation Come Real
Neorealism / Nation: A Suitable Case for Treatment
ERIK GRANLY JENSEN :“Communist Signals”: Broadcasting and Sci-Fi Worlds in Walter Benjamin
ANETTE STORLI ANDERSEN : Theatrical Worldmaking: How the Norwegian Constitution was Prepared within the Theatre
ENRICO LODI : A World of Violence: Representations of the Spanish Civil War
II. WORLDMAKING IN LITERATURE
HEIDE REINHACKEL: Weaving the Infinite Tissue: Poetics of Textuality in W. G. Sebald’s The Emigrants and The Rings of Saturn
IRINA BAUDER : “Your Writers have instituted a World of their own”: Possible Worlds in Eighteenth-Century Romance and Charlotte Lennox’s The Female Quixote (1752)
STEFANIE SCHAEFER : Birth by Narrative: Narrative Self-Making in Autobiographical Fiction
ALEXANDER BAREIS : Science Fiction vs. Fiction Science: On the ‘Principle of Genre Convention’ as an Exploration Rule for Fictional Worlds
MIKKEL ASTRUP: Literary Desires of Samuel Beckett’s Worldmaking
III. WORLDMAKING IN OTHER MEDIA: MUSIC COMPUTER GAMES, AND INSTITUTIONS
MARTIN LUTHE : “If I Could Build My Whole World Around You”: How Motown ‘Made’ the Sixties
RUDOLPH GLITZ : Making Worlds Historical: The Political Aesthetics of Sid Meier’s Civilization Series
ANNA SEIDERER : The Postcolonial Museum as a Way of Worldmaking


 さて、第一の論集(CWW)については匿名の著者によるかなり詳しい内容紹介が若干のコメントをつけてネット上に資料としてあがっている(http://www.wordtrade.com/philosophy/)。この資料を素材に、ここでは、CWWの内容紹介ならびに筆者の視点からする多少の感想を記しておきたい。
 CWWの目的は、グッドマン世界制作論の文化理論としての有益さを掘り下げ、現在行われている多くの文学・文化研究によってその欠けた部分を補いつつ、新たな展開を図ることである。全体として本書は、三つのキーコンセプトないし論点に焦点を絞っている。すなわち、1)世界制作の方法への理論的アプローチ、2)世界制作の方法に関するメディアが果たす役割、3)同様にナラティブが果たす役割、である。これら概念の解明をつうじて、古典的世界制作論では主題化されることがなかった文化的価値 (cultural values) や権力関係 (power relations) をこの理論枠組みのなかで取り扱うことが可能になる。
 古典的世界制作論においては、たがいに拮抗する世界ないし世界ヴァージョンとして、具体的にはおおよそ科学、日常生活、藝術の三者がつねに論及されていた。これらのヴァージョンの関係は必ずしも単純なものではない。かつて天動説は日常生活(日常的言説)とつながったひとつの科学的言説であった。その上、それにはある種の美学的感覚もともなっていた。しかし、グッドマンは世界=ヴァージョンをこれらの三者あるいはそれらの組み合わせだけに限ったわけではない。彼がこれら三つに特別な関心を寄せた動機は、哲学研究の状況に由来する。
 同時代の哲学者セラーズ(Wilfred Sellars)が打ち出した論点もグッドマンと同様の背景をともなっていた。セラーズは科学的知識に全幅の信頼をこめて「科学は万物の尺度である、存在するものについては、それが存在することの、存在しないものについては、それが存在しないことの」と明言した。しかし〈この世界に帰属する人間〉(man-in-the-world)を理解するために科学が万能ではないこと――この点をセラーズは否定しない。こうした状況に身を置く哲学者の役割は何だろうか。彼によれば、〈この世界に帰属する人間〉の完璧な記述を達成するために、二つの知的探究が競合しているのがわかる。
 セラーズは二種類の理論構築のおのおのを「自明な世界像」そして「科学的世界像」と呼ぶ。重要なのは、単に前者が後者へと直線を描いておもむくわけではないということだ。むしろ両者は――複眼視のように――いつでも協働しあっている(菅野盾樹編『現代哲学の基礎概念』、大阪大学出版会、2008年、「自明な世界像と科学的世界像」の項目を参照)。このように、グッドマンもセラーズも、科学的認識の絶対的優位性を相対化するという哲学思想を展開したことでは共通している。――セラーズのほうが、科学的認識にずっと大きな比重をかけていたのだが。
 『世界制作の方法』(菅野盾樹訳、ちくま学芸文庫、2008年)が考察を集中したのは、事実上、科学・日常生活・藝術という三種の記号学的実践の領域だったが、しかしグッドマンは世界=ヴァージョンのタイプが三つのタイプに尽きると主張しているわけではない。本書の冒頭で彼は自問してこう記している。「(……)多くの世界があるというのは、正確にはどういう意味でなのか。本物の世界をいつわりの世界から区別するものは何なのか。世界は何から作られているのか。その制作にさいして記号はどのような役割を果たしているのか(……)」(同書、18頁)。
 もちろん本書でグッドマンはこれらの設問に部分的に答えを与えている。しかしながら、その後エルギンと二人で出した本『記号主義』(菅野盾樹訳、みすず書房、2001年)をひもとけば明らかなように、これらの問いはそこでも再び取り上げられその解明に著者たちは懸命に取り組んでいる。要するに〈世界制作の問い〉はいつでも開かれた問いであり続けている。そして、同じこの問いを継承することによって、今回新たに二冊の論集が編まれることになった。
  CWWは〈世界制作の問い〉に純粋な哲学(そんなものがあるとして)の見地から挑んだわけではないし、グッドマンの記号論の解釈をやってみせたものでもない。さらに言って、この論集は、グッドマンの業績がどのように受容されたかについて歴史的概括を与えたものでもない。繰り返すことになるが、本書の目的は、世界制作論の有益さと射程を測り、それを補完する多くのアプローチ・問い・視点などを提供することにある。
 グッドマン/エルギンがそう明言するにもかかわらず、世界制作論はまだ global project (包括的事業)の域に達してはいない。換言すれば、明らかに、記号系の〈比較研究〉のはばが限定されているのである。古典的世界制作論が手をつけていない「制作の方法」が残されている。これに加えて、グッドマンが彼の体系から除外したいくつかの基礎的主題(価値、歴史、政治など)も見逃せない。
 CWWは、こうして、古典的世界制作論を拡張し補完し強化する試みだと言えるだろう。古典的世界制作論は記号学的実践の「同時的(synchronic)かつ体系的な地図」を描こうと企てた。結果として得られたのは、普遍的学問としての世界制作論であったといって大過ないだろう。これに対して、CWWの各章は、個別的な文化や文学、あるいは歴史的文脈において世界制作の方法がどのように働くかを考察し論究している。
 世界制作の方法は既存の個別文化と互いに影響を及ぼしあう。グッドマンが言うように「世界制作は(……)つねに手持ちの世界から出発する。制作とは作り直しだ」(the making is a remaking)からである(前掲書、26頁)。この再帰的な制作過程のただなかに、著者たちは〈メディア〉と〈ナラティブ〉の働きを再発見する。
 なぜこの二つなのだろうか。ほかに世界制作の方法が装備するツールはないのだろうか。この二つのタイプの記号学的実践を抜き出した理由は、おそらく、社会学的ないし歴史的観察に由来する。いずれにしても、これら実践のタイプを主題化したことで、CWWは古典的世界制作論の枠組みを拡張し(少なくとも拡張しようと試み)、新たな理論的段階に前進したのである。(つづく)

詩は認識を遂行する記号システムである

namdoog2011-05-23

 『知覚の哲学』(ちくま学芸文庫、7月10日刊行)でメルロ=ポンティマラルメに論及しながら、〈詩的認識〉について述べているところがある。該当する箇所を引用しよう。


言葉は自然の事物を表意するためにつくられたものです。すでにかなり以前に、マラルメは言語の詩的用法を日常談話から区別しました。おしゃべりな人が事物の名を口にするのは、ただ「何が話柄であるか」を言うために、手短に事物を指すためでしかありません。これとは反対に、詩人は――マラルメによれば――事物のふつうの名称を別の名称と取り換えます。ふつうの名称は事物を「周知のもの」として指示しますが、詩人はこの種の名称を、事物の本質的構造を記述し、私たちをこの構造にはいり込ませるような名称で代替するのです。世界について詩的に語るということは(……)、ほとんど発言せず、黙っていることです。実際、マラルメが沢山の詩篇を書かなかったのはよく知られています。しかし、彼が遺した数少ない詩篇には、ただ言語のみに支えられた詩、という、この上なく明瞭な自覚があります。詩は、マラルメにとって〔既成の〕世界自体に直接関与せず、散文的真理や理性にも関与しない発話、したがって、〔既得の〕観念に完全には翻訳できない発話の創造でした。

