2007-01-01から1年間の記事一覧

類似の可能性の制約としての身体

このところ、いわゆる一身上の都合で、この日記に向き合う時間が捻出できない状況が続いている。新しい文献に依拠した文章を書く余裕がない。必要に迫られて図書の整理をしていたら、いまから数十年前、はっきり言えば、前期課程の学生のときの古証文を見つ…

ユクスキュル・ルネッサンス (7)

ユクスキュルの環世界論の眼目をこれまで――必ずしも委曲を尽くすことはできなかったが――議論してきた。例えば、 環世界論が科学のパラダイム転換をもたらしたこと、簡単に言うなら、物理化学的基礎に立つ生物研究から、やを基礎概念とする生活体の研究への転…

記号主義倫理学の可能性

記号主義は認識論や存在論などの分野に深い関係があるが、じつは倫理学とも関係がないわけではない。それどころか、記号主義的な倫理学へのアプローチを主として認知意味論者(Johnson、Sweetzerら)が試みて興味ある成果をあげている。 筆者の見るところ、…

ユクスキュル・ルネッサンス (6)

における存在論> ユクスキュルはときに誤解されている。確かに生物学にの概念を導入したことは彼の功績のひとつである。従前の生物学がという枠組みを採用していた点は、生物個体を全体として機械仕掛けとして説明するのが生物学の標準であったことが雄弁に…

ユクスキュル・ルネッサンス (5)

環世界と世界――相対主義との関連で ユクスキュルの環世界論が、哲学的視点からいって相対主義>――さしあたり、認識の相対主義と実在に関する相対主義――を招来するのではないかという懸念は、の存立がおのおのの生物種の存在構造によって規定されているからで…

ユクスキュル・ルネッサンス (4)

文献①〔「環世界論の研究」(思索社版『生物から見た世界』に所収)〕において、トゥーレ・フォン・ユクスキュル(T.v.Uと略す)は、環世界論の意義を何よりも概念を自然研究に導入した点に見出していた。彼の議論を手がかりにして、環世界論についての考察を…

レトリックとは何か

ユクスキュルの環世界論についての考察が途中であるが、ここでレトリックに関する筆者の総合的な考えを披露しておこう。この文章はいずれある事典の項目として刊行される予定になっている。そのままだと著作権上まずいかなと考え、多少違えてある。ただし、…

ユクスキュル・ルネッサンス (3)

環世界論はという意味でのないしのパラダイム転換を要請する ユクスキュルの環世界論について考察するためには、トゥーレ・フォン・ユクスキュル(Thure von Uexküll)の論文が貴重な手がかりになる。ここでは、アクセスが比較的に容易で、筆者が参照できた…

ユクスキュル・ルネッサンス (2)

環世界論における 概念を生物学に導入した功績は、確かにユクスキュルに帰せられるべきものである。しかし問題は、ユクスキュルが、古典的なとは一線を劃した概念を新しくどのように構想したか、それを詳らかにすることだろう。環境に属する生命体の研究とい…

ユクスキュル・ルネッサンス (1)

いま授業でヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)を読んでいる。テキストとして遣っているのは、『生物から見た世界』(日高敏隆・羽田節子訳、岩波文、2005)。これは、かつて思索社から刊行された『生物から見た世界』(日高敏隆・野田保之…