持たざる演劇 ――グロトフスキを想う

namdoog2009-10-31

 10月17日に東京工業大学で「イェジー・グロトフスキの世界」と題する集まりがあった。グロトフスキ(1933年 - 1999年)という名を知る人はあまり多くはないかもしれない。彼は現代ポーランド演劇界をある意味で牽引してきたその道の第一人者である。

 この日の催しは次のような構成をなしていた。第一部:講演「ポーランド文化におけるイェジー・グロトフスキの演劇」(ズビングニエフ・オシンスキ、ワルシャワ大学教授、演劇学者)、第二部:一人芝居「ファウスト博士」(プシェミスワフ・バシルコフスキ主演)、第三部:講演「私が観たポーランドと日本の文化交流」(ヘンリク・リプシツ、日本学者、前駐日ポーランド大使)、開催時間は、実際には、15:10〜18:50位だったろう。

 なぜ工学系を中心とする単科大学で藝術をめぐるレクチャーおよびパフォーマンスの集いが度々催されるのか。じつはこの大学には「世界文明センター」という研究教育機関が敷設されている。その設立の目的は、理系の学問や技術を習得する学生たちのために人文科学および藝術の講義を提供することにある。〈科学と藝術の融合〉と言葉でいえば簡単だ。だがこれを文字どおりに実現しようとすれば、どれほどの困難が待ち構えているか、想像に難くはない。にもかかわらず、この途方もない理想に挑むためのドンキホーテ的仕掛けをともかく作ってしまった。それがこのセンターというわけだ。

 まずグロトフスキについて簡略な紹介をしておこう(グロトフスキ『実験演劇論』(大島勉訳)1971年、テアトロ、を参照)。クラクフの国立演劇大学俳優学科(1955)および監督学科(1960)を卒業。彼はポーランド西南部の都市オーポレで、著名な文藝評論家で彼の緊密な協力者であるルドヴィク・フラシェンと共同で「演劇実験室」を創設したが、それは1959年のことだった。この組織は1965年ポーランドの文化的首都というべきヴァロツワフの大学都市に移り、「演技研究所」として再編成されることになる。これは、名称から推測できるように、単なる劇場ではなく、演劇の技術、とくに俳優の技術を研究する専門機関の役割を果たした。外国人の研究生を受け入れると同時に、心理学、文化人類学などの学科の専門家たちとのあいだに密接な接触を保ちつつ独自な演技訓練を行った。

 グロトフスキの演劇はレパートリーの選択において一貫性を示した。すなわち、上演戯曲は、集団的意識の神話作用を展開する古典――バイロン『カイン』、スウオヴィッキ『コルディアン』、シェイクスピアハムレット』、マーロウ『フォースタス博士の悲劇』等――などが選ばれた。グロトフスキとその指導陣は、諸外国の演劇センターをしばしば訪れ、彼の方法による指導を実施している。1984年に「研究所」を解散してアメリカに移住。1985年からはイタリアを拠点に活動を続けていた。

 グロトフスキ最後のポーランド人の教え子となったバシルコフスキの「一人芝居」から話を始めたい。演劇研究者がいくら丹念にグロトフスキの演劇法を説明したとしても、そこからグロトフスキ独自な方法が創出する演劇のクオリア(感受される演劇の本質、劇的なもの)がわかるはずもないからである。

 演目はトーマス・マンの同名の小説をバシルコフスキ自らが脚色し自ら演出した「ファウスト博士」である。上演に際してバシルコフスキからドラマの梗概について英語でごく簡単な解説がなされた。というのは、台詞はすべてポーランド語だったからである。 
 劇場(舞台)は大学講堂がほぼそのままに遣われた。ということは、カーテンや特別な照明装置、舞台装置などはほとんど使用されなかった。ベッドや長椅子に見たてられた木製の腰かけ、事務机が「舞台装置」のすべてであった。

 こうした情況は、グロトフスキの演劇観に由来する。彼は「持たざる演劇」(poor theatre)を標榜した。〈劇的なるもの〉の構成要素を削りに削って、最後にそれを除けば、もはや「演劇」という人間的営みが成り立たないその極限に、グロトフスキは「実在する俳優」と「可能的観客」を発見した。俳優には必ずしも舞台衣装はいらない。メーキャップも必要ない。「俳優の個人的肉体がすなわち演劇なのだ。」
 もちろんこの極貧の情況を必要に応じて豊かにすることは許される。今回の上演がただひとりの俳優が演じる「一人芝居」であること、ごく簡素な舞台セット、たった一枚の衣装…といった演劇的マテリアルの乏しさは、こうして、グロトフスキの演劇理論の要請にかなっていた。

 「俳優の個人的肉体」には当然ながら俳優の言語行為が含まれている。「持たざる演劇」はけっしてパントマイムのような不自然な非人間的パフォーマンスではない。言語とは身体の働きであり、その意味で身体性の一部である。実際、「ファースト博士」でひとりの俳優バシルコフスキが、何人もの人物を演じ分けながら、弾丸のように繰り出す台詞の量には圧倒される。(ポーランド語を解さない観客は、遺憾ながら、この芝居を真の意味で鑑賞することはできない。)

 「俳優の個人的肉体」の様態が言語行為と身体運動との連結である点に注意しなくてはならない。俳優の所作は単なる台詞の絵説きあるいは例証などではない。所作=身体運動がそのまま言語として「ものをいう」のである。このかぎりで、福田恆存とともに、演戯の本質は言葉だということができる。
 言語の身体性をこの上なく強く印象づけたのが、上演に先立ったバシルコフスキがやってみせた「トレーニング」であった。彼は冗談のようにいっしょに練習しませんかと観客に呼びかけたが、それに応じるようなお調子者が誰もいなかったのは幸いである。それほど彼の実技はじつに長時間かつハードかつ独特なものであった。筆者はこれほど厳しい身体の鍛練を見たことがない。柔道や相撲の稽古の厳しさとは単純に比較できない鍛練法である。それには、どうやらメイエルホリドのビオ・メハニカ(身体力学)やら、能や京劇などの要素も部分的に取り入れているらしい。

 グロトフスキによる俳優の訓練法の分析はこれからの問題であろう。たとえば、早稲田小劇場を主宰した鈴木忠志(1939年〜)は、演劇における身体性の重要さを強調し「スズキ・メソッド」と呼ばれる訓練法を編み出したが、グロトフスキの演劇理論ならびに訓練法と比較することで多くのことが知られるに違いない。実際に、鈴木はグロトフスキと交流を持ち、またポーランドで上演を果たしている。
 それはさておき、バシルコフスキが見せてくれた身体技法がこの上なくダイナミックで、運動の緩急(リズム)、定型化した動きに反する(あえていって)不自然な動きなどで沸き返っていたさまには感銘を受けた。