 メルロはいったい何が言いたかったのか。フランス象徴派の詩人マラルメ(Stéphane Mallarmé、1842年〜1898年)は――大方の批評家によれば――このうえなく難解な詩をつくったが、しかし、それらは古今における詩の最高峰であるとされている。彼の詩作が「詩とはなにか」という問に身をもって応えようとしたのは事実であろう。メルロがここに記しているように、マラルメは言語の詩的使用と日常的使用を峻別したのだった。
 だが、この考え方がなにか格別なことを主張しているとは到底思えない。東西を問わず、古くは詩とは必ず韻文であった。韻文と散文が相違するのは自明である。ちなみに、「散文詩」のジャンルが試みられたのは十九世紀後半に至ってからであり(たとえば、ボードレール(Charles Pierre Baudelaire、1821年〜1867年)フランスの詩人)、しかも「散文詩」とは何かという問に明解な説はないようである。それではマラルメの真意はどこにあったのか。私たちはまず、この問が、文学史における「純粋詩」(poésie pure)という想念にかかわっていることを確認しておこう。
 マラルメは詩の表意機能一般を否定したのではない。いやしくも詩は言語表現であり、言語の正常な表意機能を欠いた「詩」が表現として成り立つはずはない。その種の「詩」が表現としてナンセンスに化してしまうのは必定である。
 実際に、言語の異例な使用によって「ナンセンス詩」をつくる試みがなされてきた。たとえば、エドワード・リア(Edward Lear、1812年1888年、英国の画家)の作品はよく知られている。この種の作品が本当に「詩」の資格に値するかどうかを判定する考察は詩論家にゆだねたい。私たちとしては、「ナンセンス詩」のほとんどの作例が間違えなく〈言語遊戯〉であること、そして〈言葉で遊ぶこと〉は、言語の正常な表意機能を前提することを指摘したい。
 メルロがマラルメの創作活動をどのようなものとして解釈したか考察するうえで参考になるのは、彼のセザンヌ論である。本書の第三章「知覚的世界の探索:感知される事物」において、メルロは、セザンヌの絵画の意義を存在論的視点から的確に説明している。彼の議論に立ち入るかわりに、ここでは、メルロの論点を簡潔に述べるだけにしておこう。すなわち、セザンヌは遠近法の放棄をつうじて世界内部に立ち入り、知覚物がまなざしのもとで誕生する光景を目撃しようとした、というのである。
 セザンヌが表現の古典的技法に背いたように、マラルメもしばしば、文法を逸脱した表現をおこない、意味論的に両立しがたい語彙を選択するなど、〈言語的慣習〉の背馳者であった。なぜマラルメはあえて慣習を遵守しなかったのか。それは、まさに言語表現が新規な表意機能を始める瞬間に立ち会うためだった。彼の詩に表意機能がないと誤解する読者は既成の言語的慣習を墨守した見地に立っているにすぎない。いったいに、詩のことばが意味する観念は、どんなに捉え難いとはいえ、無ではありえない。マラルメの詩が知的観念よりことばの響きやリズムを重視している、とする指摘は正確である。というのも、詩的言語――いや言語一般――が、後述のように、身体性に働きの基礎をもつからである。
 詩人とはことばで世界の誕生に立ち会おうと熱望する人種である。彼は平凡な単語のひとつひとつが見たことのない新鮮な意味で輝くように細工する。そのかぎりで詩人は世界制作者であるとさえ言えよう。poem (詩) の語がギリシャ語のpoieō = to make (制作する) に遡るという事実はおおいに示唆にとむ。
 しかしまだ問題は残っている。詩的言語が表意機能をもつなら、それがとりわけ詩的表意であるのはいかにして可能なのだろうか。そもそも詩とは何だろうか。――この問いに正面から向き合った詩人や批評家が打ち出したのが、上記の「純粋詩」という詩の理想であった
 いまでは「純粋詩」は詩論の用語として定着しており、専門の辞書によると、それは「物語、雄弁、思想など、詩以外のあらゆる要素から隔てられた詩」をいう。だがこの説明は、一見して無意味であろう。これを理解するためには〈詩〉なるものの明確な定義をすでにもっていなくてはならない。この失敗は、どうやら、〈詩〉を規定するために、表現領域全体のなかで詩の領分を区画するという方略に起因すると思える。詩とはいかなる意味でも地理的概念ではありえず、行動的概念ではないだろうか。
 言語が人間行動の有力な形態であることは20世紀の言語思想が教えている。〈詩〉については、〈詩がある〉というより〈詩をなす〉というのが正しいのではなかろうか――こうした問題意識に立つとき、マラルメヴァレリー(Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valéry、1871年〜1945年、フランスの作家、詩人、批評家)やブレモン(Henri Bremond, 1865年〜1933年、フランスの聖職者にして批評家)たちの言説が、よりよく理解できるように思える。
 文学史を参照すると、「純粋詩」の観念がエドガー・アランポー(Edgar Allan Poe、1809年〜1849年、米国の小説家、詩人)が『詩の原理』(The Poetic Principle, 1848) において教訓・真実などと関係しない美を追求する詩を提唱したことが魁(さきがけ)となり、彼の作品がボードレールマラルメに影響を与えることを通じて「純粋詩」の観念が醸成されたことが知られる。
 マラルメは、ある詩論において、伝達の手段としての言語とは異なる詩的言語の必要を主張し、語と語の結合が生みだす音楽的効果から、事物の純粋な観念が立ち上ってこなくてはならない、と説いた。さらにヴァレリーがリュシアン・ファーブル『女神を識る』(Lucien Fabre, Connaissance de la déesse,1924)に序文を寄せ、「純粋詩」(poésie pure)という用語を遣って類似の考えを述べている。ヴァレリー主知主義の見地にたち観念の表現としての詩を説いたのだが、これに対して、ブレモンは、1925年の講演「純粋詩」において、語の暗示性や音楽性を強調し、詩に対して知的内容を否定している。(以上の記述は、ほぼ『集英社 世界文学大事典5』、1997年、381頁〜382頁、による。)
 身近にある専門事典はいくつかの歴史的事項について教えてくれるだけで、肝心の「純粋詩」とは何かについて明確なことを教えてはくれない。私たちはあらためて、メルロが〈詩〉(la poésie)の行動としての本態をどのように把握していたか、それを考察してみたい。まず、詩が行動であるという言い方に補足説明がいるだろうか。
 メルロはこのくだりで、詩がある種の発話(パロール)だと明言している。この用語はソシュール言語学に由来するものである。それは、話す主体(話し手、sujet parlant)が遂行する個別的な言語行動、つまり発話(parole)のことをいう。ヴァレリーも詩を「精神の作品」と呼びそれが「実現作用においてしか存在しない」と述べている。紙の上に記された一篇の詩はただの物象である。それが詩として蘇生するには、音声の繋がりをつくりだし、時間のうちでそれを展開し、それに人の耳を傾けさせ、感情を呼び覚ます必要がある(『詩学序説』(河盛好蔵訳)、『世界の名著 66』、中央公論社、1980年、所収、480頁〜481頁)。(ちなみに、発話に対比されるのは、発話の可能性の一般的制約としての〈言語)(langue)つまり慣習ないし規則の体系として記述できる記号システムである。〉
 詩のことばが既成の観念を表意しない点を、メルロはマラルメとともに強調する。逆に言えば、日常談話におけることばは人々が共有する既得の観念を表わす。この種の表意機能は外延指示の働き(denotation)であって、これを基礎とする言語理論はソシュールが批判するところとなった(『一般言語学講義』(小林英夫訳)、岩波書店、1972年)。詩的言語の問題から言語一般の記号機能へ展望を拓くには、当面、ソシュール言語学における〈言語記号の二重構造〉という概念が重要である。縷説する暇がないので、この眼目について最小限の説明しよう。
 ソシュールによれば、言語記号は記号表現(signifiant)と記号内容(signifié)が表裏一帯をなすひとつの構造体である。具体的にいうなら、前者が聴取された限りでの言語音すなわち聴覚映像(image acousitique)であり、後者は記号が担う内容としての概念(concept)である。メルロの『知覚の現象学』における言語存在論ソシュールと独立に構想されたのは確かだろうが、それ以降にメルロは積極的にソシュール言語学の概念と彼自身の思索との摺りあわせを試みている。ここで強調したいのは、メルロの言語存在論が、言語記号の二重構造というソシュール的概念を要請する、という論点である。
 彼によれば、人間の認知に先立つ名状しえない混沌(カオス)にたいして、人間の言語(ラング)がこれを分節化することでようやく世界(コスモス)が成立する。話す主体は、既成の実在的世界をその外部から観察するのでも、外界に多くの対象を発見しそれぞれを命名するのでもない。話す主体は、初めから、世界の内部に住みつつ、生活の営みによって世界の分節化を次第に緻密にしてゆく。――こうした言語観は、明らかに、メルロが独立に打ち立てた言語存在論と相当部分重なり合う。
 他方、メルロの言語観を「言語とは表情ある身体のしぐさである」というテーゼに要約できるだろう。このテーゼから、ただちに「ことばが意味をもつ」という命題が引きだされる。表情の意味はこの表情のうちに読み取られるのであって、表情の背後やどこか理念的空間に表情の意味あるいは表情の指示項(referent)を捜すのは無駄なやり方であろう。言語要素の意味機能は基本的に表情性なのである。言語以前の水準で表情性として生成した〈意味〉は、身体性が言語の水準に転換されたときも、表情性の様相をおびている。認知は感情として始まりいつまでも感情価をおびつづける。感情的痕跡が微塵もない純粋な認知という観念は極限概念としてしか成り立たないだろう。(ただし数学や論理の形式的概念については別途あらたな考察が必要となる。)
 このようにして、メルロによれば、言語表現は、それ自体、知覚=行動系としての人間の行動である。何のための行動だろうか。つまるところ言語とは、世界に分節を与え事物を事物として生起せしむる認識の行動なのである。このかぎり、詩人の言葉だけが認識を営むわけではない。私たちの言葉は、その初発の状態で捉えるなら、詩人の言葉と同等の認識力をもつはずである。
 言語行動が慣習に転化することで、世界の結構はより堅固になり、獲得した分節化(=カテゴリー化)を脅かす異類の到来にも耐えうるようになる。しかし、この習慣の守り(entrenchment)が異類の侵略を跳ね除けることができない危機的瞬間がやってくることもある。そのような場合、新しい言葉を新しい組み合わせで使用し、分節化を遂行する文化英雄が出現する。詩人とはこの英雄の一人にほかならない。
 この危機の場面に、科学者が文化英雄として登場することもあるだろう。詩も科学も、記号系の構造としては異なるとはいえ、認識のための記号システムである点に変わりないのである。

〈オブジェ〉の存在論のために

デュシャン 《泉》

 オブジェ・トゥルヴェ(objets trouvés)は、日常語としては「落し物」、「拾得物」をいう。美術の用語としては、自然のものであれ人工物であれ、藝術家が意図して制作したものではないが、それに何らかの美的価値をみとめて「拾いあげたもの」を意味する。――かたわらの美術用語辞典にはこんな説明が出ているが、これだけでオブジェ・トゥルヴェがどんなものかを理解できる人はまずいないだろう。
 オブジェ・トゥルヴェの命名者は未詳だが、よく似たジャンルの作品制作のさきがけとして言及されるのはマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887年〜1968年、アメリカで活動したフランス出身の美術家)であり、彼はこのジャンルをレディ・メイド(ready-made)と名づけた。彼は1917年に陶器製の便器に「リチャード・マット (R. Mutt)」と署名し、これに<泉>とタイトルをつけて美術展に出品した。ところがこの作品の展示を拒否されたという事件は後年周知のことになった。オブジェ・トゥルヴェのジャンルのレディ・メイドにはない特徴は、人工物に加えて、流木や石などの自然物を作品素材として認めているという点だろう。
 辞典の説明には「美的価値」への言及があるが、<泉>の便器を見てもどこが美的なのかは意見が分かれるところだし、デュシャン自身、必ずしもこの作品に美的価値を認めてはいない。その他もろもろの点で辞典の記述はあまりにも説明が不足している。
 メルロ=ポンティは、1948年にフランス国営放送で連続講演をおこなった。この講演で彼はシュルレアリストたちの〈オブジェ〉の思想をとりあげ、彼の身体性の哲学からその展開を試みている。このような議論は主著の『知覚の現象学』その他には見いだせない。その意味で、この連続講演はメルロ解釈のうえで貴重なテクストである。
 メルロの議論を理解するためには多くの考察を割かなくてはならない。しかし出発点を形づくるには、オブジェ・トゥルヴェを次のように押さえておけば十分である。すなわち、<オブジェ・トゥルヴェ>とは、アーティストが世界にあるあらゆる事物から個別的な事物を取りあげ、これを展示するとき、この行為が何らかの(積極的であれ消極的であれ)美的表現を構成するようなジャンルである、と。
 メルロは、この講演の中で、オブジェ・トゥルヴェについて、それを、私たちがときとして風変わりな熱情をおぼえ愛着する環境の要素だ、と発言している。これがオブジェ・トゥルヴェにたいする唯一の解釈ではない点に留意する必要があるだろう。そのうえで、メルロが言いたい真意についてもうすこし考えてみよう。
 シュルレアリスムを指導したアンドレ・ブルトンは制作技法として自動記述を提唱した。この技法によって得られたテクストにはふつうの散文とは異なる顕著な特徴がある。それは、この種のテクストがオブジェの世界を描いていることである(注釈(12)を参照)。それでは、シュルレアリストのオブジェへの関心と欲望はどこから由来するのだろか――こうした問いが問われるだろう。答えのありかを探るために、いささか大きな主題に言及することになるが、<藝術>という人間のプラクティス(慣習行動)の様態とその理解が、20世紀において、大きく転換した経緯にどうしてもふれなくてはならない。
 伝統的な藝術観によれば、藝術の営みとは、<主観>としての藝術家が自在に駆使できる技法をもちいて作品を制作することだとされる。制作は基本的に主観の意識的過程であり、所産としての作品は、その内容とともに客観として存在する。作品は何かを表意するかぎりで<表現>であるが、その表現の様態は、外的であれ内的であれ、何かしらの現実を再現することである。――古典的藝術観の骨格をあっさりと述べるとこんな風になる。
 さらに若干の補足をしておこう。藝術家が用いる技法について彼や彼女が完全にこれを統御することが理想であるのは違いない。だが、現実にはつねに技法の改善が試みられる。つまり藝術家がいつでも主体的に技法を遣いこなすわけではない。その理由のひとつに、技法と素材(絵の具、粘土など)とは一対のものなので、新たな素材が新たな技法を要求するということがある。
 それに制作が意識的過程だといっても、しばしば藝術家が不合理な霊感(インスピレーション)にみまわれる場合もあるだろう。だがこうしたケースは例外であるに過ぎない。現実の再現(レプレゼンテーション)に藝術の表現としての機軸をみるこの種の考え方だと、いわゆる幻想絵画や表現主義絵画などは、主観の内的な空想や情念の表出だということになろう。ちなみに、<現実の再現>と<表象>は横文字として同じrepresentaionの語であらわされる。
 しかしながら、20世紀の藝術活動は、こうした見方を覆してしまった。もちろん藝術家はいまも主観ないし主体であるだろう。しかし、メルロ=ポンティが詳しく跡づけているように、この<主観>が変身をとげたのである。人間が身体を具え世界に住むかぎりで、主観は対象を一方的にまなざす存在者ではもはやない。対象ないし現実が与件ではないからだ。現実とは主観の探究に応じて新たに立ち現れる<現象>にほかならない。
 メルロは、この講演において、「これらの探究はすべてシュルレアリストの試みから由来した」として、彼らの藝術運動に高い評価を与えている。彼らの表現技法に藝術をめぐる存在論的転回を確かめることができるだろう。自動記述については後日取り上げることにして、ここではコラージュやフロッタージュを紹介しそれらの方法論にふれてみよう。
 コラージュ(collage)は本来「貼ること」を意味するが、絵画制作の技法としては、写真、新聞紙、布きれなどを切り取って画面に貼りこむというやり方をいう。マックス・エルンスト(Max Ernst、1891年〜1976年、ドイツ出身のシュルレアリスムの画家、彫刻家)が、たまたま、古い銅版画の挿絵や商品カタログの図版、図鑑のイラストなどをながめていたときのことである。既成のあれこれの図版が幻覚のように自分にとりつき、それぞれの図版がたがいに結びついたり離れたりするのを感じた。そこでエルンストはそれらを切り取り糊で貼りあわせて作品を制作した。これがコラージュの最初の実験であるという(巌谷國士シュルレアリスムとは何か』、ちくま学芸文庫、2002年、75頁以下)。
 エルンストが既成の素材に加工して作品をつくったのではなく、素材がたがいに結びつくのを彼はいわば観客として見たのだ。彼があらかじめ下図を準備し、それにあわせて図版を貼りあわせたのではない。こうした事態が古典的藝術観では理解できない点を強調しておきたい。
 しかし彼にそのような光景を見るように仕向けた要因がある。少なくともこの要因が意識的主観のうちにないのは確かだろう。その所在をフロイトのように「無意識」というかメルロのように「身体」というか、その呼び名にはあまり意味がない。重要なのは古典的な〈主観〉が無力化して新たな〈主観〉が誕生したことである。
 フロッタージュ(frotage)もエルンストが発見した技法である。もともと「こすること」を意味するが、絵画技法としては、木目や布地や葉っぱなどの上に紙をおいて上から鉛筆などでこすって画像をつくることをいう。この場合も、画像を描いたのがエルンストの主観だとは言い難い。彼はただ鉛筆でこすったにすぎないのだから。むしろ主体としての彼は匿名の何ものかが創造する働きを補佐しつつ、創造の現場に立ち会ったのである。
 シュルレアリスムには一定の距離をとりつづけたマルセル・デュシャンを含めシュルレアリスムに与する藝術家たちに共有された方法論を〈デペイズマン〉(dépaysement)として集約しうるだろう。この言葉はブルトンが使用しエルンストが理論化に用いたが、de(除去、否定を表わす接頭辞)+ pays(故郷、国)からできた動詞dépayser(異郷に移す、違和感を与える)の名詞形である。コラージュやレディ・メイドがデペイズマンつまり「本来の環境から別の場所への転置」による技法であることは明らかだろう。
 フロッタージュも例外ではない。例えば、葉の形態は現物の葉に属する特性だが、それを紙にこすり取ることで別の効果を生むのだから、やはり場所の転置の技法だといいうる。デペイズマンが、原理的に、意識的主観が制御する方法ではない点が重要である。「手術台の上のミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい」という詩句(ロートレアモン『マルドロールの歌』)にシュルレアリストはデペイズマンの原理を読み取った。ここに出る〈偶然〉の概念が、メルロにとってと同様、シュルレアリストにとって本質的なものだった点を指摘しておこう。
 結局、これらの技法は単に既成の世界の対象を作品化するためのものではなく、世界を新たに見直すことを学ぶ手法であった。メルロ=ポンティによれば、そのつどの知覚は〈世界を新たに見直すこと〉を内包する。知覚とは知覚しなおすことである。この意味で世界の知覚は世界の構成だといってもいいが、むしろそれは知覚の領野に世界が現出することへ立ち会うことなのだ。
 メルロに言わせるなら、シュルレアリストはこの種の知覚の方法的パフォーマーである。知覚の遂行によって彼らが発見する事物を、彼らはまことに素っ気なく〈オブジェ〉(objet)と命名した。これは哲学用語としては「対象」、「客観」をいう。
 こうしてみてくると、メルロ=ポンティの主張を――シュルレアリストの論理をさかのぼる形で――〈オブジェ〉の存在様態が〈対象〉ないし〈客観〉(objet)の本来の様態である、という言明に要約しうるのである。

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)

シュルレアリスムとは何か (ちくま学芸文庫)

言語の実像をつくり直す

namdoog2011-02-16

――レトリック探究が哲学の現在の営みにとってどうして重要なのか――

   草稿『日本認知言語学会論文集』に掲載予定

1 伝統的言語学はレトリックを扱えない 
 ここで私たちがおこなう予定でいるのは、〈言語の意味〉の観点から、旧来の言語観を問い質すことをつうじて、然るべき新たな〈言語〉の原像をつくり直すことである。たとえその彫像を仕上げるのが叶わぬとしても、少なくとも、原像の輪郭だけは明らかにしておきたい。従来、伝統的言語学(1)に伴走するかたちで言語探究にたずさわってきた試みはいく通りもあるが、私見ではとりわけレトリックが示唆的である。
 古来よりレトリック(弁論術・修辞学)は、ロジック(論理学)とならび言語探究をになう学科として、カリキュラムの重要な一翼を担ってきた。話し言葉と書き言葉の違いを問わず、レトリックとは、内容を伝えることで役目を終える日常的言語のためではなく、生き生きとした効果をもち、読者や聴衆から〈説得〉をひきだす言語活動のための技法であった。
 古典的レトリックが言語研究にとってじつに有益な遺産であることは、伝統的言語学において、永いあいだ無視されてきた。しかしながら、ようやく20世紀も押しつまった頃、この遺産に対して、現代的な見地から――たとえば、認知意味論や認知心理学、あるいは関連性理論やコミュニケーション論などから――新しい息吹を吹き込もうとする気運が高まりをみせ、この動向はいまに継続されている。この機運に掉さす言語探究を総じて〈レトリック論〉(rhetorical studies)と呼ぶことにしたい(2)。
 レトリック論に多少とも馴染んだ読者は、そこに含まれた種々の研究が伝統的言語学と折り合いをつけられそうもないことに気づいて驚愕するのではなかろうか。実際、レトリック論者は――意識してか無意識かは問わず――伝統的言語学に抱かれた〈言語の存在了解〉に異議をつきつけ、言語探究に携わる者に〈もう一つの言語観〉を構築するよう強く促している。
 レトリック論と伝統的言語学の相克をあきらかにするために、一例として「アイロニー(irony)の解釈」という言語理論上の問題をとりあげてみよう。いったい言語主体(話し手)はどのようにしてアイロニーを解釈しているのだろうか。
早速ながら、レトリック論の見地から、アイロニー解釈について所見を述べよう。アイロニーが聞き手によって、ああ、これはアイロニーだなと了解されるのは(もちろんそれに気づかない暢気な聞き手もいるが)、言語表現としてのアイロニーが〈表情ある身ぶり〉だからである。この命題がただちにあらゆる言語表現に敷衍される点を看過してはならない。あらゆる言語表現領域にとってアイロニーはその部分的領域である。しかしアイロニーは、言語の定性分析のための標準サンプルなのである。
 アイロニーを解釈する過程はいくつかの局面から成っている。アイロニーを向けられた聞き手は、最初に、その表現が字義的なものではなく何らかのレトリックであることを察知しなくてはならない。次いで、聞き手はそれが(修辞的表現のタイプとしての)アイロニーであることを把握しなくてはならない。以上の解釈過程はもちろん無意識的にはこばれるが、いずれにしても、聞き手は、表現にそなわる〈アイロニー信号〉を捉える必要がある。
たとえば、昨夜の天気予報にもかかわらずひどい雨降りになった翌朝、空を見上げて「なんていい天気なんだ!」と吐き捨てるように言う。この発言の真意を聞き手が知るためには、発言そのものが演じてみせる表情(それはすでに身ぶりに延長されている)をキャッチするほかはない。
 しかし驚くべきことに、この種の〈アイロニー信号〉を伝統的言語学は無視するか他の言語学的部門――パラ言語学(paralinguistics)――に丸投げする。なぜなら、アイロニー信号の要素をなす音調(tone)、ピッチ(高低pitch)、抑揚(intonation)、ノイズ、笑い、などには認知的価値がない――換言すれば、言語の論理形式に関係がない――として伝統的言語学の視野から排除されるのが約束だからである。
 ちなみに、〈アイロニー信号〉とここで呼ぶのは、アイロニーに特有な声調その他の表現上の特徴のことである。かつてある言語学者がこの種の特徴の存否について疑義を述べたことがあった。しかしながら言語表現の解釈が何重もの同一化を含む認知過程だとすると、アイロニーのみならず、レトリックのおのおののタイプに然るべき標識が具わるのは理論上明らかではないだろうか(3)。

2 談話と論理形式
 ここで私たちは〈論理形式〉(logical form)という考え方について多少とも明らかにしておかなくてはならない。この概念を異論の余地のないほど厳密に規定するのはやさしいことではない。だが少なくとも、この種の概念を形成する理論上の動機は明らかだろう。
 たとえば日本語の話し手は、日本語でなされた発話の内容の間に「論理的」つながりがあるという暗黙の理解をもっている。だからこそ、ある主題について他人と真面目に議論する気になるし、議論の甲斐もあるというものだ。だが日常談話の実情をよく観察すると、発話の流れがつねに「論理的」になされているわけではないのも確かである。会話の流れはしばしば飛躍したり横道にそれたりする。それにしても、談話(discourse)に対しては、控え目に言って、〈全体として論理的に辻褄があっているほうがいい〉という要請が課されている。この要請がどの程度の強さをもつかは、談話のタイプにもよる。たとえば、科学者の講演にはこれが強く要請されるだろう。
 さて論理学者はこの「論理的つながり」を〈含意〉(implication)として術語化する。ある言語Lの文aが、Lの他の文の集合Xから導かれるとする。このような文の関係性を論理学においては〈LにおいてXはaを含意する〉と表現できる。ではいったい言語使用の問題として、〈含意〉をどのように説明したらいいのだろう。
次のように言っても間違えではないだろう――もしLの話し手がXの要素であるすべての文を受け入れる(これはおのおのの文を理解すると同時に〈その文が真である〉と想定するということであって、真だと信じることではない)なら、文aをも受け入れるのにやぶさかではないだろう、と。(もちろん、この話し手は、健全な言語知識の所有者でなくてはならないし、記憶も正常でなくてはならない。)
 話し手が文aを受け入れた根拠のすべてが、文の集合Xを受け入れたことだけにあり、この場面に文の受け入れ以外の何か経験的根拠が介在する余地はないという点が重要である。(たとえば、文aを受け入れるやすくする何か心理学的理由や経験的で統計学的な根拠などは関係しない。)話し手がまずある文の集合を受け入れたとして、ここに含まれた各文と新たに受け入れた文aとの間になりたつ純粋に「構造的関係」だけが問題なのである。
 論理学は言語にそなわる純粋な形式的で構造的な関係だけを調べる学科であるが、以上の論理学的観察を援用しながら、談話における〈論理形式〉をひとまず次のように規定できるだろう。Lの文aの論理形式とは、論理学Sによってこの文に指定された一定の式のことである、と。この場合、論理式を文に指定する関数fは次のように規定される。fの独立変数の集合はL、従属変数の集合はSであり、Lの文aとLの部分集合Xにとって、f(a)とf(X)を得たとき、f(a)はf(X)の〈帰結〉である。
 つまり〈論理形式〉とは、言語の文と文とが論理的つながりをもつ根拠であるところの、文がそなえる形式(内容にはかかわらない)のことである(4)。私たちにとっての関心事は、この〈形式〉とはなにか、これをどう捉えるかである。

3 プロソディーと論理形式
 伝統的言語学においては、言語学と論理学のたがいの関係について突きつめた考察が不足していたのではなかろうか。言語学者は論理学には一応の敬意を払いつつ、論理学の領分に足を踏み入れて言語探究のための糧を獲ようとはしなかったように見える。反対に、論理学者は、20世紀の論理実証学派のように、日常言語ないし自然言語を(論理的に)不純で不完全な言語と貶める風が顕著であった。しかしながら、日常言語のあらゆる「構造的関係」を果たして標準的な論理学(第一階の述語論理 first-order predicate logic)――〈第一階〉とは、量化が個体変項だけに及ぼされ、述語変項を束縛しないという意味である――で表現しうるとは思えない。ここで詳しく述べることはしないが、レトリックはその有力な反例である(5)。両者を折衷した中間地点に立脚するのがチョムスキー学派の言語学ではないだろうか。チョムスキーは言語の構造を論理学で表現できるとは考えなかったが、にもかかわらず、変形文法をアルゴリズムとして構想したのである(6)。
 発話行為論によれば、一般に発話は、真理値を担うことのできる「確言」(constative)タイプの発話(オースティン)のほかに疑問や命令といった多種多様な「実演発語」(performative)からなっている。発話のごく荒っぽい構造をサールが〈発話内の力+命題形式〉と分析したことはよく知られているが、述語論理には発語内の力がそのままの形では組み込まれていない。
 この空白を満たすために直ぐ念頭に浮かぶアイデアは、あらゆる発話を遂行された行為を反射的に示す動詞を使用して確言タイプの表現に変換するやり方だろう。このようにして、発話の論理形式を明らかにできないか。たとえば、「部屋からでてゆきなさい!」という〈命令〉は、「話し手は聞き手に出てゆくよう命令する」という具合に書き変えうる。この変換が首尾一貫してすべての発話行為文に対して行使できたとしよう(できると裏づけがあるわけではないが)。ところがここに立ちふさがるのがレトリックなのだ。
 アイロニーはまさしくこのやり方から取り残される表現の例である。なぜなら、繰り返すことになるが、アイロニー信号の要素をなす音調、ピッチ、ノイズ、笑いなどが言語の〈論理形式〉の形成に寄与するはずもないからである。実際、アイロニーを字義的表現に意訳することができるだろうか。だが意訳された表現はアイロニーの面目を喪失しているだろう。
 たとえば、「なんていい天気なんだ!」を「話し手は、t1における天気予報を担当したキャスターを、予報がはずれたことを理由にして、t2において批判して皮肉をいう」と意訳でしたとする。だがここにはアイロニーの効果はまるで失われている。「〜と皮肉を言う」という発語はそれ自体ぜんぜん皮肉にはなっていないのだ。しかしながら、アイロニーアイロニーたるゆえんのもの、つまりアイロニー効果は表現の認知的価値の一部(論理形式)の要素をなすはずではなかろうか。
 こうして真に検討されるべき問題が浮上する。すなわち、音調・ピッチなど〈プロソディー〉(prosody)と一括される音声学的要素は本当に〈論理形式〉に効果を及ぼすものだろうか。
ただちにイエスともノーとも言えない。一つには、〈プロソディー〉の境界画定の基準が分明ではないという点がある。第二に、たとえ境界画定がなされたとしても、「文脈規定性」がここに関与する事実を認めなくてはならない。換言すれば、ある言語音(分節音)の機能的生成に際して、文脈上ノーマルな音素設定のメカニズムが作動しないことがあり、それでも聞き手は言語音を聴取する以上、ノーマルな場合であれば〈プロソディー〉として音素規定力をもたない音声の実質が意義をもつにいたる。この現象が〈プロソディー〉と〈分節音〉とがある意味で連続的であることを示している(こうして、議論は第一の論点へ再帰してゆく)。
 心理学的用語で言い直すと、〈プロソディー〉の問題とは、〈感情と知性の区別は絶対的であるかどうか〉という問題でもある。アイロニー効果とは感情の表出がもたらす効果のことである。たとえばそこでは〈侮蔑〉や〈忌々しさ〉という感情が吐露されている。これらの感情は認知的価値をもたないのだろうか。知性的表現が認知的価値をもつという意味ではもたないとしても、別の意味では十分に認知的でありえるのではないか。(少し飛躍した言い方になるが)ある風景を「陰鬱なもの」として感情価につつんで把握することは、この風景の知覚を構成する対象認知(たとえば、そこに川が流れているという知覚)と遜色のない認知の営みではないのか。
 認知に関する〈感情と知性〉の二項対立が相対的妥当性を有することは認めつつも、それを絶対化してはならないと私たちは考える。感情に認知的力能が具わるのは明らかであり、その実現の様態を解明すると同時に、二項対立の成立条件を究明しなくてはならない。

4 パラ言語学言語学の一部である
 当今の標準的な言語探究は、〈パラ言語〉なり〈プロソディー〉をどのように捉えているのだろうか。最近、情報科学やコミュニケーション研究などの分野で〈パラ言語〉への関心が高まっているという印象をもつ。少しばかり文献にあたると、研究者たちが異口同音に〈パラ言語〉に以下に引用するような説明を施しているのがわかる。「会話は言語情報の伝達だけを実現しているわけではない。音声言語に付随した声質、表情、身振りなどに発話者の態度、状態などが現れており、これが伝達されることではじめてスムーズな会話が成立する。このような言語情報以外で言語情報の伝達を促進するのに機能する情報はパラ言語情報と呼ばれる。」
 私たちが問いたいのは、言語情報/パラ言語情報、という二分法がはたして正しいかどうかである。すでに披瀝したように、私たちは言語の原像を〈表情をともなう身体のしぐさ〉と想定している(7)。当然ながら、言語の存在論的資格はモノではなくコトである。即物的な言い方をすれば、(音声言語に関しては)発声器官を遣い呼気を吐き出すことで言語音をつくりだす身体運動である。そのかぎりで、言語はさしあたり身体運動と(言語音ないしそれ以外の)音声との二重構造として捉えることができる。
 ポヤトスが指摘するように、私たちは〈純粋な言語〉を他の表現の厚みと切り離して取り出すことはできない。発話の場に見出されるのは、言語(language)−パラ言語(paralanguage)−身ぶり(kinesics)という、〈言語の基本的三重構造〉(the basic triple structure)であり、三重の表現が綯い交ぜにされた〈厚みとしての言語〉なのである(8)。
 〈三重構造〉の三つの層を結びつける線(結節線)が全体としての言語に分離を持ち込むのではなく、むしろシームレスな統合を実現するように働いている点を看過すべきではない。言語はいつまでも身ぶりであり続けるのだし、身ぶりもいち早く言語として機能している。そしてパラ言語は、言語的属性を顕著に担うかぎりでいわば言語の原始的様態を示している。この意味で、パラ言語は〈プロト言語〉であるとさえ評しうるだろう(9)。
言語的実演(performative)としてのレトリックがパラ言語――詩歌における音数律や音韻律などのリズム、修辞疑問における抑揚、笑いなど――を重用するのは当然のことである。
 上に掲げた引用では工学的観点から説明がなされているために、〈情報〉(information)のキーワードが説明中で繰り返されている。この用語法はある意味で適切である。なぜなら、このキーワードを〈意味〉(meaning)や〈表現内容〉(signifiant)あるいは〈記号内容〉(signifié)などにいつでも代置できるとは限らないからである。〈意味〉は〈情報〉であるが、〈情報〉は〈意味〉であるとは限らない。
 そこで、〈情報〉について誰しもが合意できる厳密な定義があるかどうか知らないが、ここではさしあたり情報を〈目だって有意な差異〉(perceptibly relevant difference)という概念で規定しておきたい。(perceptibly relevant は冗長な措辞である。端的にまた単純に〈差異〉でも本来は十分であろう。しかし理由のない物理主義や客観主義が横行している現在、殊更に主観的表現を選ぶことに意義があると思える。)さらに〈意味〉は〈記号内容〉の同義語では必ずしもないから、その意味でも〈情報〉の使用は安全でもあり便利でもある。
 情報は人の目をひき、耳をそばだてさせるだろう。注意の向けられるものは情報をになっている。パースはここに記号の指標性(indexicality)を認めた。たとえばコップが割れて床に破片が散乱しているとする。この知覚内容には〈目だって有意な差異〉が帰属している。床にガラス片が散らばっていることは尋常ではない。それゆえに私たちの思念は、指標性に導かれつつ、このコップを床に落としたという人称的出来事に向かうだろう。人は、いつ・どうして・誰が落としたのか、という疑問をいだく。そしていわば複数の変数をかかえた事態の解を求めようとする。床の上に与えられたのは、〈指標〉(index)であり〈手がかり〉(cue, hint)であり、つまりは情報(information)なのである。
 アイロニーに戻ろう。さきに、「なんていい天気なんだ!」を「「話し手は、t1における天気予報を担当したキャスターを、予報がはずれたことを理由にして、t2において批判して皮肉をいう」と意訳してみたが、ここには元のアイロニーのになう情報が跡形なく失われている。先にこれを「アイロニーの効果」と呼んだのである。この意訳がやったのは、〈三重構造の厚み〉をそなえたアイロニーを一重の薄っぺらな離散的な表現形式(記号表現signifiant)に平板化したことにすぎない。
 デジタルな言語表現(ソシュールのいう線形linearな記号表現)に工夫をこらして、いまどきの人のように、顔文字を遣ってみたら、

t1における天気予報を担当したキャスターの予報はt2においてはずれたことが判明した、そして話し手は、(w(・0・☆)wウゥ・・、(≧ヘ≦) ムゥ

が得られるだろう。この方がよほどましではないか。
 この観察からはさらに次のような観察が導かれる。〈音声言語に付随した声質、表情、身振りなどに発話者の態度、状態などが現れている〉という確認から、〈このような言語情報以外で言語情報の伝達を促進するのに機能する情報はパラ言語情報と呼ばれる〉という結論を引き出してはならない。この推論には予断や飛躍が介在するからである。
 〈発話者の態度〉を表す記号表現は発話の構造の中へ統合することができる。その限りでこの記号表現はまさに〈言語情報〉を担うのである。逆に言うと、〈言語情報以外で言語情報の伝達を促進するのに機能するパラ言語情報〉なる独特の〈情報〉を想定する理由はない。

5 情報はデジタルとアナログの二形式をとる
 パラ言語は基本的に分節音ではない。この違いは程度の差ではなく、種類の差である。一般に、論理形式をつねにデジタル(離散的descrete)だと決めつける理由はなにもない。認知言語学の領域で提唱されている〈比喩的写像〉(metaphorical mapping)(レイコフ)や〈イメージスキーマ〉(image schema)(ジョンソン)また〈参照点〉(reference point)(ラネカー)などの概念は実態としてアナログである。これら認知言語学の知見はいまだに伝統的言語学の妥当な知見と統合されないまま放置されている。
 他方で、言語における指標性(indexicality)の研究あるいは音象徴(sound symbolism)の研究も進みつつあるが、これも伝統的言語学には統合できていない。(筆者が見落としている――本報告の主題に結びつく――他の言語学上の知見があるという想像が充分に可能である。)
 日常的に人間はこのデジタルとアナログと二種類の媒体を随意に用いている。たとえば、書記言語(書き言葉)の記号表現の構造は(おおむね)デジタルであり(ただし筆跡などが問題になればアナログにもかかわる)、ふつうの絵画はアナログである。デジタル/アナログという二分法を遣って言い直すと、言語音の成分である分節音はデジタルであり、もう一つの成分であるパラ言語的要素ないしプロソディーは基本的にアナログである。
 さて、言語音は、分節音と非分節音――後者を誤解のない限りで〈音声〉と呼びたい――との統合態である。(しかもそこに本来の身体運動が連結している。)言語音が言語的情報を担うのは、定義からして、当然のことである。そして例証したように、分節音だけではなく、音声もまた言語情報の担い手として機能するのである。こうして、本来の〈言語情報〉は〈パラ言語情報〉には対立しない(10)。
 後者もじつは〈言語情報〉に数えることができる。それというもの、ある発話が他の発話と「論理的つながり」を保つことを支える原理が発話の〈論理形式〉だとすれば、いわゆる〈パラ言語情報〉も立派にこの論理形式の要因として作用しているからである。それでは言語の原像について、その論理形式をいったいどのようなものとして構想すればいいのか。

6 ハイブリッドの論理形式 
 私たちは、繰り返しになるが、〈言語〉を(従来の意味での)言語-パラ言語-身体運動の三つの層からなる〈構造的厚み〉と捉える。このパースペクティヴのもとでは〈言語音〉は〔分節音+プロソディー+身体運動〕という構成を具えたものとして出現する。
 ここで〈プロソディー〉と名づけられた構成要素は、一方で(伝統的言語学詩学で調べられてきた)韻律・声調・ピッチ・イントネーションなどを含むとともに、(伝統的言語学が、認知的価値がないとして顧なかった)ノイズ・音の質・沈黙などを含み、さらにまた(言語表現に有意な寄与を果たす限りでの)表情や姿勢などの身体運動的要素をも含んでいる。
 言語音がデジタルとアナログとのいわば雑種であることは、論理形式の様態に関して、理論的可能性として三つの場合があるという予想をもっともらしいものにしている。すなわち、(1)言語音の異質な構成にもかかわらず、論理形式が離散的構造をしている場合、(2)逆に、論理形式が全体としてアナログである場合、(3)言語音の異質な構成に見合って、論理形式もやはりハイブリッドである場合――この三つの可能性が考えられる。
 ざっと考えただけでも、(3)の可能性は乏しいと思える。すなわち、アナログな表現をデジタルなそれへと還元することは、チューリング機械の内的状態としてはありえても、人間の経験裡における〈論理形式〉としてはありえない気がする。画家が描く絵画は明らかにアナログである。確かにこの絵画をコンピュータ画面上でデジタル映像として再現できるにせよ、しかしながら、それを私が知覚するときの様態――知覚された限りでのデジタル画像――はアナログでしかないだろう。
 また、(2)の可能性も考えにくい。計算(たとえば、2+3=5)を行なうとき、(数式を口にしながら生起する)言語経験にそなわる形式がデジタルではあり得ないとする理由をいま思いつかない。逆に、それがアナログなら、具体的にそれをどう表記すればいいのか。 (この〈表記〉(notation)は認知科学でいう〈表現〉(representation)とほぼ同じであるが、実質的な記号の形態を考慮した言い方になっている。)
 こうして、(3)の可能性がにわかに浮上してくる。ある意味で(3)の考え方は魅力的だと言えるかもしれない。ハイブリッドエンジンを搭載した車はエネルギー効率がいいという意味で優れている。人間の思考の機構がこれに類似したものであっていけないことはない。このオプションが妥当かどうかは経験科学にゆだねられるべき問題である。近年の認知言語学による知見はこの見地を裏書きする「経験的資料」を蓄積しつつあると言いうるのではないだろうか。
 ここで〈生成〉の問題軸をもちこむと展望がよほど明瞭になるような気がする。すなわち、人間が、系統発生のある段階で〈言語を話す動物〉(homo loquens)として出現したのが事実だとして、言語の発生そのもののうちに、論理形式がハイブリッドとなったことの事情なり根拠があるに違いない。これは、人間における言語音の生成の問いそのものである。
 (ひとつの可能性として)きわめて図式的な整理にすぎないが、プロソディーにほぼ相当する原言語(プロト言語)がアナログだった状態からそれがデジタルなものを取り込むようになった発生段階が想定される。このようにして、デジタル構造の発達はアナログなものを消去するのではなく、むしろアナログ構造に補佐されつつ人間において高度な発達を遂げたのではなかろうか。

〔注〕

(1) ここで〈伝統的言語学〉と呼ぶのは、おおむねソシュールが礎石を据えた以後に展開された言語学をいう。もちろんそうは言っても、現に行われている優勢な言語学には幾とおりも種類があり、一概にそれらをひとからげに評価するわけにはゆかない。しかしソシュール言語学が創出し提示した〈ラング〉(langue)としての言語、つまり〈言語記号のシステム〉(système de signes linguistiques)としての言語、という了解はそれらの言語学に共通していると見てさしつかえない。さらに細かく見ると、たいていの言語学が、言語の音声部門を分析する音韻論(phonology)、言語要素を結合し変形して文を生みだす構文論(syntax)、言語の意味を扱う意味論(semantics)という三つの分析レベルを〈言語システム〉――〈言語記号のシステム〉の略である――に対して設ける点でも共通している。その後、言語の運用を調べる〈語用論〉(pragmatics)の分野が著しく発展したが、レトリック論はここに接点を有している。

(2) レトリックが言語探究(言語哲学言語学など)にとって真の問題系をなすことを真面目に受けとめ、レトリックの形態としての〈隠喩〉を言語像の復興の問に堅く結びつけて多面的に議論した、拙書『メタファーの記号論』(勁草書房、1985年)を参照。伝統的言語学がレトリックを無視(あるいはその擬態)してきた経緯にも触れている。また、〈レトリック論〉という用語法については、菅野盾樹編著『レトリック論を学ぶ人のために』(世界思想社、2007年)を参照。

(3)「アイロニーにはアイロニー信号が付属している」(ヴァインリヒ)という観察を多くの言語学者が述べている。これに反対して安井稔は、アイロニーに特有の声調などはないという。アイロニーの解釈理論については、拙書『新修辞学』(世織書房、2003年)、Ⅲ部:アイロニー論、を参照。

(4) Stanosz,‘Logical form,’ in Witold Marciszewski(ed.), Dictionary of logic as applied in the study of language : concepts, methods, theories, M. Nijhoff , 1981を参照。

(5) 隠喩にせよアイロニーにせよ、それらの解釈は(その発話がなされる)文脈依存的である。レトリックを構文論プラス意味論だけでは構成できない。重要な論点は〈文脈〉が言語にとって所与ではないことである。レトリック論はすべてこの点の確認からスタートした。拙書『メタファーの記号論』、とくに第四章、参照。また拙書『新修辞学』、第1章:レトリックの思想、を参照。

(6) 数学では、ある特定領域の任意の独立変数に対してある関数の値(従属変数)を決定するための機械的手順をアルゴリズムという。たとえば、二つの自然数の和を求める(つまり加算)、あるいは二つの整数の最大公約数を見つけるためのアルゴリズムがある。アルゴリズムによって作動する自動機械をオートマトンという。オートマトンは現物としてはコンピュータであり、理論としては計算機構の数学的モデル一般のことである。チョムスキーの変形生成文法が、チューリングマシンと並び、オートマトンに形式的に等価であるのが知られている。

(7) 私たちが依拠する言語存在論をほとんど自力で提示した功績は現象学メルロ=ポンティに帰せられる。彼は『知覚の現象学』(Phénoménologie de la perception, Gallimard, 1945)において言語の原像を「言語とは表情ある身体のしぐさである」として描き出した。このテーゼから、ただちに「ことばが意味をもつ」という命題が導かれる。表情の意味はこの表情のうちに読み取られるのであって、表情の背後やどこか理念的空間に表情の意味あるいは表情の指示項(referent)を捜そうとしても無駄であろう。言語要素の意味機能は基本的に表情性なのだ。言語以前の水準で表情性として生成した〈意味〉は、身体性が言語の水準に転換されたときも、表情性の様相をおびる――このような主張は、旧来の言語探究(言語学言語哲学記号論など)の根本的見直しの要請を含んでいた。実際、認知意味論者レイコフやジョンソンはメルロ=ポンティ哲学の影響を自認している。

(8) Poyatos, F. Paralanguage: Interdisciplinary Approach to Interactive Speech and Sound, John Benjamin, 1993.

(9) ただし、言語音の生成という問題が残ることに注意を促したい。これについては、菅野盾樹・近藤和敬「言語音の機能的生成――言語が裂開するとき」、『大阪大学大学院人間科学研究科紀要』、33号、2007年、pp.39-78、を参照。
(10) 音の質によって、言語とパラ言語とは確かに対立する。この場合、音のゼロ度すなわち〈沈黙〉も音の質に数えうるし、数えなくてはならない。〈沈黙〉も立派な言語要素なのだ。誰でも経験上知っているように、沈黙はある場合まことに雄弁である。しかし伝統的言語学も論理学も、〈沈黙〉が表現の論理形式に寄与するとは考えてこなかった。表現の学であるこれらの学問の限界がここにも露呈している。

臨床的眼ざしの誕生――医療の記号論

namdoog2011-02-08

〔本稿はかつての草稿に推敲を加えた改定版である。〕

記号学/記号論の構想は<医療>をとりこめるか

 医療という社会的実践そのものが、パースのいう意味での記号過程(semiosis)にほかならない。この認識を多くの人はまだ共有してはいないようにみえる。たとえば緩和医療をとってみよう。多くの人は、医療のある特定分野としての「緩和医療」をなかば認識的でなかば技術的な実践の過程として捉えつつそれが実在するのを当然のこととして想定している。その後で、この過程を言説の舞台とした、この種の医療についての記号過程(会話やコミュニケーションなど)が成り立つ、と捉えているようなのだ。
 ソシュール記号学の構想をいまいちど想いおこす必要がある。講義のなかで記号学についてソシュールが述べたことばをいささか長くなるが引用しよう。


(…)ラングはひとつの社会的制度であるが、これは他の政治的制度、法律制度などとはいくつかの特徴によって区別される。その特殊な性質を理解するには、あらたな秩序の事実を持ち出さなくてはならない。ラングは思想を表現する記号体系であり、この点で、文字や指話法(alphabet des sourds-muets)や象徴的儀礼、礼儀作法、軍用記号などと比較されうるものである。ただ言語はこれらの体系のうちもっとも重要なものである。そこで、社会生活のさなかにおける記号の営みを研究するような科学(une science qui étudie la vie des signes au sein de la vie social)を想像することができる。それは社会心理学の、それゆえに一般心理学の一部門をなすだろう。われわれはこれを<記号学>(sémiologie)(ギリシア語のsemeion「記号」から)と呼ぼうとおもう。それは、記号が何から成り立ち、どんな法則がそれらを支配するかを教えるだろう。それはまだ存在しない科学である。(…)言語学はそうした一般的科学〔=記号学〕の一部門に他ならず、記号学が発見する法則は言語学にも適用されるに違いない。後者はこうして人間の現象の総体のうちでよく定義された領域に結び付けられることになる」(『一般言語学講義』(小林英夫訳)、岩波書店、一九七二年、三三頁) 。
 この構想には曖昧な点やいまでは承服できない観念も混じっているが、明らかなのは、「ラングがひとつの社会的制度」だということ、さらにラングとの類比において言語を含めたいっそう広範な記号システムを構想しうること、さらに「社会生活のさなかにおける記号の営み」を研究する科学を「記号学」として構想可能だということ――これらのソシュール的論点である。
 もう一人の記号学を創設した大立者であるパースの場合はどうだったか。ある論者が指摘するように、「パースにとって、対話プロセスとしての記号過程という観念は、彼の思想の中心をなしていた。記号はそれを解釈する者なしでは存在せず、記号論的コードは、当然ながら社会的慣習である。」(Daniel Chandler, Semiotics for Beginners, Routledge, 2004, ‘Criticisms of Semiotic Analysis'.)ここにはソシュールと同じ趣旨の構想が認められる。
 <医療>が社会的実践(知識と行動のシステム)であるかぎり、記号学は当然ながらこれを研究対象にする。しかしこのことは、<医療>の存在様態が記号学的であることをただちに意味するわけではない。もちろん<医療>は言語や記号とかかわりをもつ。診察室で医師は問診をおこなうし、看護師にことばで指示するなど、言語行為が<治療>を構成する重要な要素となっている。あるいはレントゲンなどの画像診断は記号解釈の問題にほかならない。そのほか医療のあらゆる局面で各種の記号システムが介在することは明らかである。
 しかし繰り返すなら、<医療>に多種多様な記号過程が介在することと、<医療>そのものが記号過程である、ということはべつである。後者の見地を確立するためには、「あらゆる社会事象は人が生きる環境ないし情況の内部から遂行される当事者の認識技法を通じて生成する」という視点が必要である。そして実際、ソシュール=パースの記号学の伝統にはこの要請がともなうのだ。

徴候への眼なざし

「記号」(Σήμειω; sēmeion)にかかわる用語法がヘレニズムの伝統に初めて現れたのは、紀元前4世紀におこなわれた医療の文脈においてであったといわれる。実際に、「医聖」の名を贈られたヒポクラテス(Hippocrates , 459-350.B.Cあるいは460-377.B.C.)の文書に「記号学」に相当する語(Σήμειωτική )が見いだされる。彼はそれまでの呪術と区別がつきにくい治療技法を実証的観察と理論の基盤のうえに打ち樹てた人物として知られている。この場合のΣήμειωとは病の「徴候あるいは症状」(symptoms and symdromes)のことである。言い換えれば、Σήμειωτικήは、文字通りには「徴候学」(semeiography)あるいは診断学(pathognomy)を表わすことばだといえよう。こうして、「記号」が「徴候」として実現したことは、医療実践にたずさわる主体が、現象学メルロ=ポンティのいう<知覚物>(le perçu)――つまり患者の行動や身体の状態――をまさに<徴候>として眼ざすことできるようになったことを意味する。
 徴候を眼なざす視覚の成立は、<診断>という医術的実践が生成する条件である。この眼なざし(=記号学的機能)が成立する以前には、<診断>なるカテゴリーはなかった。ところで、日常的知覚は、煙という徴候から、火が燃えているという事態の認識を引き出すだけではない。徴候の知覚には、将来生起するかもしれない事態への認識がともなっている。たとえば、いまのところ草原のある小部分にくすぶっているだけの火は、放置すれば草原一面を焼き尽くすかもしれない。この記号認識をふたたび医療の平面にもちこんでみよう。言うまでもなく、われわれが得るのは、患者の<予後>についての認識である。この種の記号認識の総体を<医療>という実践領域に対応づけるとき、明らかに<治療>というカテゴリーが得られるだろう。

指標記号とエスノメソドロジー

 <徴候>に関する重要な問がまだ問残されている。どのようにして徴候のさまざまな形態からとくに「病気の」徴候が選り抜かれたのか、あるいは<症状>や<症候>(symptoms and symdromes)のカテゴリーはいかにして可能なのか。
パースの記号分類に従えば、徴候は<指標記号>(index)の典型である。指標記号とは、「それがある個体のかたわれであることに、その表意的特性の根拠があるような表意体(representamen)である」(Collected Papers of Charles Sanders Peirce, 2.283; ちなみに「表意体」は「記号」signの別名である)。
 ここで「かたわれ」(second)と呼ばれたものは、ある個体のいわば過剰部分である。たとえば「風見鶏は風の方向の指標記号である」(2.286)。なぜなら――と、パースはいう――第一に、風見鶏が風と同じ方向を実際にとり、その二つの個体の間には現実の結合があるからであり、第二に、われわれは一定の方向を指す風見鶏を見ると、それがわれわれの注意をその方向に惹きつけ、方向が風に結びついてことを了解せざるを得ない――そのようにわれわれ人間ができているからだ(ibid.)。
 ある方向に流れる風があることは、風見鶏という道具(風のかたわれ)があることを必然的に含意するわけではない。その限りでこのかたわれはある個体の真正な部分ではなく(もしそうなら、両者の結合には論理的な必然性があることになってしまう)、単に「過剰な部分」にすぎない(この意味で両者の結合には物理的な必然性しかない)。
 しかしながら、すべての徴候が<症状>であるわけではない。徴候は天候、景気、戦乱、地震などの天災など、さまざまな出来事を表意できるのだ。徴候がとくに病気や健康の文脈に排他的に出現するには然るべき理由がなくてはならない。
この「理由」は<眼なざす>という身体技法に求められなくてはならないだろう。たとえば、風見鶏を眼なざすときの暗黙知(身体技法)と皮膚に出現した発疹を眼なざすときの暗黙知とはいわば専門を異にしているのだ――この確認と同時に、医療の記号学的考察は医療の社会学と切り結ぶことになるだろう。社会学サイドからの試みとして、ガーフィンケル(H. Garfinkel)に始まるエスノメソドロジーethnomethodology)をあげることができる。
 「エスノメソドロジー」とは何か。ethnoという語は、ある社会のメンバーが彼の属する社会の日常的知識をいつでも使用できることを意味する。とすると、たとえばethnobotany (民族植物学)とは、ある社会のメンバーが植物を主題とする事柄を扱うための方法論(認識システム)に相当する。人類学者のように、他の社会から来た外来者には、この種の方法論はまさに植物についての認識であり、社会内部のメンバーにとっては、ethnobotanyは(「植物」をトピックとする)行動や推論のための適切な基盤である。 ――すなわち、ethnomethodologyとは、一般に任意の主題について、ある社会のメンバーが日常的行動を理解しそれを達成するために用いる方法論(a system of methods used in a particular area of study or activity)の経験的研究のことである。(「エスノメソドロジー命名の由来」、ガーフィンケルエスノメソドロジー』(山田富秋ほか訳)、せりか書房、一九八七年、所収)。

<医療の記号論>の方法論的基礎

 あらゆる種類の<医療〉は記号過程であって、人々のコミュニケーション過程のただなかで創出され維持される。言い換えるなら、一定のスタイルをもつコミュニケーション過程そのものが<医療>なのである。ここには、当然ながら、患者やその家族、医療者などのコミュニケーションの主体、そして病院あるいは看護ステーションなどの制度的機構、そして医療機器、医薬品などの物的対象なども関与している。 
こ の種のコミュニケーションを従来の言語学によって解析ないし説明することは、いくつかの点で不可能だと言わざるをえない。第一に、従来の言語学はモノフォニーの言語学でしかないか、またはせいぜい対話の言語学が試みられてきただけであるのに、緩和医療=コミュニケーション過程は明らかに多声的(ポリフォニー)だからである。たとえば「カンフェランス」(conference)を言語学的に記述するためにはそれをモノローグやダイアローグではなく、独特な(sui generis)言語的相互行為としての「会議」を解明しなくてはならない。第二に「対話」の場面に話をかぎっても、従来の言語学は言語の厚みを単一な層(言語要素のシステム)に還元してしまっている。ところが医療の現場では、たとえば医療者や患者の身振りや眼なざしなどの身体運動がやはりものを言う。
 従来の言語学は言語能力と言語運用の区別、あるいはラングとパロルの区別を立て、当面の言語学的探究を言語能力ないしラングの面に限っていた。では従来の言語学は、言語運用ないしパロルの部面に対して手をこまねいていたのだろうか。決してそうではない。全体としての言語学を構文論、意味論、語用論という三つの柱に部門立てすることが行われた。哲学理論としての「言語行為論」や日常言語派の分析さらにグライスの「意味理論」などの影響を蒙りつつ「語用論」がかなりの展開を成し遂げている。この延長上で、スペルベルとウィルソンの「有意性理論」ないし「関連性理論」(Relevance Theory; RT)は、非言語的記号機能の理論化のために「非自然的意味」(グライス)の概念に依拠しつつかなりの達成をもたらした。
 しかしながら、RTにせよほかの流儀の語用論にせよ、それが基本的に言語の「分断主義」(segregationalism)を克服していない限りにおいて、やはり致命的な限界を抱えているといわざるを得ない(このロイ・ハリス(Roy Harris)の指摘に筆者は同意する)。付言すれば、社会記号論の新たな展開として、シルヴァスティンは指標記号(インデクス)に焦点を絞った言語探究によって社会的実践を解明しつつある(シルヴァスティン『記号の思想――現代言語人類学の一軌跡』(小山亘編)、三現社、二〇〇九年)。とはいえこの試みもやはりハリスの批判を免れるわけではない。
にもかかわらず、多声的でかつ統合主義的な言語探究を学問として仕上げること――これをいま目標にすることは、記号学的探究にとって現実的ではない。また、それが何か実質的な学問体系として仕上げられる保証などないのではないか。とすれば「多声的かつ統合主義的言語探究」という理念は、記号学的探究が進む方向を誤らせないための「指針」ないし「制約」として持ちこたえるべきだろう。


<症状>の生成

 前節で出会ったいっそう重大な問題に帰ることにする。徴候への眼なざしがそれを〈症候〉と捉えること(症候の生成)はどのようにして可能だろうか。この問いに対しては眼なざしが帰属する「暗黙知」(tacit knowing)の規定性を挙げておいた。つまり症候を捉える眼なざしは、生きられたエクスパートシステム(implicit expert system)のひとつの要素なのである。エスノメソドロジストの目的は、おのおのの社会的実践(医療、教育、司法など)に対して、この種のシステムが明確化する様態を記述することだと思える。彼らは、これをもって、コミュニケーション過程において社会的実践の類的同一性が構築されるという事態の解明と見なしている。 
 実際のところ、彼らは当該の社会的実践を規定するシステムを前提しているのではないか、という疑いを払拭できない。つまり、彼らの記述の力点は当該のシステムがコミュニケーションのうちで「明確化される」ことの追跡であって、「創発される」ことの解明には至っていないのではないか。
 だが「明確化」と「創発」は同じ事態ではないだろうか。形而上学のことば遣いをすれば、潜在性が現実的なものとして顕わになることを「明確化」と押さえることができるなら、それはすなわち「創発」なのではないか。あるコミュニケーション過程が実際に発動するとき、この過程の特徴を決めるものは、この過程に特有な表現要素であるほかはない。たとえば、教師のものの言いようは、お笑い芸人のそれとは違うだろう。教師は「採点」、「説諭」、「授業」、その他まさに彼を〈教師〉にしている言語活動を営むことによって、はじめて教師になる。彼にこれらの活動を可能にしているのが、教育に関する「生きられたエクスパートシステム」である。このシステムを意識化することは、部分的には可能である。どんな教師も教師としての自覚を持っているだろうし、自分の教育実践について他人に説明できるかもしれない。 
 しかしながら、「生きられたエクスパートシステム」の全部を意識化するのは無理である。どんな言語もそれをサンドイッチにした他の二つの準言語的な層――パラ言語的(paralinguistic)要素ならびに運動学的(kinetic)要素――をあわせて統合体として成り立っている。言語のパラ言語的要素とは、言語の声調(トーン)やリズムやポーズなどのことであり、運動学的要素とは、言語に必然的に随伴する身体運動(たとえば、笑いの仕草)のことである。医療の記号論はこれまでの言語観の革新を求めている。
 言語層に関してすら、たとえば、構文論を意識化できる者は特殊な訓練を受けた専門家だけである。つまりそれができるのは、言語学者なのである。いわんやパラ言語や身体運動についての意識化は当事者にとってはなはだ困難である。それというのも、これらの層は意識化された概念知ではなく、本質的に身体知に属するからである。このように考えてくると、おのおのの「生きられたエクスパートシステム」は、制度的事象や物的対象などの創出と同期しながら、どこまでも コミュニケーション過程のただなかで創発する(emerge)と見なくてはならない。 
この創発を解明するために、一般に〈記号過程の歴史〉を解明する記号論の部門が必要となるだろう。この種の探究を<記号過程の系譜学>と呼びうるかもしれない。あるいは、生物種の進化を解明する進化論的生物学のように、記号過程の生態学的アプローチが可能かもしれない。いずれにしても、医療の記号論はその基礎にかかわる多くをまだ問い残している。